中学退学「東大ありき」受験に挑んだ少年の結末

親から強制的に受験勉強を強いられると、子供にどんな影響をもたらすのでしょうか。
小学校から大学まで、子供たちは常に強制圧力に押しつぶされそうになっているのだという現実に危機感を感じます!

以下引用抜粋
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都内のホテルのロビーに現れた男性は、さわやかな笑顔であいさつをしてくれた。現在は海外赴任中だという男性は田中剛さん(仮名・20代)。一時帰国を利用して、この取材に応じてくれた。「私なんかの経験が役に立ちますかね」と言いながらも、話し始めると、次々と当時の様子を言葉にしてくれた。
九州の名家の生まれだった母の敏子さん(仮名)は、一人息子の教育に情熱を燃やしていた。「あなたはおじいちゃまと同じ東大に入るのよ」。幼い頃から口癖のように息子に話しかけていた。
「祖父は東大出身の元官僚でその後、政治家になりました。母は東大ではありませんでしたが、小学校から大学の付属校という人でした。僕を自分が歩んできたのと同じようにしたかったんだと思います」(剛さん)
まず挑まされたのが小学校のお受験。幼児教室にも通い、抽選も無事に通過したものの、結果は不合格。その後は、すぐに中学受験に向けてのレールが敷かれ始めたという。

中略

「しょせんそのレベル」。入学を決めた後も、二言目にはこう漏らし、剛さんに高校受験でリベンジするようにとたたみかけたという。一方、剛さんのほうはというと、高校受験に挑む気持ちはさらさらなかった。入学した学校は普通に過ごせば大学まで上がれる。「もうこのままでいい」。だが、母親の東大への憧れの火が消えることはなかった。
中学に入るとすぐに高校入試のための塾に通塾を開始。本郷三丁目にある進度が速いことで有名な塾に通い始めた。母親が調べてきた情報によると、その塾は中1の段階で、中3までの数学と国語を終わらせるという。
入塾してみると確かに進度が速く、スパスパと単元が終わっていった。中2からはSAPIXに入塾、週3日の通塾生活を続けていた。幼い頃から塾に通い慣れているとはいえ、入学直後からのリベンジ通塾は、まだ幼さの残る中1の少年にとってはストレスだったのか。心の悲鳴はその後、意外な形で表れることになった。
「塾が嫌になってきて、夏期講習のときなんか、母親に内緒で塾に行く途中の電気屋でテレビを見て時間を潰し、帰ったこともありました。高校野球の中継とかを見てましたよ」
好きな野球も辞めさせられて、ひたすら勉強を強いられてきた日々。だが、母親に「受験はしたくない」と伝えることなどできなかった。「言ったところで、聞いてもらえませんから……」。
やり場のない気持ちが爆発したのか、中2の後半、剛少年は思わぬ行動を起こしてしまう。握りしめた拳で同級生を殴るようになった。相手は特定の1人。数カ月にわたり、繰り返し繰り返し、何も悪くないその子の腹をパンチした。傷は服に隠れて見えないため、いじめは中3になるまで周囲に気づかれなかった。
「本当に、なんであんなことをしたのか、彼には申し訳ないことをしました。本当に申し訳なかったなって思います」(剛さん)
悪いことは、いつかはバレる。標的となった少年が風呂に入ろうと服を脱いだとき、母親がお腹のアザに気づいた。母親は学校に連絡、剛少年のこれまでの悪行が白日の下にさらされた。こうして中学3年生の10月、剛少年は自主退学となった。
それでも、母・敏子さんはまったく動じる様子はない。「こんな学校、中退できてよかったのよ」。敏子さんの口からは思わぬ言葉が出てきたという。精一杯の強がりだったのか、敏子さんはそれ以上のことは言わなかった。


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引用文献: 東洋経済ONLINE「中学退学「東大ありき」受験に挑んだ少年の結末」より

 

 
ABC豆 

農業体験は技術を教えるのではなく、芸術性を感じてもらい命を感じる事

農業体験で捉えるものって何だろう?
体験内容を考えていると、どうしても「何の体験がいいか」に意識が偏ってしまいがち。
けど、農業こそ潜在思念で捉えるものが多いはず。
何を感じてもらいたい?
未明課題であるほどわくわくしますね!
その中でこの人の表現は、独特ですが農業を表現する1つの感性だと感じます。
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【農業体験は技術を教えるのではなく、芸術性を感じてもらい命を感じる事 リンク
以下引用


農業体験は技術を教えるのではなく、芸術性を感じてもらい命を感じる事

自然農法で体感している事は少年時代に夢中でボールを追いかけて

激しい練習も試合の為に鍛える感覚で苦しさもなく失敗しても成功するまで楽しんで取り組み目標に向かう感じです。

農作業で汗を流し厳しい暑さの中で吹く心地よい風、川の音や鳥の声聴きながら。

 育てた作物を出荷する喜びは幸せで食べてくれた方々が美味しかったと言ってくれた時はサッカーで優勝した時よりも嬉しいです。

現在、私達は多くの方々と交流農業体験イベントを開催しております、

このイベントを通じてより多くの方に太陽の光を浴びて土を触る幸せな感覚と私達の育てる野菜やお米が芸術品だと知ってもらっております。

自然農法が芸術とは?

まず大人も子供も人に喜んでもらえる作品を造る事ができる!
絵を書いたり粘土で作品を造る時にしっかりとイメージする。
食べてくれた人達が美味しいと言ってくれるイメージをしっかりもって種を蒔いていくのと同じです。

命の誕生と次世代に残す種(命)の引き継ぎを知る。

正常な土と触れ合う事で精神も身体も短期間で正常に整えられる。

 生きてきて今ままで一番幸せに感じて生きる事が出来ていて1日に何度かは天国に感じます。

 11年前から手術しなければならないはずの身体も自然農法を始めてからは病院に行く事もなく快調に来ています。

 現在まで感覚的には頑張っている感覚はまったく無く、目の前の事に楽しんで努力してるだけです。

 自然農法とは涙を流し苦しむ事ではありません。

 自分の出来る範囲で無理をせずに自分や家族が喜ぶ野菜をイメージして造る事が出来るものなのです。

 造る過程も自分が自然とのインスピレーションを大切にし自分の居る場所での風土を感じながら自分の感性で動くのです。

 私達は技術を見てもらうのではなく個性を活かした芸術を見てもらう感覚なのです。

どうしても教科書や説明書など答えが用意されている技術を学ぼうとする人や教えようとする人と思われますが答えはありません。

 始めて自然農法をする人も何年も自然農法をしている人も感動も喜びも同じです。

 

三上公平 

幼児へのプログラミング教育は本当に必要? 「優れたプログラマー」に育てるために、もっと重要なこと

プログラミング教育に限らず、英語教育なども含め、幼児教育に対する関心は高いが、最も大事なのは、本人に「そうしたい」という主体性が芽生える事。そのためには、マスコミや学校が言う事ではなく、世の中の事を良く知る事が大事

リンクより引用します。

※※※引用、以上※※※

小さな子どもにプログラミングを学習させることを目的としたロボットなど、さまざまな玩具が日々開発されている。しかし文字も読めない子どもに教えるべきは、プログラミングではない。子どもを優秀なプログラマーに育てるには、いち早く教えるべき「もっと重要なこと」がある。

(中略)

メリーランド州フロリダ州の議員たちは、コンピューター言語を使うプログラミングを学べば、高校卒業に必要な外国語の条件を満たしたことになると主張している。こうしたロジックを拡大するかたちで親たちは、子どもが早くからプログラミングに触れれば、それだけ堪能に使いこなせるようになると信じるようになってきている。

プログラミングは言語ではなく“スキル”

『WIRED』US版のガジェット担当としては、この流れを肌身で感じている。わたしたちの手元には、小さな子どもにプログラミングを学習させることを目的としたデヴァイスが、かつてないほど次々と届くのだ。

(中略)

実際にこの2年間、もうすぐ5歳になる娘をこのようなおもちゃに引き込もうと試みてきた。その経験から言いたいことがある。それは「こうしたものは気にしなくていい」ということだ。

プログラミングは言語ではなく、スキルである。よちよち歩きの子どもを英語とドイツ語と「Scratch」のトリリンガルにはできない。

親が感じる不安、つまり自分の子どもにできるだけ早くからプログラミングを始めさせたいという思いは、確かに共感できる。「成功したプログラマー=パーカーを着た20歳のミリオネア」という固定観念にしばられていると、自分の子どもが5歳までにアプリをつくれなければひどい仕打ちをしてしまったと悩むことになるだろう。

(中略)

プログラミング言語自然言語の違い

自然言語は単に事実を述べるだけではない。世界や人間の感情、欲望をいかに理解しているか、そしてわたしたちがどのようにして自らを人間とみなしているかを表現するものでもある。

「そのボールを投げてはいけない」と幼児に伝えるとき、社会の一員になることに関して、数え切れないほどのことを教えている。つまり、その言葉は単なる動詞の命令形ではない。人の顔に向かってボールを投げてはいけないこと、その腕の動かし方だとボールが速く飛んでしまうということ、あるいは大きなトラブルに巻き込まれそうなときに聞こえる声がどんなものなのか、といったことを教えているのだ。

コンピューターのコードはそんなふうに機能しない。幼児に向かって「C++」でコマンドを出せば適切なアウトプットが出てくる、なんてことはありえない。

(中略)

ソフトウェア開発者のジェフ・アトウッドは、大きな影響力をもった2012年のブログ投稿で、このように述べている。「一部の人にとって、正しい文脈においては、プログラミングは重要なものだと思います。でもそれは、ほかの多くのスキルも同じです。わたしはもう、あらゆる人にプログラミングを習得するよう勧めるつもりはありません。あらゆる人に配管作業を身につけるよう勧めるつもりがないのと同じです」

(中略)

教えるべき「もっと重要なこと」

未就学児を優れたプログラマーに育てるためのもっとシンプルな方法がある。まずは、独立心のあるきちんとした人間になるよう導くことだ。子どもが抱いた興味を追求させて、自ら課題に取り組み、自分で解決策を考えさせるようにしよう。デイド・マーフィーがコンピューターをクラッシュさせたのは、親からそうしろと言われたからではない。“そうしたい”と思ったからだ。

そして、協力の大切さも教えよう。一匹狼のハッカーが輝かしいとされる時代は終わった。現在は多くのソフトウェア開発者が大人数のチームで働いており、そこではあらゆる人々に対する共感と敬意が求められる。子どもたちに、わたしたちはみな互いからあらゆることを学べることを伝えてほしい。そして、ひとりで生きているような振る舞いをするのではなく、自らの行動や言葉が、自分自身や他者に影響を及ぼすことを教えよう。

最後に、我慢できないほどのイライラに直面したときの忍耐力についても教えたい。あなたの子どもが、丸太の上に四角い棒を置いてバランスをとろうとしているときに見せる集中力は、何千行ものコードをスクロールして、ひとつの構文エラーを見つけることにも発揮されるかもしれない。

このようなことこそが「地球をハックする」ための方法、あるいは地球をほんの少しでもよい場所にできるかもしれない方法なのだ。

※※※引用、以上※※※

 

野崎章

なぜ鉄道好きは頭がいいのか?

なぜ鉄道好きは頭がいいのか?名門・開成高校の鉄道研究部員に話を聞くリンクより引用

30年以上にわたって東大合格者数全国1位を誇る東京・開成学園。中学・高校の6年制(一部編入を除く)を敷く同校の中でも、50人以上が所属し、ひときわ大所帯となるのが鉄道研究部だ。歴史も大変長く、2019年で設立60周年を迎えている。「なぜ電車好きが賢いのか?」をテーマに、鉄道と勉強の因果関係を彼らのバックグラウンドからひもといてみた。(鉄道アナリスト 西上いつき)

■全員に共通するのは「幼少期からの興味の継続」

取材をさせてもらったのは、開成学園鉄道研究部の執行部メンバーでもある、松田くん、佐藤くん、中村くん、福田くんの4人。全員高校1年生だが、毎年9月に行われる文化祭をもって高校2年生が引退するので、今は彼ら1年生が部の中心の役割を担っている。
「鉄道研究部」というだけあって、電車好きであることは承知していたが、驚いたことに、4人に共通するのは皆が幼少期から電車に興味を持っていたということだ。小さい子どもが電車や乗り物が好きなことはよく知られており、最近では「子鉄」なる言葉も生まれているが、彼らも小さい頃から電車が大好きだった。それだけではなく、その興味を今もなお引き続き持っていることが大きな特徴だ。

模型チーフをつとめる福田くんは、「小さい頃から路線が好きで、路線について調べていると必然的に地理・地名に強くなりました。行ったことのないところでも路線図が浮かんできます。開成の受験時は国語・社会が得意科目となっており、その強さは鉄道に養ってもらいました」と語ってくれた。部長の佐藤くんは「幼少期から路線図を開いており、漢字や数字も身につけていました。電車に乗って全国を回ると、地理・歴史の授業などで出てくる地名に接することも多いです」と話す。それがきっかけとなり鉄道以外の書籍を読むことにもつながったともいう。

 会計担当の松田くんは、小さい頃から「時刻表鉄」。理系に進学したいとのことだ。「この列車がこの駅を何分に通過する、といったことから数字・計算に強くなっていきました」。
 また、豊田巧さん著の鉄道小説の人気シリーズ『電車で行こう!』も、鉄道を通した勉強への大きな助力となったそうで、鉄道への興味と勉強がリンクしているのだ。OBの中には、実際に鉄道の電気の仕組みが好きで部活で研究し、それが高じて工学系に進学した人もいるなど、部活で突き詰めたことを学問に昇華する例も少なくないという。
 このように鉄道がきっかけで地理・数字・歴史などに興味を持ち、それが学校での勉強や受験、さらには大学の進路にまで影響している。鉄道趣味というのは身近なのに奥が深く、幼い頃から何かに熱中する力を身につけるにはうってつけなものなのかもしれない。

『電車が好きな子はかしこくなる』(交通新聞社)の著者でもある福山市立大学・弘田陽介准教授は、「好きこそものの上手なれと古くから言われますよね。近年、国際的に幼児教育・保育の世界では、子どものかしこさを認知スキル(情報を吸収し出力するスキル)と社会情動スキル(自己や他者とうまく関わっていくスキル)に分けて捉えていますが、鉄道での遊びを通して、認知スキルに関しても、社会情動スキルに関してものびのびと学ぶことができます」と話す。無理に教えられたことではなく、自分の好きなことであるからこそ子どもの知識は深くなっていくという。

(引用終了)

 

 

 

藤井智子

素直と従順

素直と従順であることはよく混同されていますが、全く違います。

会社は、「素直な人材」は欲しいですが、ただ従順な人、すなわち「YESマン」はいりません。

いったい何が違うのか?

今日はそれについて考えてみたいと思います。

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「素直になることが大事」という意見を素直に聞けない子供は、この意味を「YESマンになれ」という意味と勘違いしているのではないでしょうか?
YESマンとは、精神的な奴隷です。

誰も奴隷にはなりたくありません。
自ら決めて主体的に行動したいという意志は、大人も子供も持っているからです。
ただ、そういう意志はあるものの、主体性を失ってしまった大人というのはたくさん存在します。

思春期に子供が反抗しはじめるのは、まさにこの「主体性」の目覚めに他なりません。
自分自身の行動を自分自身で決めるという、人として当然の欲求の自覚、そしてその権利を主張し始めるわけです。
幼少期は感情を爆発させることでしか表現出来なかった苦悩を、(まだ未熟ながらも)論理という道具を使って表現するようになります。
だから、幼少時のようには泣きません。
感情は論理という新しいはけ口を手に入れるのです。
「素直になりなさい」という言葉は、子供にとっては(ようやく自覚し始めた)自由を手に入れる権利を制限するものに聞こえてしまいます。
極端に言えば、ここで二つのタイプの子供が誕生します。
一人目は、親のいう事に何でも従う子供。
二人目は、親のいう事に反抗する子供です。
人として、正しく成長しているのは間違いなく後者です。
では、なぜ一人目は親のいう事に何でも従うのでしょう?
「親が怖い」、「親に嫌われるのが怖い」などなど、色々な事情があると思います。

塾で働いていると、こうした子供にはよく出会いますが、とにかく共通して言えるのは、親が正しい方向を向いていないということです。
正しい方向を向いていないとはどういう事かと言えば、世間体とか子供の進路とか、仕事上のトラブルとか、目の前の子供ではなく、別の方向に関心があるということです。
こうした場合、子供とは本当にかわいいもので、必死に親の目を自分に向けようとします。
そのために自分自身の「主体性」を殺すのです。
親の愛情が欲しいがために・・。

(略)

このままの状態では、いけません。
いけませんが、このままの状態で大人になってしまう人がたくさんいます。
会社では、自分の成績が悪いのを会社のせいにし、上司の言う事にはもっともらしい理屈をつけて反抗し、独自の解釈で自分を正当化し私用コピーなど犯罪とは呼べないまでも決して望ましいとは言えないような小悪を働く人です。
この精神的に未成熟なまま大人になってしまった人をY型人間と呼ぶことにします。
X型もY型も、社会人としては不適当です。
会社としては採用したくないタイプですね。
ところが、このY型人間。
自己主張や言い訳は上手なので、結構上手く立ち回っている人が数多く存在します。
皆さんの職場の上司や部下にもいるかもしれませんね。
生産的な人間ではないので、職場には不要なのですが、頻繁にみかけます。
いえ、それどころかX型とY型を合わせれば7割くらいになるかもしれません。
共通しているのは、仕事が楽しくなさそうだということです。
精神的に参っているか、愚痴ばっかり言っているかの違いはありますが・・。
もちろん、本人は幸せではありません。

さて・・・、X型でもなく、Y型でもない、前回お話したような「素直さ」を身につけた人間をここでは仮にZ型人間と呼ぶことにしましょう。
Z型人間がいいのは間違いないのですが、Z型人間になってもらうためには、子育て期、とりわけ反抗期の子供との接し方が重要になります。
どのように接すればいいのか?は残念ながら一言で表現することは出来ません。
出来ないから、このような小中学生の教育をテーマにしたブログを書いているわけです。
過去の記事の中からヒントを見つけていただきたいと思います。
ただ、最も重要な点をあえて一言で表現するなら、「人や環境のせいにしない」ようにさせることだと思います。
そのためには現実と向き合う勇気と強さが必要になります。
成年を迎えるまでは、肉体的にも精神的にもまだまだ弱い時期です。
そのための環境面、精神的な面でのフォローを惜しまないことが、親にとってはまず大切なことでしょう。

Z型人間とは、自らを取り巻く環境を客観的に見つめることが出来て、自らの意志によって正しい決断を下すことが出来る人間です。
環境に流されるままのX型人間とは決定的に異なります。
自らを客観視出来ず、あるべき方向に自分を方向付けできないY型人間とも異なります。
「素直さ」を持った人というのは、上のような意味で従順な人とも、ただ反抗的な人とも決定的に異なります。
従順ではなく、素直な人に。
自分自身についてもそうあり続けたいものです。

 

 

 

井垣義稀

「ことば」と「遊び」の関係とは?

リンク

子どもの発達に関する相談の中で最も多いのが「ことば」に関するものといわれます。そしてこの「ことば」の発達と遊び・おもちゃとは密接な関係があるのです。心理学者のルリアによると、「ことば」には3つの機能があります。

 

  1.コミュニケーションの手段
  2.思考の手段
  3.行動制御の手段
 

改めてこうして並べてみると「なるほど!」と思います。「ことば」とはコミュニケーションの道具としてだけではなく、「考えたり」「行動したり・制御したり」といった働きもします。最近は単なる返事としてしか「ことば」を使わない若者も増えていますが…

 

  「ことばで思考しない」
  「ことばで行動が制御できない」
 

それは下のグラフのように、小学生の暴力事件の激増にも現れています(文科省H19発表)。



中学生は20%増、高校生は5%増なので、小学生の37%はかなり突出しています。「目を離すとすぐにけんかになる」ため、おちおち職員室で休憩も取れないと嘆く先生たちの姿が報道されました。これは一体どうしたことなのでしょうか?各新聞には、小学校の先生のコメントが多数紹介されていました。

 

  「ちょっとした口論で顔を殴ってしまう」
  「いきなり顔を、なんて昔はあまり…」
  「言葉よりも先に手や足が出てしまう」
 

その原因を次のようにコメントする先生がいました。

 

  言葉でコミュニケーションをとる力が不足
  していて、すぐに手が出てしまうようだ…
 
 

今後の対策としては、気持ちの言語化やコミュニケーション能力の向上、感情を言葉で表現する工夫をしましょう、といった対策が打ち出されるものと推測できます。確かにそうした観点も見逃せないでしょう。

しかし果たして、言葉の使い方が下手あるいは不十分だから口より先に手が出てしまうのでしょうか?もしかしたら子どもたちは発達段階における適当な時期に、適当な「遊び」を十分してこなかったために今のような状況になったのかもしれません。



スイスのピアジェは「TIME誌が選ぶ20世紀の100人」にも選ばれた大変著名な心理学者です。ピアジェは子どもの行動を綿密に観察し続け、さまざまな提言を行いました。ピアジェは、子どもの知的発達段階を4つに分けました。そのうち0歳から2歳の最初の時期のことを、

 

  『感覚運動操作期』
 

命名しました。大変有名な言葉です。この年齢の子どもは言語を使って思考ができません。何でもいじってみて、触ってみてという行為を繰り返しながら思考している、というのです。

 

  2歳くらいまでは言語を使って思考できない
  手や身体を使って思考している
 

というわけです。何か突起物があれば押してみる。穴があれば指を入れてみる。考えてから操作するのではなく、操作自体が思考活動そのものなのです。

0歳~2歳の時期に「機能遊び」として手指を使った活動・遊びをたっぷりさせてあげることが、後の言葉の発達、さらには思考の発達に大いに影響するというわけです。しかしここで1つの疑問が起こります。

 

  もしピアジェの言う「感覚運動操作期」に
  手先を使うことをやっていないとしたら?
 

その前に「脳科学」の観点から考えてみましょう。

 

 

 

木戸康平

【ほめ方の研究】 生徒の知性をほめた時と、努力をほめた時の影響の違いは驚くほど大きい

リンク「より速く適切に学べる人」:その理由/より
物理学者のニールス・ボーアは、専門家とは「非常に狭い範囲で、生じうる間違いのすべてを経験した人」だと定義した。この警句は、学習というものの重要な教訓をまとめている。つまり、人は何度も何度も間違いをおかすことで、正しいやり方を学ぶということだ。教育とは、数々の間違いから搾り取られた知恵のことなのだ。

このことを示す新しい研究が、次号の『Psychological Science』で発表される。ミシガン州立大学のジェイソン・モーザーが率いた研究で、「間違いから適切に学ぶ」人々はそうでない人とどう違うのかを明らかにしようとするものだ。

結局、誰もが失敗する。重要なのは、失敗の次に起こることだ。われわれは自分のプライドを守るために失敗を無視し、なかったことにするだろうか。それとも、われわれは間違いを調べ、どこで失敗したかを学ぼうとするだろうか。

(略)

モーザー氏らは今回の実験を、スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドゥエックの概念を使うかたちで構成した。ドゥエック氏は、大きな影響を与えた研究[邦訳『「やればできる!」の研究――能力を開花させるマインドセットの力』草思社刊]の中で、知能に対する人間の姿勢(マインドセット)を2種類に分けている。

ひとつは、「自分の知能レベルはこのくらいであり、ほとんど変えることはできない」という固定的な姿勢(fixed mindset)、もうひとつは、「必要な時間とエネルギーさえ費やせば、ほぼどんな能力も伸ばすことができる」という成長志向の姿勢(growth mindset)だ。固定的な姿勢をもつ人は、間違いを「ぶざまな失敗」とみなし、与えられた課題に対して自分に十分な能力がない証拠だと考える。一方、成長志向の姿勢をもつ人は、間違いを、知識を得るために必要な前段階、学びの原動力ととらえる。

今回のモーザー氏の実験によると、成長志向の姿勢をもつ被験者は、間違いから学ぶ能力が有意に高いことが明らかになった。間違いをおかした後で正答率が急上昇したのだ。それ以上に興味深いのは脳波計のデータで、成長志向の姿勢をもつ被験者のほうが、はるかに大きなエラー陽性電位(Pe)を示した。極度に固定的な姿勢をもつ被験者では、Peの振幅の値が5前後であったのに対し、成長志向の姿勢をもつ被験者は15近くあった。これは、後者において、間違いに対する注意力が高まったことを示す。さらにPeの増大は、エラー後の成績上昇ときれいに相関しており、注意力の高まりが成績に有益な効果をもたらしたことを示している。

ドゥエック氏の最もよく知られた研究は、クローディア・ミューラーとともに、ニューヨーク市内の12の学校で行ったものだ。研究では、5年生400人あまりに、言語を用いない比較的やさしいパズルを課題として与えた。テスト終了後、研究者たちは生徒たちに点数を伝え、簡潔な言葉でほめた。半分の生徒には彼らの知性をほめた(「あなたは頭がいいんだね」)。残りの半分には彼らの努力をほめた(「一生懸命やったね」)。

ドゥエック氏は最初、このほめ方の違いが大きな違いを生み出すとは考えていなかった。しょせん言葉にすぎないからだ。しかし実験の結果、5年生に与えられたほめ言葉に劇的な影響力があることがわかった。

まずは、最初の生徒たちにまた別のテストを2種類与え、生徒たち自身にどちらか好きなほうを選ばせた。ひとつは最初のものより難しいパズルだが、やればとても勉強になると説明された。もうひとつは、最初のものと同様の簡単なテストだ。努力をほめられた子どもたちは、90%近くが、難しいほうのパズルを選択した。一方、賢さをほめられた子どもたちは、ほとんどが簡単なほうのテストを選んだ。ドゥエック氏によると、知性をほめられた子どもは、自分を賢く「見せる」ことに気持ちを向けるようになり、間違いをおかすリスクをとれなくなるのだと説明している。

次に、もっと難度の高いテストが与えられた(5年生に対して8年生向けのテストが与えられた)。賢さをほめられた生徒たちはすぐ挫折してしまったが、努力をほめられた生徒たちは、このテストに熱心に取り組んだ。そして、このテストを受けた後で、両群の生徒たちは、成績が自分より低かった生徒と高かった生徒のうち、どちらかのテスト用紙を見る選択肢を与えられた。

賢さをほめられた生徒たちは、ほぼ全員が、自分よりテストの出来が悪かった生徒と自分を比較することで、自尊心を強化するほうを選んだ。これに対し、努力をほめられた生徒たちは、自分より成績のよかったテストを見るほうを選ぶ確率が高かった。彼らは失敗を理解し、失敗から学び、よりよい方法を編み出したいと思ったのだ。

最後に、最初のテストと同様の難易度であるテストが行われた。努力をほめられた生徒たちは、テスト結果が有意に上昇し、平均スコアが30%伸びた。彼らは、たとえ最初は失敗しても挑戦することを望んだので、より高い成績を得たのだ。この結果をさらに際立たせるのが、最初にランダムに「賢い」グループとされた生徒たちのスコアだ。こちらは前回から20%近くも低下した。失敗の経験でやる気をくじかれた「賢い」生徒たちは、実際に退歩してしまったのだ。

生徒の「賢さ」をほめることの問題は、教育というものの心理学的なリアリティを誤った形で示すことにある。それは、「間違いから学ぶ」という最も有益な学習活動を避けさせてしまう。間違いをおかすことで生じる不愉快な反応を経験しない限り、われわれの脳が既存のモデルを修正することはない。いつまでも同じ間違いをおかし、自信を傷つけないために、自らを成長させる機会を逃し続けるのだ。

サミュエル・ベケットは適切にもこう言っていた。「試してみたら失敗した。それがどうしたというのだ。もう一度試せ。もう一度失敗し、よりよく失敗するのだ」

 

 

 

松山恵実