男の子の才能を伸ばす親はあえて「放置」する

以下(リンク)引用
---------------------------------------------
■同じことでもやりたいだけとことんさせる
私たち親は、子どもが何かできるようになると、「では次のステップに」とすぐにハードルを上げてしまいます。たとえば、ブロック。大きなブロックが組み立てられるようになると、「じゃあ、これよりも小さいものを」と、これまでよりも手先の器用さを必要とする小さいブロックに替えてしまいます。そうなると子どもは、小さいブロックをうまく扱えるようになることだけに、多くの時間を費やすことになります。

しかし、こだわりの強い男の子にとって大切なのは、自分が納得するまで同じことを「やり続けること」。そうすることで試行錯誤を繰り返しながら、新しい工夫をしたり、アイデアを出したりすることができるのです。親が勝手にハードルを上げてしまうと、そのハードルをクリアすることに時間を取られてしまい、創意工夫するという段階に到達することができません。

■できることはすべて任せる
特に、男の子のお母さんは息子に手をかけすぎています。同じお母さんでも、娘にはそうでもないのに、息子となると放っておくことがどうしてもできないようです。男の子は女の子に比べて、成長がゆっくりな場合が多いので、ついつい手伝ってあげたくなってしまう気持ちはわかります。しかし、手伝いすぎることで息子さんから大切な機会を奪っているということを、私たちは自覚しなければなりません。

洋服を着るにも、靴を履くにも、練習が必要です。手伝うことでこのような練習の機会を奪われた子は、いつまで経ってもうまくできるようにはなりません。

手助けは最小限にとどめてください。「靴下を履かせて」と言われたら、どこができて、どこができないかを見てください。靴下をつま先にかぶせるところまで。「ペットボトルを開けて」と言われたら、緩ませるところまで。必ず、できないところだけ最小限度手伝って、できるところは、たとえ時間がかかろうと、たとえできばえがよくなかろうと、子ども自身に任せるようにします。こうすることで、子ども自身も練習の機会を確保することができるからです。

共働き夫婦や、きょうだいが多いご家庭では、「忙しすぎて、子どもと十分にかかわれない」というお悩みを持つ親御さんが多くいらっしゃいます。しかし、この「親がいつもそばにいられない」という状況は、子どもの成長にとってプラスの側面があります。手助けしてくれる大人がいなければ、子どもは自分でするしかありません。自分で考え、工夫しながら成長できる環境は、なんでも手伝ってもらえる環境よりも、子どもの才能を伸ばすうえで良い影響を及ぼすのです。

また、男の子は作業中に声をかけられることをとても嫌います。これはお父さん方ならわかっていただけるはずです。私もパソコンで作業をしている時に、横から声をかけられると、ついイライラしてしまいます。集中が途切れてしまうからです。逆にマルチタスクが得意な女性は、このように声をかけられても気にならずうまく処理できる方が多いようです。

これは子どもも同様です。女の子はペチャクチャとおしゃべりをしながら、工作をしたり、クッキングをしたりしているのですが、男の子はたいてい黙々と作業を続けています。このように、作業をするときに集中していたい男の子にとって、作業中のアドバイスや注意はノイズ以外のなにものでもありません。

 

 

 

真鍋一郎

開成校長「ゲーム攻略本も立派な読書だ」読まない子を"本の虫"に変える方法

リンク
開成校長「ゲーム攻略本も立派な読書だ」読まない子を"本の虫"に変える方法

開成高校・柳沢校長は「本を読まない子」だった
教養や語彙力をつけるため、子供には読書家になってほしい。多くの親がそう願っているだろう。だが、ゲームや無料動画など、魅力的な娯楽が身の回りにあふれている現代。子供の関心がなかなか本に向かわず、頭を抱えている向きも多いのではないか。
しかし、東京大学合格者数トップを誇る開成中学・高校の柳沢幸雄校長はこう断言する。
「子供はきっかけさえあれば、ある日、突然、読書をするようになるので焦らなくて大丈夫です」
実は柳沢校長自身が、「小学生時代はまったく本を読まない子供だった」という。母校の開成学園の校長になる前、東京大学ハーバード大学で教鞭をとってきた知的エリートであるだけに、幼い時から読書家だったに違いないと予想していたが、違った。

「商いをしていた生家には、本が一冊もなかったんです。だから、中学校に入るまでにまともに本を読んだことはありませんでした。最初に読んだのは中学1年生の時。学校の課題で読まされた『次郎物語』です。その時は、長い文章を読むことに慣れていなかったので、苦行でしたが、同世代の主人公に感情移入できました。へー! こういう世界があるんだ、と驚いた気持ちは今でも鮮明に覚えています。次に自分で夏目漱石の『坊っちゃん』を買って読んだら、おもしろくて止まらなくなりました」

「漫画だって、ゲームの攻略本だって立派な読書です」
柳沢校長がハマったきっかけは文学作品だったが、本のジャンルはなんでもいいという。
「親が『読書してほしい』と言った時に、イメージしているのは活字が並んだ文庫本のようなものかもしれません。でも、それは間違い。読書とは、字を読むこと。大切なのは、何を読んでいるかではなく、楽しんで読んでいるのかということ。本人が楽しんで読んでいるなら、漫画だって、ゲームの攻略本だって立派な読書です。それを無理に活字ばかりの本に誘導しようとすると、立派な本ギライが育ちます。人間は楽しいことしかやらないから、無理強いをしたら、絶対にダメです」

●本好きにする極意は、釣りの「まき餌」
そこで、親にしてほしいのは「まき餌」だという。
「何に興味を持って文字を読みだすかは人によって異なります。それは親でもわかりません。だから、子供が好きそうなジャンルの本をいろいろ買って撒いておきましょう。おびき寄せて、食いついたら、しめたもの。一気に釣りあげればいい。すかさず本屋や図書館に連れていって、おもしろい本がほかにもたくさんあることを教えてあげるのです。子どもを本の虫にするためには釣りの極意を拝借するのです」

読ませるのは漫画でもいいとなれば、読書好きにさせるのは難しくなさそうだ。しかし、そのまま放っておくと漫画しか読まない子になってしまうのではないだろうか。

柳沢校長はこの点も心配もないと断言する。

●マンガばかりの子も活字の本を読むようになる理由

「文字を読むこと自体に慣れていない時は、漫画や絵本などに描かれた絵に理解が助けられます。しかし、数をこなして文字を読むことに慣れてくると、今度は絵が必要なくなってくる。場合によっては邪魔になってきます。なぜなら、絵があることで、言葉が伝えてくる情景が限定されてしまうからです」
たとえば、伊藤左千夫の『野菊の墓』を読んだ時。
そこに出てくるお墓は、いったいどんななのだろうか。周りには、どんな野草が生えているのか。そこで祈っている時の気持ちは、どんななのだろうか――。

読書好きの人には、活字だけでも自然と情景が浮かんでくるだろう。その時にイメージと違う絵があると、なんとなく心地が悪いものだ。原作が好きだった小説がドラマ化された時、演じる俳優が自分のイメージと合っていないと違和感を抱くことがある。文字に親しんでいくと、やがてこの領域にたどりつくというわけだ。

「活字だけの本を読めるようになったら、紙芝居をつくらせてみるといいです。どんなイメージが思い浮かんだのか、情景を描かせる。あるいは、感想文に絵をつけさせる。こうしたことをすると、イマジネーションすることをより楽しめるようになっていきます」

●ゲーム攻略本好きな子に辞書の使い方を教えよう 
もう一つ、文字を読むようになった子供に親がしてほしいのは、辞書の使い方を教えることだという。
「ゲームの攻略本などには、けっこう難しい漢字が使われています。読めない字があったら、子供はどうしても意味を知りたいでしょう。だって、ゲームを攻略するための価値ある情報がそこに書かれているのですから。ここで辞書の引き方を教えてやれば、あとは放っておいても自分で調べるようになります。紙の辞書を面倒くさがるようだったら、電子辞書だって、ネット検索だっていい。わからない時に、調べて理解するという行動を習慣づけることが大事です」
興味があることを調べるという行為は、そのまま読書につながっていく。気になるテーマが書かれた本を書店や図書館で探して、読むことと、やっていることは同じだからだ。「知りたい」「おもしろそう」という好奇心や興味を親が上手に育てれば、子どもは勝手に、読書好き・本の虫になるのである。

 

 

 

 

今井勝行

都内では園庭の無い保育園がほとんど

保育園の数が足りないといわれている昨今、保育園でも園庭がない施設が多く存在するという。近所の公園に遊びに行っても同じような施設の子供たちであふれかえっている。
 この問題を解決するために様々な活動や支援が行われています。

以下引用


都会で園庭のない保育園が増え、公園の「争奪戦」が起きている。多くの園が午前中に外遊びの時間があるため、小さな公園に複数の園から子どもが集まり、のびのびと自由に遊ばせることができないというのだ。

区内の8割が住宅街だという東京都目黒区も、この都会ならではの問題に頭を悩ませている。

そこで同区は今年11月から、園庭のない保育園に通う子どもたちを広い公園に連れて行く、幼児専用(3歳児以上)のバス1台を試験的に運行する。行政側が用意したバスを複数の保育園で共有して使う取り組みは全国でも初めてだという。

さらに、クラウドファンディング型のふるさと納税でも寄付を受け付け、さらなるバスの増台を目指している。同区の担当者は「地域で子どもを育てることに協力しようという機運が高まって欲しい」と事業への賛同を呼びかけている。

●目黒区の私立認可保育園8割が園庭なし
目黒区の私立認可保育園35園中、8割にあたる28園に園庭がない。子どもたちが遊ぶ園庭(屋外遊技場)の設置は、児童福祉施設最低基準で義務付けられているが、日常的に使用できる距離にある近くの公園などを代わりとすれば、園庭がなくてもよいとされている。

今年4月時点で330人の待機児童を抱える同区では、認可保育所の新設が相次いでいる。しかし、同区は地価が高いだけでなく、住宅街が多く広々とした土地もない。昔からある公立の保育園はともかく、私立だと園庭まで用意するのはなかなか難しいというのが実情のようだ。

2017年4月に新設された私立認可保育園の「中目黒ちとせ保育園」も、目黒区総合庁舎の駐車場の一角にある。幹線道路に面した3階建の園内には、水遊びできるほどのスペースしかなく、子どもたちはすぐ近くにある公園を使用して遊んでいる。

●他園とのバッティング、保育園からは苦労の声
「毎年、新設園が増える中で、安全に走りまわることの出来る公園の数も少ない」「近隣公園のみでは遊びも限られてしまったり、他園とのバッティングもある」。バス導入に際して区が認可保育園と3歳児以上の園児を受け入れる認証保育施設計43園にアンケートを行ったところ、各園からは苦労の声が集まった。

加えて子育て支援部の吉田武広課長は「目黒区は区の周辺部に大きな公園があるんです」と同区ならではの事情を打ち明ける。

都立駒沢オリンピック公園や都立林試の森公園など、大きな公園は他の区との境目にしかない。子どもたちの足で向かうと、園によっては公園まで30~45分かかってしまう。とても日常的に歩いて連れて行ける距離ではない。

新たに公園を作るのも難しい中、既存の公園をどう活用できるか。そこで区が考え付いたのが、バスによる送り迎えというわけだ。園独自でバスを運行する区内のビル型保育園にヒントを得た。子どもたちは10分程度で移動し、広い公園でのびのびと遊ぶことができる。

前述のアンケートでは43園中約6割に当たる26園がバスの活用を希望しており、「とてもありがたい」と期待する声も集まっているという。

●目標金額は1千万円
バスは「広い遊び場(広場)」と「バス」を組み合わせ、「ヒーローバス」と名付けた。運転士を含む大人4人、保育園児18人が乗車できるワンボックスカー。1台運行するのに、年間約1千万円がかかる見込みだ。

クラウドファンディング型のふるさと納税は、単なる寄付金ではなく、自治体が立ち上げたプロジェクトに対して、賛同する人の寄付を受け付けるもの。「ヒーローバス」運行プロジェクトの目標金額は、今年度末までに1千万円。返礼品はないが、9月18日現在で約130万円が集まっている。

吉田課長は「都会ならではの悩みかもしれませんが、このふるさと納税が子育てをしている方に勇気がわくような形になればといいなと思っています」と思いを語った。

 

 

 

匿名希望 

子育てのやり方はどの家庭の親も身らの持論を元にするしかないだろう。
そんななかで、しつけとして子供を叩いたりするようなことは、
ある程度容認されている風潮もある。

しかしそれは本当に正しいと言えるのだろうか?
ある実験の結果では幼少期に叩かれるなどの「しつけ」をおこなわれた児童はその後、
「落ち着いて話を聞けない。」「約束を守れない。」などのリスクが高まるという。

怒鳴る、叩く等の「しつけ」をしなくても子育てはおこなえる。
そうした「しつけ」をおこなわないようにしようとすると、当然子供の話に耳を貸さなければならなくなる。
なにか問題の起こった時にお互いに話し合いで解決しようとすることが慣習になれば、
子供は話し合いの中で考えを整理したり、相談するなかで行動を決定していけるようになる。
この「話し合う」ということが子供の思考能力やコミュニケーション能力を育む。
本来の真っ当な子育てとはそうあるべきだと思う。


参考:リンク

 

 

 


ABC豆

みんな基準をこしらえる「みんな化語」2

リンク

「みんな化語」の機能

それでは、「みんな化語」はどのような場面でどんな機能を果たすのでしょうか。生活者の体験談を集めるため、博報堂生活総研が実施したweb調査で、20~60代の男女に「みんな化語」の定義を説明した上で、実際に「みんな化語」を人から使われた時のことを自由回答で書いてもらいました。そして、調査人数1,500人のうち、563人の方から寄せられた体験談をもとに、「みんな化語」の機能を5パターンに分類しました。

① 権威づけする
これは2つめのエピソードのわが娘の「ダサい」発言でも出てきた使い方で、個人の意見よりみんなの意見にした方が、発言が強力になることを狙ったものです。生活者への調査でも、子供が親に玩具を買って欲しくて「みんな持ってるよ。だから買って」という場面で頻出しており、「みんな化語」の使用例で、最も多いタイプになっています。

② 自己陶酔する
1つめのエピソードで、「国民の恥だ!」と叱責した男性の例は、①の動機もありますが、自分が国民代表であるかのように自己陶酔することにも動機がありそうです。①が他者への説得力を重視しているのに対して、②は自己満足している側面があります。他の例では、一個人が「あの人の行動は国益に反する」と言うときなどに、この動機が潜んでいる場合があります(もちろん、まっとうな意見の場合もありますが)。

③ 責任転嫁する
調査では、次のような事例を教えてくれた生活者がいました。

「駐車違反も、みんながやってるから、しょうがいないよね」

「(私のような)年寄りはモノが捨てられないから、断舎利は苦手なんだよ」

このように、「自分個人としては、駐車違反は良くないと思う/持ち物は整理した方が良いと思う」という体裁を示しつつ、「でも、みんなそうじゃないのだから、しょうがないじゃないか」と"みんな"に責任転嫁をする用法です。もちろん、ここで出ている"みんな"は本当に全員なのではなく、イメージ上でつくられたものです。

④ 包摂する
①〜③の「みんな化語」は、虚像の"みんな"を引き合いに出して自分の主張をするような用法ですが、「みんな化語」には誰かを擁護するようなポジティブな機能もあります。

調査で生活者が書いた事例のなかに、次のようなものがありました。

「これでいいのだ」

これは、故・赤塚不二夫氏の作品中の名言。バカボンのパパが、毎話のはちゃめちゃな展開の末、それでも最後に全状況を肯定する決め台詞です。

「これでいいのだ」が個人の視点からではなく、"みんな"をより大きくした"神"のような視点に立った大局的な言葉使いだからこその効果です(バカボンのパパは作品中ではある意味で"神"の位置にあるキャラクターとも言われています)。

この「みんな化語」は、例えば誰かが仲間外れの疎外感を持っているとき、「それでもあなたは、間違っているのではなく、いいことの範疇に入っているのだ」と包み込んでくれる言葉にもなりえます。

いわゆる均一的な"大衆"が存在していた漫画連載当時、バカボンのパパは常に異端者を演じていたわけですが、ライフスタイルが多様化した現在はいわば異端者だらけの時代とも考えられます。

そんな現代で、この台詞はより輝きを増しているのかもしれません。

⑤ "みんな"をジェネレートする
自分の本音を代弁するために「みんな化語」を利用するだけでなく、「みんな化語」を使うことによって事後的に"みんな"の実態が生まれることもあります。

例えば、残業を重ねるような労働者が依然として多い日本ですが、「お前の働き方はもう古い」と「みんな化語」によるダメだしを一斉にしはじめることで、実際にスマートな働き方の人が多数派の"みんな"になっていくことがありうるでしょう。「多数派の中に入っていたい」と思う人間心理を反映していますよね。

"みんな"をジェネレートするという機能については、日本語の文字・語彙・意味の史的研究を専門とされている小野正弘教授(明治大学文学部)から2つの興味深いポイントを教えて頂きました。

1つは、「みんな化語」が地域コミュニティを作っていたという点。少し前までの日本では、地域ごとに必ず世話焼きな人がいて、「みんな○○なのよ」という話を方々でして回ることで、結果的に地域の情報がひとつになっていた側面があったのだそうです。

もう1つは、もっと昔の飛鳥時代に活躍した歌人額田王(ぬかたのおおきみ)について。彼女は戦場に向かう船団が船出を見計らって待機していた時、船団全体の「いつが船出なのだろう?潮も満ちたしそろそろか?」という空気が閾値を超えたのを察知して「今こそ船出の時だ」という歌を詠んだという学説があるそうです。これから進軍しようとする全体にきっかけを与え、意気を高めたんだとか...。

全体のまだまとまっていない空気をひとつにして、"みんな"をジェネレートするためには、それに先んじて「みんながこう考えている」と「みんな化語」を発する人の存在が不可欠だということです。

実は、効果的な広告や話題になるキーワードも、実態より一歩だけ先んじて「みんな化」している場合が多いと思います。

諸刃の剣としての「みんな化語」

今回の記事では「みんな化語」の様々な例を通して、それらが日常的に使われていることと、使用者にとっていかに魅惑的かを論じてきました。

この「みんな化語」は、誤って作動すれば少数派を排除する快感にひたるポピュリズムにつながる危険性があります。一方で、異端者を包摂したり、世の中を善導したりするポテンシャルもあります。

 

 

 

匿名希望

日本人はなぜ英語が苦手なのか?

リンクリンク

①日本の英語教育に問題がある
まずはよく言われていることなので、多くの方が感じていると思われる学校教育での英語。

日本の英語教育はまったくコミュニケーション向けじゃありません。

簡単にまとめると……
勉強って意識が強すぎる
まだまだ文法中心
先生がネイティブじゃない
厳しすぎる
先生に「言語としての日本語」の知識がない
日本文化を引きずりすぎる
正しい発音をすると笑われる

こんな特徴が、日本の英語教育にあります


②日本人の「国民性」が邪魔をしている
国民性が英語習得を邪魔しているんですよね

曖昧に言いたがる
意見をガンガン言わない
恥ずかしがり(シャイ)
非言語表現が乏しい
聞き返さない

日本は察してもらう文化というのが大きな弊害になっているかもしれません。


③「カタカナ英語」の存在
そして、カタカナ英語の存在です。
「カタカナ英語」というのは、英語の単語が日本に入ってきたときに無理やりカタカナに当てはめてできます。
たとえば、「apple」を「アップル」と読んだり、「girl」を「ガール」と読んだりする発音ですね。
「カタカナ英語」って書きましたが、「英語」ではなく、これは「日本語」なんです。

④「英語」が憧れの対象で終わっている
最後に「英語」があこがれの対象で完了していること。
「あこがれているから頑張れる」と思いそうなんですが、あこがれって永遠に届かないことが前提です。

じゃあどうすればいいのかというと、「あこがれ」から「現実的にクリアするべき課題」として転化するんです。

それだけで英語の習得率はUPするはず!

 

 

 

匿名希望

みんな基準をこしらえる「みんな化語」1

リンク

先日、私が帰宅のために電車に乗っていた時のことです。とある駅で20代とおぼしき女性が電車に駆け込んできました。空いている車内でなんなく座席についた彼女は、リュックからごそごそとパンを出して頬張り始めました。

乗客たちが思い思いにスマホを眺めて過ごしていた21時頃の車中。その彼女がほんのふたくちほどパンをかじった時、その緩やかな空気が一変しました。彼女の隣に座っていた70代くらいの男性が突然大声をあげたのです。

「そんなもん家で食え! 日本の恥だぞ!」

そう切って捨てるように言うと、男性はすぐに到着した次の駅でドカドカと下車してしまいました。彼女は声を出すこともできず、パンをそそくさとリュックにしまって、もうその男性が居なくなっているにも関わらず、座席で小さく丸くなっていました。

確かに電車内での食事はマナー違反だと考える人も一定数いると思います。ただ、彼女は「日本の恥」として叱責されるほどのことをしたでしょうか。少なくとも私は、混んでいない車内で、匂いもしないパンを食べた程度ではまったく気になりません。

私が思うに、「日本の恥」と言うとき、その男性は幻の"みんな"をねつ造しています。俺だけが怒っているのではなく、日本の"みんな"が怒っているのだと。彼女により強力なダメージを与えるために、そして、彼自身が日本国民の代弁者であるかのような全能感を得るために、彼は主語を"私"から"みんな"にすり替えたのです。

このように、主語を大きくするタイプの言葉というものがあります。他の例では、女性が「女はお前みたいな男が嫌いなんだよ」と言う場合、個人ではなく性別代表になってしまっています。

みんな基準をこしらえる「みんな化語」
申し遅れましたが、私は博報堂の生活総合研究所で研究員をしている内濱と申します。

私たち生活総研では、「"みんな"って誰だ?」というテーマで、「個」の時代の先にある、新しい大衆像について研究し、その成果をこの連載でご紹介しています。

第1回記事に寄せられた反響の中で特に多かったのが、「みんなやってる、ってよく言うけど、そんなの本人の思い込みじゃない?」というご意見です。実は私も、前述のような体験から全く同じ疑問を持っていたんです。

こんなに風に自分の意見を"みんな"の意見のように語る現象を、私は「みんな化語」現象と名付け、研究しています。

研究結果をお話しする前にもう一つ、私自身が体験した「みんな化語」のエピソードを紹介させてください。

家族と過ごしていた休日のことです。私は以前から好きなバンドの音楽をスマホのスピーカーから流していました。すると、今年小学1年生になったに過ぎない娘が、あろうことか「そんなダサい曲流さないでよ」と言うのです。

娘は代わりに別のバンドの曲を流して欲しいと主張し、それはそれで良い曲なのですが、私は正直ダサさに関しては五十歩百歩だとゴニョゴニョ考えたりして... 要するに私は狼狽していたわけです。

ただ後から冷静に考え直すと、「ダサい」というのも"みんな"のねつ造なのではないかと思い至りました。

「ダサい」というのは「嫌い」とは違います。「ダサい」には、世間一般で共有されているトレンド感から乖離している、というニュアンスを含みます。娘は「私はその曲は嫌い」と言う代わりに、「今のみんなのセンスには合ってない」と言ったわけです。

このタイプの「みんな化語」は、さも「みんな基準」があるかのように見せかけることで効力を発揮します。他の例では、「お前の考え方は古い」と一般的な新旧基準があるかのような言い方や、「固い職業の人の話って、つまんないじゃないですか」の「じゃないですか」のように、みんなが先刻合意済みのような印象を与える言い回しがあります。

先ほど、「みんな化語」とは、あるひとりの意見を"みんな"の意見であるように感じさせる言葉使い、と書きました。この定義はまだ暫定的なものでしかありませんが、2つのエピソードから皆さんには何となくイメージをつかんでいただけたでしょうか。

 

 

 

匿名希望