子供を「生きづらい大人」に育てない親の心構え

●子どもにすぐ正解を教えてはいけない理由
これってよくある「思いやり……」という大人の正解ですよね。でも、まさに排除の論理なんです。私たち大空小学校の教師も最初はそうでした。「人を大切にする力」をつけるコツは、「親が正解を言わないこと」です。意外かもしれませんね。

親は(教師も)、正解を言わなければいけないと思っているものです。さっきの「そんなん言うたらあかんで」という言葉は、そんなこと言ってはいけません、という指示命令です。その裏には「あの子はかわいそうな子」という言葉がある。つまり、「あの子はあなたと違ってかわいそうな子、格下の子」という差別が生まれます。

「そんなん言うたらあかんで」のたった一言で、その価値観を植え付けてしまうのです。

「ねえねえ、その子って迷惑をかけようと思ってやってるの? それとも困ってるの? どっちなんやろうね」と問いかけてはどうでしょう。

ここから親子の対話が生まれます。

「そんなん言うたらあかんで」と言ってしまったら、そこで対話は終了です。「人に迷惑をかけてはいけない」という今までの教育は、これと同じことをやってきたんです。

知らず知らずのうちに子どもに、他者を排除していく価値観を植え付けていたことに、どうぞお母さん、お父さんたちは気づいてほしい。

●正解を見つけるよりも「大事なこと」
人が人として生きていく中で、正解なんてありません。想定外の中で子どもがどう生きるか。子どもに「ああしろ、こうしろ」と指示命令をして、親の言うことを聞く子どもをつくっていたら、子どもは自分の命も隣の人の命も守れない大人になってしまうのでは、という危機感からスタートしなくてはいけないと感じます。

子どもに「人を大切にする力」をつけたかったら大人が正解を言わないこと、と言いました。それは同時に、正解がないからこそ、問い続ける必要があるということです。この正解のない問いを問い続ける力は、10年後の社会で生きて働く力になります。

正解があると、問わなくなるでしょう? まずは大人である母ちゃんが、常に「これでいいかな?」と自分に問い続けてみてください。簡単ですよ。問い続ける子どもをつくるのも簡単です。母ちゃんが「あんた、どう思う?」と聞くだけでいいのです。大人の思っている正解は正解と違います。たかが一人の大人の経験値で、未来のことなんてわからない。1分先のことさえわからないし、地球が潰れるかもしれない。

(略)

●反抗的な息子が変わった瞬間
この話をあるお母さんにしたら、親子の関係性が変わり、対話が生まれたそうです。そのご家庭では、息子がゲームをやめず、「ゲームをやめなさい!」と毎日のようにケンカになっていました。

息子さんは、ゲームの話だけはよくお母さんにしていたそうです。でも、ゲームが嫌いなお母さんはゲームの話なんか聞きたくない。口を開けば、「いつまでやってるの!」「宿題は?」という小言や指示命令ばかりでした。

ある日、意を決して、子どものゲームの話を(我慢して)最後まで聞いたそうです。そうしたら、息子さんが「ねえねえ」と言って、面白い動画をお母さんに見せに来たそうです。その日、いつも反抗的な息子さんが素直に行動しはじめたのだとか。

そんなことは今まで一度もなかった、とお母さんはびっくり。子どもの話を受け止めただけで、親子の関係性が変わったんです。これで第1段階クリア! スタート地点に立ちました。

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匿名希望

「挫折に弱い子ども」と「強い子ども」の決定的差

以下(リンク)引用
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なぜ今の子どもたちや若者は失敗を恐れ、チャレンジしないかというと、失敗したら叱られる、失敗したら困るという経験値を持っているから。だから、失敗は子どもにとってピンチになってしまうのです。

大人ってずるいんです。「失敗してもいいよ」と口では言いながら、本当に失敗したら、怒ったり、怒らないまでもがっかりしたりする。その大人を子どもは全部見抜いています。どんな子も、です。見抜いていても口に出さないだけです。

例えば、失敗して大人にガーッと怒られたり説教されたりするでしょう。それで「わかったの?」って聞かれたら、「うん」と答える。黙って素直に聞いていれば早く終わるからです。

--------------中略--------------

●大人だって「失敗」してもいい
子どもにいちばん影響力があるのは、親です。親はいちばん身近にいる存在ですから。でも、安心してください。子どもだけでなく、大人だっていつからでも“やり直し”はできます。何といっても、大空小学校の校長として赴任してから、たくさんやり直しをしてきた私が言うんですから本当です。

この文章で、私が何でもできるように偉そうに語っているように見えたらごめんやで。

昔から決してこんなではありませんでした。もちろん、過去の私も一生懸命やってきましたよ。でも一生懸命やることがマルではないのです。

結局、子どもの事実がすべてなんですよ。教師であれば、目の前の子どもの姿、親であれば目の前の自分の子どもの姿。この事実が物語っているんです。

もう「一生懸命やった」とか「心を1つにして」みたいな言葉を使っている時代じゃないんです。

大人もたくさん失敗して、失敗を隠さず暴露するから、自分が変われる。失敗を隠したら変われません。

まず大人が失敗してやり直しをする姿。これを子どもが見たら、結果として子どもは失敗をチャンスに変えられるのです。

でも、大人が自分の失敗を隠して、子どもの失敗だけ責めて罰を与える。この子どもが大人になったら、残念ながら同じことをするでしょう。

子どもが失敗したときに大人がかける言葉はただひとつ。

「大丈夫?」

これだけです。あとはしゃべりません。大空小学校でも、これは徹底していました。失敗しても先生は怒らない。それを見ているから、先生がいないときに友だちが失敗しても、子ども同士で「大丈夫か?」と言えるんです。子どもは、必ず大人のまねをするんですよ。

逆に先生が失敗した子どもを怒っていたら、それを見ている子どもは、失敗したら怒られるから失敗しないようにする。つまり、自分の殻に閉じこもってチャレンジをしなくなります。

大空小学校で、あるお母ちゃんが「先生、うちの子ども、あかん」って急に言ってきたことがありました。

「どしたん?」と聞くと、そのご家庭ではごはんを食べるときにひじをつくな、という約束をしていた。でも、息子がひじをついて食べていて、おみそ汁をこぼした。

「ひじついてるからこぼしたんやろ。何回言ったらわかるの!!」とお母ちゃんはキレた。それで「先生、どうしたらええ?」って言うんです。

「こぼした後、どうしたの?」と私が聞くと、「じゅうたんも汚れるし、必死で拭いた」と。「あんた、最悪やな、それ」と私は答えました。

●子どもの失敗を叱ってはいけない
確かに彼はひじをついていたけれど、おみそ汁をこぼそうと思ってわざとついていたわけではない。ということは、おみそ汁をこぼしたことは、単なる子どもの失敗です。

「今度おみそ汁をこぼしたら、平然として『大丈夫?』でええねん」と。「大丈夫なわけないやろ」って子どもは言うかもしれないけど、大事なことは失敗を叱ることではなくて、自分がやってしまった失敗を自分でやり直す、この力をつけることです。

自分でこぼしたんだから自分で元に戻す、どうってことない、あんたの問題だからって平然としているのが大人の関わり方。怒るだけ怒って、結局親が片付ける。これが最悪なんです。

「大丈夫?」と声はかけるけど、大人は一切手伝わない。大人が覚悟して我慢する。

我慢するのが難しかったら最初から怒らないで、大人が全部片付けるほうがずっといい。でもね、ここで大人が我慢して、子どもがこれを成功体験として味わったら、ちゃんと学ぶんです。

大人は勝手なものです。今まで子どもが失敗したら怒る、あるいは先回りして失敗しないようにお膳立てしていたくせに、「これでは子どもが育たない」と気づいたら、急に「何でもチャレンジしてみたら?」などと言う。

「このままだと失敗しそうだな」というとき、この本に書いてあることを実践して、我慢して我慢して、「大丈夫?」と急に態度を変えた言葉かけをする。

それで子どもに「うるさいな」なんて言われようものなら、「私がこれだけ心配しているのに、なに、その言い方は! ありがとうくらい言えないの?」などと勝手にキレてしまう……。そしたら、それで終わりです。

●必要なのは「子どもに求めない覚悟」
親子でもこれまで築いてきた関係性があります。大人が変わっても、瞬時に関係性まで変わるとは限りません。

大人は覚悟を持たなければいけません。それは“相手に求めない覚悟”です。まず大人がチャレンジして行動する。大事なのはここ。大人もチャレンジする力が必要です。

大人が覚悟を持って変わったら、子どもは確実に変わる。ここは揺るぎない信頼を持っていてください。ただし、焦らない。

子どもが1分で変わるのか、半年なのか、1年、2年、場合によっては10年かかる場合もある。

それでも家庭なら、関わる大人(=親)の「大丈夫?」のひと言で子どもは安心してチャレンジする力をつけることができると思います。

 

 

 

 

真鍋一郎

辻希美さんが4人の子育て感じたこと。14歳の長女の反抗期に直面し…

リンク引用

12歳でモーニング娘。に加入し、2007年に当時19歳でデキちゃった婚を発表したタレントの辻希美さん。15年たった現在は、中学2年生の長女、小学5年生の長男、4年生の次男、そして2歳半の三男を育てる立派なママです。 そんな辻希美さんに子育てについてお話を伺いました。

辻希美さんにインタビュー

辻希美さんの子育ての流儀。4人育ててわかったこと
6月17日には、自身の34歳の誕生日と同時に子育てや夫婦関係を語った書籍『大好きな人と結婚した、その後。』(講談社刊)が発売になった辻さん。 杉浦太陽さんとの結婚から15年。ママゴト婚と呼ばれたのはもう昔で、4人育児をとおして見えた、辻ママのリアルな子育て事情を聞きました。

●経験から知った“比べない子育て”とは
――4人をしっかり育てるって、想像するだけでとても大変そうな印象です。まずは辻さんが子育てにおいて大切にしていることを教えてください。

辻さん:性格が一人ひとり違うので、比べないことをモットーにしています。 子どもって本当に性格がそれぞれ違うんです。長男ができないことも、次男がサラッとやることがあるし、得意分野も成長スピードも違います。また怒り方も、叱って聞くタイプと話を聞いて理解するタイプ、笑いながら話した方が納得するタイプとさまざまです。その子の性格とか成長スピードとかをなるべく理解し、合わせるように接しています。

――すてきな接し方ですが、これは4人育てるなかで、ご自身で見出していったのでしょうか。

辻さん:次男が生まれた頃に、明確に「それぞれ違うんだ」ということに気づいたと思います。1人目の育児は私も慣れないことが多く、育児書を読み「子どもってこうなんだ」と思い込み、それに振り回されていました。2人目はそうした経験から、「子どもってこうじゃないぞ」という疑問ももちつつ、でも「男女の違いのせいかなー」という気持ちもありました。 そして3人目になり、いよいよ長女とも長男とも違うぞとなり「子どもってそれぞれ違うんだ!」と核心に変わった感じです。

子育て情報は本当にたくさんありますが、私自身も月齢に沿ってできてないことがあると、不安になったことも多かったです。そういった経験から、今はあくまで参考程度に接しています。お母さんがプレッシャーを抱えることで、子どもがなにかできるようになるかといえば、そうじゃありませんよね。子どものペースがあると思うので、それを尊重することを大切にすれば、1つ1つの小さな問題はどうこうしようと思わなくなりました。

●やるべきことさえ守れば、あとは自由にトコトン
――子どものペースを尊重する辻ママの子育てスタイル。現在上の3人のお子さんは、それぞれ中学生や小学生となり、自分の世界も広がり始めている頃だと思います。そんな時、問題になってくるのがゲームやスマホとのつき合い方なのかもしれません。 こうした悩みを抱える親御さんも多いといいますが、杉浦家ではスマホやゲームのルールはあるのでしょうか。

辻さん:私はゲームが悪いことだとは思っていないんです。今はeスポーツもゲーム実況もある時代ですから、やり込めば仕事になる可能性があります。ただ学校の宿題とか、お風呂やご飯など、家族の流れは必ず守ってもらうようにしています。それさえ守ればあとは制限していません。

――そうすると、やる子は、ずーっとゲームをやってしまいませんか?

辻さん:そうですね。長男は本当にゲームが大好きで、自由な時間はずーっとゲームをしています。今ではPCでマウスとキーボードを駆使してゲームもするし、自分でプログラミングをつくったり、「マインクラフト」でもかなり難易度の高いことをやったりしているみたいです。

親としては、今後役に立つこともあるのかなと思っていますし、運動も勉強もあまり好きではないタイプみたいなので、夫婦で話し合って「活かせそうだよね」って結論に至ってからは、応援するようにしています。 ただし、目の使いすぎには注意しており、サポートはきちんとするようにしています。

●葛藤はありつつも、子どものペースを尊重
――徹底した個性を尊重した育児ですが、実際そうしたくても、心配になって口を出してしまう親御さんも多いように思います。いきつくまでに葛藤はなかったのでしょうか。

辻さん:もちろんありました。わが家でも、習い事は一通りやらせてみたんです。男の子は体力があり余っていたので、空手やダンス教室、水泳もやらせましたが、なにも吸収せず2年くらいがたっていきました。本人が興味をもっていないと、全然覚えないし上達もしないんだな、無駄なんだなってそこで気づきましたね(笑)。

――4人の子どもたちを、個性やペースを尊重して子育てに取り組む辻さん。長女は現在反抗期にも差しかかった頃だといいますが、初の経験はどう捉え、対応していっているのでしょう。

辻さん:本の制作時、まさに長女の反抗期が真っ只中にありました。小学校高学年頃から反抗期は始まっていたのですが、私が反抗期がなかったのでやはり手探りでした。ツンツンモードというか、放っておいてほしそうなオーラが出ている時は距離を保ち、食事で愛情を伝えるようにしました。

育児って、本当に全員が全員違うし、もっといえば、その日によっても違うということを学んでいるので、今回も長女のペースを尊重するようにしていました。 1人目の育児の際、参考書はたくさん読みましたが、それがすべてじゃないよって経験からも思いますし、声を大にして言いたいし、今の自分にも言い聞かせています。そうじゃないと、子育てってメンタルがしんどくなっていきますからね。

 

 

 

匿名希望

人類最大の危機 出生率減少をまだ軽視している

性の衰退、精子減衰

本当の人類危機に目をつむり、コロナやゴシップといった事実捨象→思考停止を推進するマスコミは何を考えているのでしょう。
いまこそ、現実の危機に目を向けるべきではないでしょうか。

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コロナなんかどうでも良い

世界が大騒ぎした新型コロナウイルスは最終的に約2億人が感染し、400万人以上がなくなると予想されています。
とても大きいようだがこの数字は第二次大戦の死者数合計約900万人(統計の取り方で大きく違う)の半分程度です。
毛沢東による大躍進政策の犠牲者は約3600万人、”14世紀の黒死病大流行では世界人口4億5000万人の22%にあたる1億人が死亡したと推計されている”(ウィキペディアから引用)
 
現代の世界人口は約78億人でコロナによる最終的な死者数が500万人に増えたとしても人口比で0.064%に過ぎません。
江戸時代には感染症の流行が13回あり、文久2(1862)年は江戸だけで7万人(各寺の報告では24万人)、安政5(1858)年のコレラは江戸で約3万人が死んだ(病が語る日本史 (講談社学術文庫) )
また奈良時代には天然痘のような病気で人口の20%がなくなり、京都に都を移す原因になったと言われている。
こうした例と比べてもコロナの被害は少なく、後世の歴史家は「コロナなんかどうでも良い」と言うかもしれません。

ところが過去の黒死病より遥かに大きな人口減少を起こす事態が進行しているのに、誰も関心を持っていません。
黒死病は多くの人が無くなりましたが、今度の人類の危機は出生率減少で、生まれる筈の子供が生まれなくなります。
原因は人類という制度の崩壊で、過去1000万年ほどの間、女が子供を産んで育て男が食べ物を持ち帰るという事をしてきました。
昔の男は狩りで獲物を捕まえたり食べ物を持ち帰り、女は子供を産んで育てて一生を終えた。
つい1万年ほど前まで人類の寿命は30歳未満だったので、急いで子供を産んで育てないと村はすぐ滅亡しました。


何もしなければ100年以内に日本人は絶滅する

現代では子供を産むのは社会的使命ではなく女性が選択するものになり、言ってしまえば趣味の一つのようになった。
子供を産むのは女性の趣味にすぎないので産む産まないは個人の勝手、欧米を中心に世界全部がこんな風になりました。
日本では子供を産む産まないの決定権は女性だけにあり、女性が「産まない」と言えば産ませることはできない。
反対に女性が「産む」と言えば男性が辞めさせることは出来ず、しかも養育費は男性が払う義務がある。
これでは子供を産むのは完全に女性の趣味であり、女性全員が「産まない」と言ったらその年は日本の出生数がゼロになります。
数百万年の間女性が子供を産んできたのはメリットがあったからで、子供を産んで一人前と認められ、家族や社会に加わることが出来た。
現代は仕事ができる女性が一人前で、子供を産もうが産むまいが個人の勝手という事になっています。
人類というシステムの崩壊で、偶然子供を産みたい女性がたくさん居れば人口が増えるが、そうなるかは完全に運まかせです。
これでは絶滅してしまうと言ってフランスや北欧では出産や育児や教育すべて無料にし、「子供を産むとメリットがありますよ」と政府が呼びかけている。
いずれ日本も出産、育児、教育すべてを無償化し、ついでに子供を産んだらお金を貰えたり税金免除せざるを得なくなります。
そうしなければ50年以内に日本の人口が半分になり、100年以内に日本人は絶滅するからです。
「女性の権利向上が悪いので、男尊女卑に戻せ」という意見は通りそうもないので、女性に『子供を産むメリット』を与えるしかない

 

 

 

匿名希望kk

子どもの「遊び負債」が勉強不足より遥かに怖い理由

新型コロナウィルスの影響で外出時間が減った今年、なんとなく日々重たいような気分を感じているという人も多いのではないでしょうか。
新型コロナウイルス禍でみえてくる現代の子どもの遊び環境の課題について、そもそも「遊び」の重要性を紹介します

リンクより

■遊びは「純粋で特殊な行為」
 私が喜びの研究を始めたとき、遊びの研究から始めるのが妥当な気がした。なぜなら幼少期の喜びあふれる思い出に、遊びを挙げる人がとても多かったからだ。(中略)

 遊びが記憶に深く刻み込まれるのにはわけがある。人間の活動の中で、喜びを得るためだけに行われるのは、遊びだけだと考えられているのだ。

 食事やセックスも快楽のために行われるが、その快楽はより大きな必要性──食事で栄養を摂り、セックスで種を繁栄させる──を満たすためにある。仕事で楽しみが得られることもあるが、その楽しみは一般にお金や技術の習得、承認、誰かが何かを生み出すのを助ける満足感といった成果と結びついている。

 他方、遊びの「成功」の唯一の判定基準は、喜びが得られたかどうかだ。そのため、遊びは軽薄で不要なものとして軽視されがちである。感情と同様、遊びも科学界ではあまり注目されてこなかった。

 だが最近では人間や動物の遊びに関する研究への関心が高まり、人間の生活で遊びが果たす重要な役割を指摘する研究報告が相次いでいる。

■「刑務所」を見てわかったこと
 非営利団体、全米遊び研究所の創設者である、82歳のスチュアート・ブラウンほど熱心に遊びを提唱している人はちょっと見当たらないだろう。

「遊びの必要性は、私たちの中にたしかにある」と、部屋に腰を落ち着けるとブラウンは言った。「遊ばないと困ったことになるよ」

 彼は意外な経験を通して、この結論にたどり着いた。

 以前、人を暴力行為に向かわせる要因を研究するために、テキサス州刑務所制度で有罪判決を受けた殺人犯の調査を行ったそうだ。

 ブラウンは同僚たちとともに、受刑者の生い立ちを徹底的に調べ、詳細な聞き取り調査を行い、受刑者の友人や家族からも話を聞き、これらの結果を非犯罪者からなる適切な対照群と比較した。そして、すべての情報を精査したところ、意外な共通項が見つかった。

「暴力的な犯罪者のほぼ全員が、子ども時代に十分遊ばなかったか、異常な遊びをしていた」とブラウンは言う。

 すぐカッとなる虐待的な親や、過酷なルールを押しつける厳格な親に育てられた人もいれば、社会的に孤立していた人もいた。さまざまな理由から、彼らの幼年時代には遊びが深刻に不足していたのだ。

 暴力行為の根本原因は、遺伝的素因から身体的虐待までさまざまだが、ブラウンは遊びの不足との潜在的な関連性に興味を引かれた。彼にはそれがとても意外に思われたからだ。だが遊びが社会的、感情的発達におよぼす影響を研究するうちに、より合点がいくようになったという。

 人は遊びを通してギブアンドテイクを練習し、思いやりや公正さを学ぶ。遊びは柔軟な思考と問題解決を促し、回復力(レジリエンス)と変化への適応力を高める。

 また私たちは遊ぶとき、時間感覚や自意識が薄れる。遊ぶことによって強力なフローの状態になり、日々の悩みを忘れてその瞬間の喜びに浸ることができるのだ。


■「遊び負債」をためてはいけない
 責任に縛られない子どもたちにとって、遊びの世界と現実生活は絡み合っている。いないいないばあの遊びや公園での散歩、親の用事への同行さえ、空想やたわむれの機会になる。だが大きくなると「ふざけるのはやめなさい」と言われ、休憩より宿題の時間が増え、喜びよりまじめさが求められることを知る。

 もちろん、ほとんどの人は大人になっても子ども心を忘れず、ときには枕投げをしたり、ジェットコースターに乗ったり、落ちてくる雪を舌で受け止めたりもする。

 だが子ども心を解放する機会はめったに訪れない。この目的志向の社会において、人は幼いころから、遊びへの自然な衝動を抑えつけられて育つと、ブラウンは指摘する。

「過剰に手出しする過保護な親がいたり、成績に対してご褒美を与えられたりして育つと、『遊び負債』が積み上がって、どんどん遊び心を発揮できなくなっていく」

 この「遊び負債」がとくに目立つのが、ブラウンが難関大学での講義で出会うエリート学生だという。今日の学生はかつてないほど知識豊富だが、自分から喜びを見出そうとしなくなっている。「文化にはもっと遊びが必要なんだ」と彼は物憂げに言った。(中略)


■遊びは心を「無防備」にする
 さまざまな組織、とくにテクノロジー系スタートアップや企業の研究開発グループなどが、創造性を高めようとして、幼稚園の教室や園庭にヒントを得たイノベーション空間を生み出している。

 明るい原色を使い、硬いフローリングの代わりにゴムのフロアマットやビロードのラグを敷き、持ち運べるカラフルなビーンバッグのソファや発泡体のキューブを置いている。階段代わりにロッククライミングの壁や滑り台を設置している企業もあるほどだ。

 この方法が効果を発揮するのは、「エネルギー」や「自由」など、ほかの喜びの美学を空間に取り入れているからでもある(「喜びの美学」については本書を参照)。

 遊び心が感じられるほとんどの場所は、この2つの美学を活用している。あふれんばかりのエネルギーと束縛されない自由は、ほとばしるような活力に満ちた遊び心を刺激するのだ。

 ただ、この手法にはマイナス面もある。長い間子ども心を忘れていた人は、そうした環境に圧倒されたり、見下されたような気持ちになることがある──職場環境ではなおさらだ。

 遊びは心を解放する一方で、心を無防備にもする。遊びは決まりきった日常に風穴を開けることによって、私たちを予測不可能な現実にさらすからだ。

 生涯ずっと遊びを大切にしてきた人は、遊び方によいも悪いもなく、自分のやりたいように遊べばいいとわかっているが、遊ばない人は、うまく遊べていないのではないかと不安になる。

 その結果、残念なことに、こうした大人の遊び場は、遊びたいという欲求に火をつけるどころか、逆に抵抗感を生むことがある。

 

 

 

 

 

松山恵実

「遊びを通した学び」における動物との連続性

子どもは遊びを通して様々な経験をし、仲間との関わり方やモノの扱い方などを学ぶ。他の霊長類と比べて成長期間が延長したヒトは、長い子ども期に遊びを通して様々なことを学ぶように進化してきたと考えられる。本研究の目的は、チンパンジーなどとの比較により、ヒトの遊びを通した学びの特徴を明らかにすることと、ヒトの進化における遊びの役割についての考察を通して、ヒトにとっての遊びの意義を再考することである。

人類の進化において教育制度が成立したのは、約700 万年の歴史の中ではごく最近のことである。近代的な教育制度の成立以前の長い期間には、組織的な教育によらない遊びを通した学びが重要な役割を果たしてきたと考えることができる。ホイジンガは、ヒトの文化は遊びとして生まれ発展したと考え、ヒトの本質を遊びに見出したが、本研究では遊びを通した学びの観点から、ヒトの社会の成立における遊びの意義を考えたい。

(1)「遊びを通した学び」における動物との連続性

まずはじめに、動物との共通性・連続性について確認する。

①動物の子どもにも「好奇心」がある:
オトナは保守的であるのに対して、未成熟個体は周囲の様々なものに興味を持ち、好奇心が探索的な遊びを引き起こす。

②動物の子どもにも遊びを通した様々な認知的な育ちがある:
チンパンジーの乳幼児は多様な遊びを通して、身の周りの環境の特性や環境との関わり方を学ぶ。たとえば移動運動遊びは、採食・狩猟などの場面で必要となる様々な運動能力や空間認知能力の発達につながるだろう。多様な物を用いた遊びは、物の保持・運搬や道具使用に必要な技術を学ぶ機会になっているだろう。また、レスリングやくすぐりなどの社会的遊びを通して、乳幼児は他者
との関わり方について様々なことを学ぶと考えられる。社会的遊びは、遊びの誘いや、いざこざの解決などの社会経験ももたらす。

③動物の子どもの遊びにおける非認知的能力:
動物の遊びでも、熱中・没頭や粘り強さといった非認知的能力が発揮される場面が見られる。石器を用いたナッツ割行動が知られるボッソウのチンパンジーは、3~5 歳頃まで自力でナッツを割ることができないが、うまくいかなくても繰り返し試行錯誤して挑戦し続ける。

④遊びを通した学びを支える「安全基地」:
子どもが遊びに熱中するためには、心理的に安心できる環境が必要である。多くの霊長類では、母ザルが子どもにとっての心理的な支えとなる。母ザルとの安定した愛着関係が形成されると、母ザルが「安全基地」となり、子どもは安心してそこから少し離れて周囲の環境の「探検」に熱中し、探索的遊びを通した学びの経験を積み重ねられる。

⑤遊びにおける社会的学習と遊びの文化:
野生チンパンジーには、特定の地域集団に特有の遊びの文化の例が知られているが、これらは子どもが他個体から社会的に学習したものだと考えられる。

⑥遊びによるイノベーション
遊びは、それぞれの子どもにとって「環境との新しい関わり方」を見つけていく過程だと捉えられる。そこで見つけられる行動は、既に群れの年長個体が修得したものであることが多いだろうが、新しい行動が生じることもある。このような例は、野生チンパンジーでもいくつか確認されている。

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プレイヤー

子ども達だけで行うスポーツごっこ遊び「なんちゃってスポーツ」ができる環境が重要

「スポーツ」と「運動」。健康的な子供に育ってほしい一心で、ついつい「スポーツができる環境・運動ができる場」を創ってしまいがち。はたまたどう体を使う窯で大人がしどうしてしまいます。

運動はスポーツだけでなく、遊びもその一つ!!
大人の監視下ではない場所で成長できる環境を創って上げることがこれからの大人の役目ですね。

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■多様な運動と多様なスポーツの違い

昨今、子どもの運動不足からくる不器用さが目立つようになってきました。
この問題解決には子どもが運動する場所の確保とその活動内容が重要となります。
公園で自由に遊ぶことのできない現代社会では、運動する場所の確保としてスポーツ教室が注目されるようになりました。
その結果スポーツ活動が盛んになり、スポーツすることで子どもの運動不足が解消できるという風潮になってしまったのです。

しかし、そのことはスポーツの早期専門化を助長し、成長期におけるスポーツ障害という新たな問題を引き起こすことになりました。
幼少期に「多用な運動をすること」と「多様なスポーツをすること」は同じではありません。
幼少期には身体の基本動作を取得し、思いのままに身体を操作できる感覚を養うことが大切です。
まず基礎運動能力を向上させるためには足だけの運動、手だけの運動ではなく全身的な能力を高めなければなりません。
そのために「多用な運動をすること」が求められているのです。

身体の発達が未熟な子どもには、本格的なスポーツをするための準備が整っていません。
そのような子どもがスポーツの技術を習得するのはとても困難なことです。
越えられない技術の壁は、子ども達の自己肯定感を下げてしまい運動離れの原因にも繋がります。
スポーツ技術は、身体を動かす基礎原理と応用する力の上に成り立っているとイメージして下さい。
幼少期にはスポーツをはじめる前にスポーツを楽しむことができるよう、しっかりとした土台を作ってあげることが指導者の役目なのです。

また、スポーツをすることは定式化された型を求められているものなので、適応行動が外からの要求に縛られ自発的行動が低くなります。
これでは、言われたことはできるが自分で道を切り開くことの苦手な子、すなわち指示待ち人間になってしまう可能性があります。

そこで私は、スポーツをするなら大人が関わらない場所あるいはコーチが指導をしない環境で、スポーツごっこをすることをオススメしています。
これをスポーツごっこ遊び「なんちゃってスポーツ」と私はよんでいます。

遊びで行われる活動は、身体の機能以上に負荷がかかることが少なく、スポーツ障害の防止にもなります。
子どもは成長するにしたがって、自力でできることが増えていきます。
するとその新しい力を使うことや、その力でできたことに強い興味を示します。

例えば、幼児がボールを手でつかんで投げることができるようになると、何度も繰り返しボールを投げ続けます。
さらに自分の力加減で転がり方が変わったり、壁当てをした時の跳ね返り方の因果関係を発見したりします。

つまり人間には生れながら自ら育つ力が備わっているのです。
子どもには「観察学習」という優れた能力が備わっています。
ごっこ遊びは「遅延模倣」という観察学習の一つです。
「遅延模倣」とは観察した行動を時間が経過した後に再現する能力のことです。

私たちが子どもの頃にはごっこ遊びができる環境がたくさんあり、子ども同士で考え創造する場があったので人工的にその場を作る必要はありませんでした。


■なんちゃってスポーツの重要性

昨今は大人の子どもへの関わりが過剰になりすぎて、どこへ行っても大人の監視下のもとで活動しています。
わかっちゃいるけど黙って見守ることができず、つい口を出してしまうという親も少なくありません。

また、スポーツが習い事化していることも悪い影響を与えています。
指導者は技術志向にはしり、いわゆる「先回り指導」が加速します。
このことは「教える」=「学ぶ」という早期専門化のモデルになってしまう可能性があります。
子どもには「快適」で「楽しい」という感情が沸き起こる遊びの中で「体験」=「学び」になってほしいと思います。
まずは身体を動かして自由に遊べる場所を増やし、子ども達だけで行うスポーツごっこ遊び「なんちゃってスポーツ」ができる環境があれば日本流のマルチスポーツが機能するかもしれません。

 

 

カニ