子どもが潜在的に求めているもの。

子育て不安と言うけれど話を聞いていると、正解なんてないのに、何が正しいの?と周りの声を聞いては不安になっている母たちは多い。
「ちゃんとしなきゃ」意識の矛先は子どもへの圧力やプレッシャーになっている。

その判断軸となっている1つに、周りとの比較がある。
リンク
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自己肯定感とは、

・自分は大切で価値のある存在だと、自分を自分で認めて自信がある状態です。

自己肯定感が高い人は何事にも前向きにチャレンジしていけるのに対し、自己肯定感の低い人は「どうせうまくいかない」とマイナス思考で行動を起こすことができません。

日本の若者の自己肯定感が低いことは国際調査で明らかです。私は学校での経験とそれを取り巻く家庭での状況が大きく関わっていると考えています。文部科学省も小学校高学年の子どもの発達における重視すべき課題のひとつとして「自己肯定感の育成」を挙げています。

自己肯定感を育むには、絶対評価が必要です。

なぜなら、他者とは関係なく「自分が日々成長している」と知ることで私たちは自分を認めることができるからです。
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親和欠損で育った親たちが子育てをしている以上、どうやって関わったら、声かけをしたらいいのかプラスなのか分からないというか充足を持って接することが難しい。

子どもが潜在的に求めている「安心基盤」の形成には、自己肯定感を育めるよう、日常から認めていくことが欠かせない。

 

 

 

 

匿名希望

子どもが求める"お母さん"

  昔、何かの記事に、子どもの理想のお母さん像が掲載されていた。

一位は"笑顔のお母さん"。

とてもシンプルだけど、なかなか難易度が高そうだなと生まれたばかりの我が子を抱きながらイメージを膨らませていたのを思い出す。


子どもたちが小学校になった今も、この言葉はずっと胸にある。
母親だって気持ちが乗らない日も、余裕がない日も色々ある。そんな日は特に笑顔でいることだけを意識するようにしている。

そして、ずっと続けてきて、"笑顔でいる"ということに自分なりの解釈が生まれた。それは、笑顔でいる=子どもの言葉に大人の意見を返さない、ということ。

子どもが大きくなるほど互いに言葉の数が増えるものだけど、子どもからの発信を受けた時は、笑顔で「うんうん」「そうなの」という相槌を打つだけ。それが一番、子どもの心の熱量が上げる。
逆に母親の心境や先回りしたお節介なんて口をつくと、途端に子どもの心が萎んでしまったことも何度も経験した。そしてそう言う時は、母親の顔は満面の笑みからみるみる遠ざかることにも気付いた。

例え、どんなに些細なことでも。
どんなに驚くことやガッカリすることが出てきたとしても!

もし子どもが二回三回と同じ話をしてくる時は、子どもが口にした言葉を「○○なんだね~」とそのままおうむ返しする。そしたらもう、それはそれは嬉しそうに次の好奇心を抱えて走り去っていく。

子どもが活き活きしているかどうか、それは子どもの期待に応えられているかどうかのとってとても分かりやすい評価のようだ。

 

 

 

ディディ

みんな、誰だって素晴らしい存在。否定されることなんて何も無い。

「自分はダメなんだ…」と思うこと、たまにありますよね。
わたしも、小さいころからそう思っていたひとりでした。
このお話を聞いて以来、自分にダメなことなんてないんだ!って思えるようになりました。
そして、仕事仲間にも、家族・子供にもこういう言葉をかけられる大人になりたいな~、と思います。

リンクより引用


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僕が3歳のとき、父が亡くなり
その後は母が女手ひとつで
僕を育ててくれた。

仕事から帰ってきた母は
疲れた顔も見せずに晩ご飯をつくり
食事の後は、内職をしていた。

毎晩遅くまでやっていた。

母が頑張ってくれていることは
よく分かっていた。
 

だけど、僕には不満もいっぱいあった。
 
 
僕が学校から帰ってきても
家には誰もいない。
 
 
夜は夜で、母は遅くまで内職。
 
 
そんなに働いているのに
わが家は少しも裕福じゃなかった。
 
 
遊園地にも連れて行ってもらえない。
 
 
ゲームセンターで遊ぶだけの
小遣いももらえない。
 
 
テレビが壊れたときも
半年間、買ってもらえなかった。
 
 
僕はいつしか母にきつく
当たるようになった。

「おい」とか「うるせー」とか
生意気な言葉を吐いた。

「ばばあ」と呼んだこともあった。
 
 
それでも母は、こんな僕のために
頑張って働いてくれた。
 
 
そして、僕にはいつも優しかった。
 
 
小学校6年のとき
初めて運動会に来てくれた。
 
 
運動神経が鈍い僕は
かけっこでビリだった。
 
 
悔しかった。
 
 
家に帰って母はこう言った。
 
「かけっこの順番なんて
 気にしなくていいよ。

 おまえは素晴らしいんだから」
 
 
だけど、僕の悔しさは
ちっともおさまらなかった。
 
 
僕は学校の勉強も苦手だった。
 
 
成績も最悪。
 
 
自分でも劣等感を感じていた。
 
 
だけど、母はテストの点や
通知表を見るたびにやっぱりこう言った。
 
 
「大丈夫、おまえは素晴らしいんだから」

僕には何の説得力も感じられなかった。

母に食ってかかったこともあった。
 
 
「何が素晴らしいんだよ!?

 どうせ俺はダメな人間だよ」
 
 
それでも母は自信満々の笑顔で言った。
 
 
「いつしか分かる時がくるよ。

 おまえは素晴らしいんだから」
 
 
僕は中学2年生になったころから
仲間たちとタバコを吸うようになった。

他の学校の生徒とケンカもした。
 
 
母は何度も学校や警察に呼び出された。
 
 
いつも頭を下げて

「ご迷惑をかけて、申し訳ありません」

と謝っていた。
 
 
ある日のこと。
 
 
僕は校内で、ちょっとした事件を起こした。
 
 
母は仕事を抜けて学校にやってきて
いつものように謝っていた。
 
 
教頭先生が言った。
 

「お子さんがこんなに

 悪い子になったのはご家庭にも

 原因があるのではないでしょうか」
 
 
その瞬間、穏やかな母の表情が変わった
 

更生は
心から信じてあげることから始まる
母は明らかに怒った眼で
教頭先生をにらみつけきっぱりと言った。
 
 
「この子は悪い子ではありません」
 
 
その迫力に驚いた教頭先生は
言葉を失った。
 
 
母は続けた。
 
 
「この子のやったことは間違っています。

 親の私にも責任があります。

 ですが、この子は悪い子ではありません」
 
 
僕は思い切りビンタを喰らったような
そんな衝撃を受けた。

僕はわいてくる涙を抑えるのに必死だった。
 
 
母はこんな僕のことを
本当に素晴らしい人間だと
思ってくれていたんだ・・・
 
 
あとで隠れて、ひとりで泣いた。

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匿名希望

赤ちゃんのように本能で生きる

赤ん坊や赤ん坊に毛の生えた程度の子供は何かしらいろいろな物に触りたがる。落ちている髪の毛やゴミ箱の中の物、公園に落ちているペットボトルなどありとあらゆるものにさわりたがる。親はそのたびに「汚いから触らないで」と声をかけてしまうが、これは間違い。

実はこの触りたがる行動は、生きる上で必要な耐性菌や免疫を作ることを目的としており、人間の本能がそうさせているのだ。

以下引用サイト
リンク

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私達は赤ちゃんの時、ハイハイします。 ハイハイして、何でも舐めちゃいますよね。何故舐めるのかと言ったらば、お母さんから貰った免疫力の強い時に、この家にどんなバイ菌がいるのか、全部舐めてお腹の中に取り込んでしまうんです。そして、体の中に耐性菌や免疫を作ることによって、他の菌達からの防御システムが生まれてきます。腸の中にも耐性菌を作ります。

ですから、よく「ハイハイした子の方が丈夫だよ」と言われる所以も、そこにあります。便所のスリッパ舐めてお腹壊した赤ちゃんなんて聞いたことないですよ。

その頃にさんざんハイハイしながら、いたずらした子供達は何食べても大丈夫ですね。赤ちゃん達は、ミルクのカスを親指に付けてですね、這って歩いてまた親指しゃぶるんですね。この親指の臭い嗅いでみてくださいよ。百年の恋も冷めますから、臭い、臭いって。たまったもんじゃないですね。でも、そうまでして、乳酸菌を繁殖させて舐めて入れてるんですね。

これは本能なんですね、本能。本能がそうさせてるということは、本能は絶対に間違いがないんです。過去のすべての経験ですから。

それを観念とか、理論とか、理屈、もっとひどいのは、屁理屈でやってるもんですから、みんな狂ってきますね。本当にこれからは、本能で生きてください。なのに、清潔清潔と言って「トイレから出たら手を洗いなさい」、というように過保護にして来ますから、自分の中の能力を失っていくんです。

我々というのは補いすぎたら、作る能力を失ってしまう。これはどういうことかと言いますと、携帯電話持った途端に自分の家の電話番号忘れちゃう。そのくらいに便利になれば、便利になるほど能力を失っていく。ですから、余り便利にしない方がいいみたいですね。

折角、持っている能力を失ってはいけない。お腹の中で作る能力を持っているのに、補っちゃうもんですから作る能力を失う。作らないことが分かってて、入れるならいいんです。

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西本圭

発達障害と診断されて薬を処方されても、絶対に子供に飲ませてはいけない。

発達障害と診断されている子供が、6%を超えている。アメリカでは10%を超えている。
ADHDと診断されると(あるいはその可能性があるとされると)、向精神薬が処方されることが多い。
しかし、安易に医者言う事を信じてはならない。一旦薬に頼ってしまうと、薬漬けの一生を過ごすことになる可能性もある。問題があるとわかっても、気軽にやめることはできない。

そもそも、発達障害の原因は、先天的なものなのか、生まれてからの環境によるものなのか、もわかっていない。原因もわかっていないのに、薬なんて処方できるわけがないのだ。


“薬漬け”になりたくない ~向精神薬をのむ子ども~
NHK クローズアップ現代 リンク

>国立精神・神経医療研究センター 中川英二医師
 「向精神薬が成長過程にある子どもの脳に与える長期的な影響については、全く解明されていません。慎重な投与が必要だと思います。」

>中学の時に向精神薬を投与された女性
 「病院へ行ったら即入院が決まって、本当に何が起こってるのか分からなくて。」

向精神薬を投与された高校生の母親
 「本当にもう、ああもう、ぱっと見たときは、あっ、本当にこの子は気が狂っちゃったんだなと。やっぱりもう、薬をのませるべきじゃなかったと、すごく思いますし。」

>── ●小学校低学年までの投与開始が7割を超えているが
(精神科医)石川さん:やっぱり、それはとても心配で、人間の脳っていうのは、生れ落ちたときにもうすでに土台と、それから大枠組みが出来ているんですけれども、8歳ぐらいまでの間に内装をするようなこととか、いろんなことをして徐々に作っていくわけですね。
そして、8歳ぐらいで、形は一応、大人並みになるんですが、そのあとは配線工事なんかが、その後数年間、ものすごい勢いで起こる、つまりそういう途中段階は、大人とは全く違う、そこに起こったことというのも違うので、これはとても怖いことだと思います。

── ●どんな副作用が考えられるのか
石川さん:画面に出たような運動に出るというような、見える副作用の場合は、比較的誰でもすぐ分かるんですけれども、これ、薬というのは、全部の脳に働きますから、全神経、全部の脳に、それから全身にも回るんで、肝臓、すい臓、腎臓、これらに対する危害というのは、逆に見えないだけに、気が付いたときには手遅れということがあるぐらい、全部。

── ●問題のある箇所だけに行くわけではないのか
石川さん:そうですね、薬はそういう形ではいってくれません。

 

 

ハリケーンミキサー

「赤ん坊を仕事場に連れてくる」というのは、「仕事と子育ての両立」になるんだろうか。

カタチだけでなく、中身が重要では。

以下リンクより

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「赤ん坊を仕事場に連れてくる」というのは、「仕事と子育ての両立」になるんだろうか。

「なにがいけないんだ」という賛成派と「議会の規則に抵触しているならダメだ」という否定派をはじめとして、議会に子連れが認められた欧州の例なども引き合いに出され、さまざまな意見が飛び交っている。

緒方市議が言っているとおり、欧州の子連れ議員の方たちは、「子持ちでも仕事を」から「子連れでも仕事を」というメッセージを伝えたいのだと思う。

議会の規則などはひとまず脇に置いておいて、「仕事に赤ん坊を連れてくることは仕事と子育ての両立になるのか」という点から、思うところを書きたい。

赤ん坊を連れてくれば仕事と育児の両立?

まずはじめにお伝えしたいのは、わたしは仕事と子育てが両立しやすい社会になってほしい、と思っていることだ。

女性の負担が減ってほしいし、男性が積極的に育児に参加できる環境にもなってほしい。

とはいえ、「赤ん坊を仕事場に連れてくる」というのは、「仕事と子育ての両立」の手段になるんだろうか?

これには、3つの問題があると思う。 

勤務時間なのに「働けない」

ひとつめは、勤務時間内なのに働けない時間があるということだ。

たとえば同僚Aさんが、赤ん坊を連れて仕事に来たとしよう。そして赤ん坊が泣くたびに、Aさんは仕事から離れる。

それを好意的に受け止めるかどうかは個人の自由だが、Aさんが勤務時間内にも関わらず仕事ができない状態である、というのは事実だ。

Aさんは頭数にも入っていて、仕事場にもいて、給料も発生しているのに、その人が働けない「かもしれない」。これはとても厄介な状況だ。

その状況なのが1人ならなんとかなるだろう。

でも子連れ出勤者が10人、20人になっても、「微笑ましい」「みんなでフォロー」と言えるのだろうか。

結局負担が増えるのは女性

さらに危惧しているのが、子連れ出勤が認められたことにより、「じゃあ子どもを連れて仕事をすればいいだろう」と言い出す人の存在だ。

子連れ出勤を認めれば、その役目は十中八九女性にまわってくるだろう。

(欧州でも、子連れで議会に参加したのは基本女性である)

「女性が働きやすいように」と子連れ出勤を認めた結果、逆に女性が仕事に集中できなくなっては意味がないのでは……と思う。

仕事と子育てを「女性」が「同時に」行わざるを得ない状況というのは、女性が目指す「活躍できる社会」なのだろうか?

効率を求める仕事vs.理解を求める子育て

そしてわたしが一番の問題だと思うのが、「反対派が『子育てに非協力的』というレッテルを貼られること」だ。

わたしは子どもが好きだし、子育てしやすい社会になってほしいと思ってる。

それでも、もし自分が働くオフィスに赤ん坊がいたら?と考えると、やはり慎重な意見になってしまう。

クライアントとの電話中に赤ん坊が泣き出したら、謝った上で席を外すだろう。

となりで赤ん坊が寝ていたら、起こさないように気を遣うだろう。

ちょっとした風邪でも、赤ん坊には近づかないようにすべきだろう。

それは赤ん坊が悪いのではなく、仕事以外に気を遣う対象があることへのストレス、そしてそれによる効率低下が心配なのだ。

(子育てしながら在宅ワークしている方には、尊敬の念を禁じえない)

でもそれを大声で言ってしまうと、「子育てに非協力的」になってしまう。

「あなたみたいな考えの人がいるから子育てしづらいんですよ」と言われてしまえば、それで終わりだ。

それだと建設的な議論ができなくて、結果的に職場に軋轢を生むだけなんじゃないかな、と思う。 

問題は「議会」限定ではない

今回の緒方市議を含め、欧州でも強行突破で議会に赤ん坊を連れて来た議員がいるが、実際に企業でそれをやったら職を失うかもしれない。

企業勤めの人ができない方法で、政治家が「仕事と子育ての両立」を訴えても、「議会に赤ん坊同伴はOKか」という限定的な話になってしまう。

でも必要なのは、「赤ん坊がいる両親が仕事に集中するためにはなにが必要か」を考えることではないだろうか。 

子どもがどうしても預けられないときだけ特例で子連れ出勤、もしくはリモートワークはできないか?

会社に託児所を設けられないか?

子持ち社員が共同でベビーシッターを雇って会社の一室を託児室として利用できないか?

週20時間の時短勤務で時間配分は当人に任す……といった働き方はどうか?

「議会で赤ん坊はアリかナシか」ではなく、こういった再現性がある議論が大切だ。

仕事に子育てを持ち込んで両方中途半端になったうえ他人にも迷惑をかけてしまう……というのは、赤ん坊を持つ働く親だって望んでいないはずだ。

社会に一石を投じるという意味で子連れで議会に参加する意義はあるだろうが、さらに発展させて、もっと多くの人が働きやすくなるような話し合いをしていってほしい。

そして、こういったことがきっかけで、少しずつ仕事と子育ての両立がしやすい社会になっていけばいいな、と思っている。

【プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

 

 

 

匿名希望

子どもの成長の芽を摘む親、伸ばす親。違いはどこにあるのか?

リンクより引用

「教師が特別に期待した子どもは成績が伸びる」という心理学の有名な実験結果をご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『子どもが育つ「父親術」』では、この「ピグマリオン効果」を著者独自の解釈を交えて紹介、「大人がどう接するかで子どもたちの成長具合に変化が生じる」と記しています。
 
ピグマリオン効果

ピグマリオン効果」という言葉、お聞きになったことはありますか? 心理学に詳しい方ならご存知ですよね。教育に関わる方も、一度は耳にしたことがあるのでは。簡単に説明すると、こんな具合です。
1.有名大学の教授からの依頼で、小学生に独自の知能テストを実施する
→ただし、このテストは何の意味もないダミー。
2.教授から担任の先生に、テストの分析結果として「今後、成績が大きく伸びる子どもたち」を知らせる
→テストに意味はなく、当然ながら「分析結果」もウソ。ランダムに選んだ子どもの名前を挙げただけ。
3.その後を追跡調査すると、名前を挙げられた子どもたちの成績が実際に伸びていた!

という実験結果を示すもの。この実験をした学者は「担任が特別に期待して、子ども自身も期待を感じるため、成績が伸びた」と結論づけています。

いろいろな批判・議論はありますが、私はこの実験結果について「あり得るだろうなぁ」と思います。ただその解釈は、オリジナルの「特別な期待(←接し方)をしたから、子どもが(本来の学力より)伸びた」とは異なります。私は、

・どの子も大きな可能性・伸びる力を秘めている
・それを信じ、適切に接していれば、自然と伸びるもの(信じずに接すれば、伸びるものも伸びない、ということも)

と解釈しています。つまり「特別に伸ばすことができた」のではなく、「もともと伸びるはずの子が自然と伸びた」だということ。さらにつけ加えると、

・伸びる分野・伸びる方向・伸びる時期は、一人ひとりまちまち

とも考えています。実際に、前述の実験でも、名前の挙げられた子ども全員が成績向上したわけではありません。名前が挙がった中で向上しなかった子は、おそらく「学校の勉強」ではない別の分野に可能性を持っていた子、あるいは実験の時期ではないタイミングで伸びる可能性を持っていた子なのでしょう。
それでも、この実験が一定の効果を出したということは、子どもの可能性を信じて成長を引き出してあげる余地がまだまだあることを示していると思います。


誰が、いつ、どのように伸びるのかが事前にわからないのは、教える側・育てる側にとっては不便かもしれません。ですが、それを嘆いていても仕方がありません。大人として持つべきは、

・いつ、どこで、誰が、どんな風に伸びるのかはわからないけど
・「すべての子は何か大きく伸びるものを必ず持っている」と信じ
・日々、発芽のチャンスを提供する

そして、

・いつ芽が出ても見逃すことがないよう丁寧に子どもを観察し
・「これは芽かな?」と思うものがあれば、その成長を支えてあげる

との姿勢だと思います。また、

・自分の期待・予想にだけ焦点を絞らず、広く子どもの可能性を信じる
・(自分の子だけでなく)関わることのできるすべての子どもに対してこの姿勢を持って接する

ことまでできたら、理想的です! それは決して「効率的な育て方」ではありませんが、育てる側も育つ本人も気づかなかった可能性が開花することを楽しみに、この姿勢を貫いていただけたら、私もうれしいです!

 

 

 

華里