共感しながらありのままを聴こう!子供の話の聞き方のコツ(傾聴)

子供の話をちゃんと聞いているつもりでも「全然聞いていない!!」
と言われてしまうのはなぜでしょう?
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子育てコーチングを学ぶブログ リンク より引用します。

子どもが話を聴いてくれない
・話をしても言い争いになってしまう
・子どもが学校での出来事を話してくれない

このように、子どもとうまく話ができていないと悩んでいるお父さん・お母さんも多いのではないでしょうか?

親としてどうしても伝えなきゃいけない。しつけとして必要なこと。でも、なかなか伝わらない。

そして、何も話してくれない。

その原因は話し方ではなく聴き方に問題があったのです。

◆人は話を聴いてもらえていない
・旦那さん奥さん上司に話を聴いてもらえない
・相手が一方的に話して
・相手が納得して
・相手が満足して終わり…

このような経験ありませんか?
その時の皆さんの気持ちはどうでしたか?
・私の意見を聞いてもらえなかった…
・気持ちを聴いてほしかった…
・もっと話したいことがあったのに…
と思ったはずです。
そして、相手の話を素直に納得できましたか?
きっと、納得感もなく、不平不満しか残らなかったと思います。
これと同じようなことが、逆の立場で子どもとの間で行われていませんか?
特に子どもを叱ったりする時、親の言いたいことを一方的に言っていませんか?
子どもにだって子どもなりの理由があります。
大人から見たら、くだらない理由かもしれません。
でも、子ども達も自分の気持ちを聴いてもらえなかった…と思っているはずです。

(中略)

◆話を聴く最大のコツはただ聴くこと
話を聴く最大のコツはただ聴くことです。
しかし、この聴くことが意外とむずかしいのです。

ただ聴くためにしてはいけないこと2選
1.途中で子どもの話を遮る
2.余計なコメントやアドバイスは逆効果

話の途中で「絶対に〇〇した方が良いのになぁ」と考えが浮かんでも、子どもの話を途中で遮ってはいけません。
なぜなら、子どもは「話を聴いてくれない」「否定された」と感じてしまうかもしれないからです。
そもそもアドバイスを求めているわけでありません。
皆さんもムカつく上司から話を遮られたら腹立ちますよね?(笑)
子どもたちもただ聴いてほしいのです。
「そう思ってるんだね」「そう感じてるんだね」と共感しましょう。
求められ時が、アドバイスをするタイミングです。

◆子どもの話を共感して聴こう(子どもの話を受け取ろう)
子どもの話を共感して聴くとは何か?
それは相手の話を否定せず最後まで受け取って聴くことです。
まずダメな例をご紹介します。このような会話をしていませんか?
ダメな例①
今日のご飯何食べたい?なんでもいいよ!
ラーメン!
それは昨日も食べたからダメ!
なんでもいいって言ったじゃん!!

ダメな例②
習い事やめたいんだ
何言ってんの?自分からやりたいって言ったんだしょ!最後までやりなさいよ!
うるさいな!ママに相談するんじゃなかった!!

よくある会話ではないでしょうか
①の会話では子どもの話を否定しますし、②の会話は話を聴くつもりがなく、会話を終わらせようとしていますね。
このようなコミュニケーションを繰り返していたら、いつか子どもは「どうせ自分の意見を言ったって、否定されるし、ちゃんと聴いてくれないからな…」と本音を言ってくれなくなります。
それでは受け取っている例をご紹介します

良い例①
今日のご飯何食べたい?なんでもいいよ!
ラーメン!
(昨日もラーメンだったけど…なんでもいいよって言っちゃったしな)
ラーメン食べたいんだね。うん、ラーメンにしよう!

なんでもいいよと言ったのであれば、どんな内容でも受け入れる覚悟を持ちましょう。
または「昨日もラーメンだったし、健康のためにもっとバランスの取れたものから選んでもらえるとうれしいなぁ」とIメッセージを使って自分の思いを伝えるのも良いでしょう。

子どもの話を受けとり、共感している良い例②

良い例②
習い事やめたいんだ
やめたいんだね。何があったの?
実は…

まず子どもの「やめたい」という気持ちを肯定も否定もせず、ただ受け取りることが大切です。
そして、その理由を「何があったの?」と事実だけを聴くようにしましょう。
もしかしたら、友人関係のトラブルがあったかもしれないし、他にやりたいことが見つかったと言ってくれるのかもしれません。
しっかり受けとり共感することで、相手が話しやすい雰囲気が作れます。
話を受けとめてくれたと思った時に心が開くのです。

◆聴いてもらえることで自分で気づくことができる
「どうしたらいいか悩んでいるんだよね。あ、でも、こうしたらいいのかも!」
悩みや相談を聴いてもらえると、言いたいことがどんどん出てきて、どんどんアイディアが湧き、勝手に自己解決しちゃうときがあると思います。
皆さんも経験あるのではないでしょうか。
自分の耳で聴いて、はじめて「こうすればいいのか!」「自分でこんなこと思っていたんだ!」と自分自身で気づくことがあります。
つまり、話を聴いてくれる人がいると自分自身との対話ができるようになるのです。

◆子どもの自己肯定感が上がる
人は自分で気づいた考えに人は責任を持って行動することができます。
やらされ感ではなく、自発的意志からの行動だからこそ、さらに創意工夫できるし、困難にも粘り強く取り組める。
たとえ上手くいかなかったとしても、経験を糧にして次に進めます。
もし、人からのアドバイスを納得しないまま取り組んで、失敗したら人のせいにして終わるのではないでしょうか。
自分自身で考え決めて行動するからこそ、上手くいってもいかなくても、そこから学び成長できる。
つまり、これは子どもの自己肯定感の向上にもつながっているのです。
このように、ただ聴くことによって、人の大きな可能性を引き出すことができます。
まさに、コーチングの本質とも言えますね。
なお、このような話の聞き方のスキルを傾聴ともいいます。

 

(がらがらどん♪)

人類はそもそもみんなで子育てをするようにできている。

女集団という言葉にどんなイメージを抱きますか?

怖い?めんどくさい?表層的?

本来は、女たちがつながればつながるほど、集団は安定するもの。

女同士でいがみ合ったり、責めたりしているようでは、滅亡種でしかありません。

では、女たちは何を軸につながっていくのでしょうか?

基盤にあるのは、次世代の宝である子どもたちをどう育てるか?

子育てを通じて、女たちはつながり、集団を形成していくんじゃないかと思います。

みんなで子育てをすることの大事さを感じていきましょう!

リンク
より引用します。

赤ちゃんはみんなで育てるもの。わかってないのは、日本人だけかもしれない。~NHKスペシャル「ママたちが非常事態!?」を見た

人類はそもそも、共同養育で子育てをするように進化論上できているのに、核家族はその摂理に合っていない。

(中略)

さて番組では、ママたちがなぜ孤独と不安を抱えてしまうかを、こう説明していた。

カメルーン奥地のバカ族(この名前にツッコミ入れたくなるがスルーしてほしい)はかなり人類の原初的な生活をしている。ものすごく子だくさんで生涯に11人子どもを産んだ女性もいる。人類にもっとも近いチンパンジーの母親は5年に一人しか産んで育てられないが、バカ族は毎年くらいの勢いで出産する。人類はこれを可能にしたので類人猿より繁栄したという。

チンパンジーの母親は、自分が産んだ子どもを単独で育てる。だからたくさん産めない。一方バカ族では、たくさんの子どもたちの育児を母親がひとりで抱え込んだりしない。気軽に部族の他の女性に託す。人の子どもも自分の子どものように育てるのが当たり前な状況だ。「共同養育」と番組では呼んでいた。みんなで面倒を見るから、たくさん産んでも育てられるのだ。

さて女性は妊娠するとエストロゲンというホルモンを分泌して安らかな気持ちになれるが、出産するとこれが急減する。だから不安になりがちになるのだが、共同養育をしていれば不安はなくなる。エストロゲンの減少は、共同養育に母親をうながす仕組みではないか、と番組では推測していた。

一方ニッポンの子育ては核家族で、夫も働きづめで共同養育どころではない。母親一人で子育てを背負い込むので孤独になってしまう。人類はそもそも、共同養育で子育てをするように進化論上できているのに、核家族はその摂理に合っていない。そんな内容だった。

番組のこのメッセージを、ぼくが取材してきた上記のママさんたちの活動と照らし合わせると、なるほどなるほど!と何度もうなずいて納得してしまった。

ぼくが取材した自主保育も、共同保育も、asobi基地も、赤ちゃんプロジェクトも、アズママも、どれもが言わばそれぞれなりの「共同養育」だったのだ。ひとりで抱え込むと大変だし精神衛生もよくないから、みんなで一緒にやりましょうよ。ひとつひとつ形は違うが、要するにそういう活動だった。
それぞれの参加者のママさんたちの顔を思い浮かべると、みんなみんな、輝いて楽しそうな表情をしていた。エストロゲンの減少なんのその。みんなで一緒に子どもたちを育てればこんなに毎日が楽しい。そんな空気に包まれていた。

そこには、育児の不安も孤独もない。悩んだら仲間に話せばいいし、行き詰まったら仲間に少しの時間でも子どもを面倒見てもらえばいい。
番組を見て、それがいかに生物たる人間として自然なことかがわかった。

いまの日本の状況は、核家族が基本になっているので、そこを見直したほうがいいのかもしれない。あるいは、そこを補う仕組みをもっと社会で用意するべきかもしれないのだ。

加えて言うなら、なぜ日本の子育てだけが孤独なのだろう。以下は番組を離れて、ぼくが考えたことだ。
まず男性が子育てに関われていない状況は大きい。これは男性も子育てすべきという社会教育がまったくないのが主因だろう。それを日本の伝統とするのは思い込みだ。江戸時代は侍も含めて男性も子育てに大いに関わったらしい。伝統のせいにするのは大きな誤解だ。
だがそれも含めて大きいのは、そもそも社会が子育てをないがしろにしているせいだと思う。子育ての価値をきちんと認識せず、それより企業社会の経済活動を優先し、それが当然という顔をして、子どもなんて女房どもにまかせておけばいいのだと、社会全体が考えているからだ。そしてどうやら、そんな国は日本だけらしいのだ。

欧米が日本同様少子化に陥りかけたあと、それを克服しつつあるのはなぜだろう。少子化が顕在化した時、これはいかんと社会の仕組みを大きく変えたからだ。これはいかんとパッと思えたのは、子どもが社会にとっていちばん大事なのだという共通認識があったからだろう。

日本では満員電車にベビーカーで乗るべきではないとかいう議論が巻き起こる。それはつまり、人類みんながわかっている「子どもはみんなで育てるもの」ということが日本だけ常識になってないからだ。

人類を繁栄させてきたのは、たくさん子どもを産んでそれをみんなで育てる、というチンパンジーにはない種の文化を持てたからなのに、日本人だけその文化を無くしてしまったのだ。公共の場に赤ちゃんを連れてくるのはいかがなものか。そんなことが大まじめに議論されるのは、日本人が人類としての長所を失ったからなのだ。人口が減るのも当然かもしれない。

子育てを社会の真ん中にすえなければならない。古今東西人類のあらゆる社会は、子育てを中心にすえて物事を考えていたのに日本人だけそうじゃない。そのことをぼくたちは、自覚する時だと思う。

 

(匿名希望)

子どもにどんなお手伝いをしてもらうとよいのか

子どもにどんなお手伝いをしてもらうとよいのか
リンク

以下引用
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子どもにお手伝いをさせたいけれど、どのようなことをさせればいいのか分からないという保護者の方も多いのではないでしょうか。お手伝いは子どもの健やかな成長を促します。それならできるだけ楽しくできて、そして習慣習慣として身に着いたらうれしいですよね。

けれども、保護者の方としてはお手伝いの種類だけではなく、「お手伝いできたらお小遣いをあげた方がいいの?」「料理のお手伝いは何歳から?」「うまくお手伝いしてくれなくてこまってしまう…」など、気になることや悩みが次から次へと出てくるものです。

そこで今回は、子どもにしてもらいたいおすすめのお手伝いを年齢別に、そしてお手伝いをしてもらうときに保護者の方に注意していただきたいことまで、まとめてご紹介いたします。
 
子どもに合ったお手伝い選びをし、保護者の方がほんの少しお手伝いに対する意識を変えるだけで、子どもの心身は発達していきますよ。

子どものお手伝いはいつから始める?
お手伝いは、意思の疎通が取れるようになった1~2歳の年齢から始めさせる人が多いです。そうとはいえ、2~3歳はイヤイヤ期と重なる時期なのでうまくいかずに苦戦することがあるかもしれません。しかし、この年齢は好奇心旺盛な時期でもあるので、保護者の方は辛抱強く向き合うことが重要になってきます。

そして、お手伝いができるようになってきたら、子どもに合わせて少しずつレベルアップしていきましょう。5~6歳では道具を使ったものにチャレンジし、7歳以上は子どもだけに任せる機会を増やしていくと子どもの成長につながりますよ。

子どもにお手伝いしてもらうのは面倒…という保護者は多い
「子どもにお手伝いをしてもらった方がいいのは分かるけど、正直面倒臭い…」という保護者の方が多いのは事実。子どもに教えるのがおっくう、子どもにさせるより自分でやった方が早く終わる、忙しいときに失敗されるとイライラしてしまうなど、お手伝いをさせたくないという保護者の方にもさまざまな事情がありますよね。

特に、共働き家庭では朝から晩までアクセル全開で家事や育児、仕事に追われているもの。ある程度、時間と気持ちに余裕がなければ子どもにお手伝いをしてもらう機会を作るのは、難しいかもしれません。

しかし、子どもがお手伝いから得られることはたくさんあります。保護者の方には負担がかかりますが、それ以上に子どもにはメリットが多くあるので、少しの時間でもお手伝いをしてもらう機会を作ってみてはいかがでしょうか。

 (中略)

子どもにお手伝いをしてもらうときの3つの注意点
子どもにお手伝いをしてもらうときは、3つのことに注意しなければなりません。保護者の方の気持ちと行動が、子どもの成長に良くも悪くも影響を与えてしまうものです。

①  失敗しても怒らない
子どもがお手伝いを失敗しても怒らないことが大切です。
子どものお手伝いには失敗がつきもの。それは分かっているつもりだけど、イライラしてしまう…ということはあるでしょう。しかし、失敗から得るものは多くあります。これは保護者の方も同じこと。どうやって教えるといいのか、うまくできるようにするにはどのような工夫が必要か、など子どもと一緒に考えていきましょう。
子どもに完璧を求めないことがお手伝いを楽しく、習慣化させる鍵となります。

②  強制しない
お手伝いを強制するのは止めましょう。また、罰としてお手伝いをさせるのも控えた方がよさそうです。これらをしてしまうと、子どもはお手伝いに対して嫌なものだというマイナスイメージを持ってしまいます。この状態では、楽しく習慣化させることはできませんよね。
家事は家族のために大切なこと。必要性を伝えるためにも、マイナスイメージを持たせないよう配慮しましょう。

③  じっくり待つ
お手伝いに焦りは禁物です。子どもにお手伝いをしてもらうときは、時間に余裕があるときにしましょう。保護者の方が忙しいときにしてしまうと、少しの失敗でもイライラしたり、我慢できずに途中で中断させてしまうことがあります。子どもは焦らされると余計にうまくいかなくなりますし、自信喪失しますよね。
これではお手伝いから何も得ることができません。忙しい時間帯を避けて、じっくり向き合える時間帯でお手伝いをしてもらいましょうね。

まとめ
子どもにお手伝いをさせるときは、子どもの年齢や成長に合わせたものをチャレンジさせるといいでしょう。年齢が低い子は、遊びを交えながら保護者の方と一緒に行い、成長するにつれてお手伝いの内容をレベルアップしていくのです。次第に責任感が芽生え、家事の必要性を理解するようになります。そして、自主的にお手伝いをしてくれるようになるでしょう。

お手伝いは、保護者の方の手伝いをするというだけではなく、大人になり生活していくうえで必要な自立心を養う大切な行為です。保護者の方には負担がかかるかもしれませんが、子どもの健やかな成長を促すためにもぜひ、お手伝いの機会を作りましょう。お手伝いから得られる効果は大きいですよ。

(引用以上)

 

(光大)

スキンシップは子育ての基本

以下リンク
オキシトシンは親の側にも安らぎやストレス解消といった恩恵を与えてくれます。おもしろいのは両親では触り方によって分泌量が異なることです。母親は子どもに優しく触れたり抱っこで分泌しますが、父親の場合は優しく触れてもあまり出ません。体を動かしながら少し刺激的な触れ方のほうが出るのです。「お母さんは優しく、お父さんは元気に」。それぞれが自然なかたちで子どもと触れ合えばいいのです。
 母親は子どもをぎゅっと抱きしめたり、寝る前になでてあげるなど安らぎのスキンシップが効果的です。父親にすすめたいのは体遊びを兼ねたスキンシップです。子どもの年令に合わせて、肩ぐるまやお馬さんごっこなどはいかがでしょう。
 私にも10才と4才の女の子がいますが、たとえば、両手をつなぎ合い、私の体に脚で登らせたり、こちょこちょ遊びなどもよくやります。子どものためとはいえ、私自身も童心に返れるし、ストレス発散にもなるので楽しんで触れ合っています。
 それから、母親のスキンシップは子どもの情緒を安定させ、父親が行うと社会性の高い子に育ちやすいという傾向もみられます。やはり子育てには両親の役割分担があるようです。

最近はベビーカーや海外製の抱っこひもで外出する親子をよく見かけます。でも、実はこれ、親と子の距離が離れています。親は楽かもしれませんが、スキンシップという面からみると効果的ではありません。むしろ、昔ながらのへこ帯を使ったおんぶのほうが、肌が密着してよいスキンシップになります。
 そんな問題意識から、私は最近、仲間たちと「抱き方講座」(*3)をはじめました。子育て支援のスタッフなどを対象に正しい抱っこや上手なおんぶの仕方を教えています。子どもには母親が生身でしっかりと関わってあげることが大切です。「愛しているよ」と100回言うよりも、ぎゅっと1回抱きしめてあげるほうが何倍も効果的です。赤ちゃんや幼児には言葉の意味はよくわかりません。でも、抱きしめられたときの温もりは体の感覚として理解でき、心が安らぐのです。

 最近は働くお母さんも多いので難しいと感じる方も多いかもしれませんが、実は「ちょい抱き」でも十分効果があります。一時間に一回程度、子どもの目を見ながら優しく抱っこしてあげると、10~15分ほどで子どものオキシトシン分泌量がピークになり、その後しばらくは触れなくても大丈夫です。そして、オキシトシンが減ってくる一時間後くらいに再びちょい抱きしてあげれば、オキシトシンが高い状態を維持できます。
 それに、スキンシップ効果が高いのは朝よりも副交感神経が優位になる夕方以降です。帰宅後に「ちょい抱き」の時間をもちましょう。短時間でも心をこめた密度の濃い触れ合いならきっと子どもに伝わります。肩ひじ張らず、でもしっかりと、日々の暮らしに親子のスキンシップを取り入れてください。

 

(匿名希望)

砂遊びは皮膚感覚・本能を鍛える歴史的に発達してきた遊び環境。

皮膚感覚・親和機能を鍛える遊びとはどんなものがあるか。
今回は「砂遊び」に着目してみた。
砂遊びは、皮膚感覚と自発的創造性を鍛えると共に、自然との一体化、真似充足本能とも関連した、本能を鍛える最適な遊び空間であることがわかった。

以下サイトリンクより抜粋
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1.なぜ、砂遊びか(歴史的視点)
かつてドイツには「砂は最良のエデュケーター」という言葉があった。
いわゆる砂場の原初的な姿は、今からおよそ 200 年前のドイツにさかのぼることができる。原初的な姿というのは、それが最初から子どもの砂遊びを目的に作られたかどうかは定かでなく、幼児学校の園庭を覆う敷き砂
が結果として子どもの遊びの対象と思われるからだ。
ドイツで砂遊びを本格的な子どもの保育活動に取り入れたシュラーダー・ブライマンという女性は、砂遊びのもっとも重要な意義を
「自由な遊び」であるとした。つまり、子どもたちは自分自身のなかに遊ぶ力を持っており、それが砂遊びにおいて大いに発揮されるというのである。

(2)アメリカの砂場とプレイグラウンド運動
砂場はやがてドイツからアメリカに伝わる。砂場には多くの子どもたちが集まり、砂を掘り、山をつくり、歌を歌い、楽しく遊んで家に帰ってい
った。それまで問題行動も多かった子どもたちが、有り余るエネルギーを遊びを通して健康的に発散していくことに、大人たちは大きな価値を見出した。これが後にプレイグラウンド・ムーブメントと呼ばれた画期的な遊び場設置運動の始まりである。
「砂あそびには、勤勉な努力、見通しをもった運営、道徳、地理、数学等のあらゆる教科の要素が含まれている。もしもそれらがバラバラに、学校の課業のように教えられたとしたら、結果は無駄が多
く、混乱したものとなってしまうだろう。ここには完全な精神の健康と統一がある。バラバラで魂を崩壊させるような学校のカリキュラムが与える以上の多様な内容が含まれている。多様な興味と活動を統合させる砂遊びは、教育として理想的である。」

(3)日本における砂場
同時期、日本に広がり始めた児童公園においても徐々に砂場が設置されていく。大正期には砂遊びに対する新たな視点も見受けられる。先の附属幼稚園の主事で日本の幼児教育の礎を築いたともいわれる倉橋惣三は、砂遊びを自然物との接触という点からもとらえていた。曰く「都会幼稚園の幼児に、つとめて自然物に接せしめたいことはお互いの平常希望して居る所、苦心して居る所である。しかも、右如き容易な方法(砂遊び:筆者注)で、その目的の一部が達し得るとは愉快なことではないか」と。

(4)今日の砂遊びをとりまく状況
自明とも思われる子どもの遊び(場)にも歴史があった。そこには次のようなことを学ぶことができる。
第 1 に大人の視座から子どもをとらえるのではなく、子どものことは子どもから学ぶべきであるということ。
第 2 に子どもとは自らの中に自発的創造的な活動の力を持っている存在であるということ。
そして第3に、そのような子どものために大人や社会がすべきことは、安心安全な遊び環境をつくって子どもの自発的活動を保障するということ。砂場はそのような子ども観、遊び観に支えられながら歴史的に発展してきた遊び環境であったのだ。

(5)砂との直観的出会い
生まれてまだ 1 年たっていない 0 歳児。この小さな子どもたちはどのように砂との出会いをするのだろう。初めて園庭に出た 8~9 ヶ月の赤ちゃんたちは、裸足の足が地面に触れただけでも泣き出したり、嫌がったりすることが少なくない。そんな時、保育士はよく、子どもにじっと砂を見せている。手のひらにのせたり、その砂をこぼして見せたり。また、カップに砂を詰め、それをひっくり返して砂型をつくって見せる。砂という素材は瞬時にしてその形を変え、子どもはその視覚的変化を目の当たりにする
と同時にすっと砂に手を伸ばし、砂場に足を踏み入れる。
砂は状態によって微妙な感触の違いを子どもに与える。乾いた砂、湿った砂、水と混ざり合った砂、粒の大きい砂、小さい砂。また手足や体を埋めることで感じる砂の重さや暖かさなど。
砂はまた、子どもの体を支える大きな環境ともなる。0歳児であればお気に入りの場所に座り続けたり、はいはいをして移動したりすることもできる。平地での歩行もおぼつかない1歳児は、柔らかく起伏のある砂場を注意深く踏みしめながら歩き、自分の背丈ほどの大きな砂山向かって一歩一手を慎重に運びながら頂上を目指す。砂は、子どもの体をそのまま受けとめながらも、それぞれの子どもに応じた課題を課す。そのなかで子どもは自らの身体を意識し、環境への振る舞い方を身につける。
感覚的・身体的な砂と出会い。これが砂遊びの始まりである。

 

(源 浩司)

子育てを外注から自前に~先生も園舎も時間割もない自主保育の場~

自主保育」のポイントは自分たちで自分たちの生きる場所=子育ての場をつくる、という事。

核家族化し、サラリーマン化(母親も)が加速する中で疎外されていった「子育て」は、いつの間にか「保育園や幼稚園に通わせる」に置き換わっていきました。「子育て」が人類の進化にとって大きな影響を与える時間であるかは歴史を見ていけば一目瞭然ですが、その豊かさが一気に薄くなってしまいました。

保育園、幼稚園、学校が当たり前になった今、改めて重要だなと思うのが、親の「子育て」や子どもたちの「遊ぶ」にとことん向き合うこと。

子供たちは興味の赴くままに遊ぶ中で色んな事を吸収するし、親も子どもたちが向き合う遊びを受け止めて、見守り、必要な時に出ていくし、そんな場をどう作るか、どう親同士も繋がるかを追求する。
そんな場所や空間が、子どもたちが安心する場になるし、
>「子どもが自分で考えて、自分で決める力を育んでくれたのは自主保育だと思うし、そうした行動をとれることは良いことだと思う」。
という風になっていけるのだと感じる。

先生も園舎も時間割もない それでも自主保育が選ばれる理由
重江良樹 映画監督
リンク

―――――――――以下、リンクより引用―――――――――
「幼稚園に行っても、この子はずっと怒られてるんだろうな…」
3人の子どもを自主保育で育てる川瀬さんは、わんぱくだった長男の入園準備をこう振り返る。待機児童が全国で約2万人といわれる中、選択肢のひとつとして注目を集めるのが「自主保育」だ。

「保育士もいない、園舎も無い環境が心配だった」と当時を振り返る川瀬さんだが、自主保育を続け今年で8年目になる。理想の保育環境を自らの手で作ろうとする親たちの育児の現場を取材した。

 頭から泥水に飛び込む子ども、木に登って叫ぶ子ども、喧嘩をして泣きべそをかく子ども……。
川崎市高津区にある「川崎市子ども夢パーク」を訪れると、泥だらけになって遊ぶ子どもたちと、一緒になって遊ぶ大人たちの姿があった。

今回取材した川崎市自主保育5団体が参加する「ちいくれん」(地域で子育てを考えよう連絡会)は、外遊びを中心に、子どもの「やってみたい!」という好奇心を大事にしながら、のびのび子どもを育てるというのが基本方針。
子どもの挑戦心を見守りながらの野外保育には、ケガや事故が起こるリスクも伴うが、参加する母親は「命に関わらないケガでなければ、こうするとケガをする、という学びになれば」と話す。

 活動日数やその内容は会によって異なり、園舎を持たない自主保育は、緑の多い公園やプレーパーク、公共施設などを利用し、自然保育に近い形で活動をしているケースが多い。遠足や運動会などの行事に加えて、野外料理作りなど、自然の中で季節を感じる活動を取り入れながら、子どもの成長を見守っている。
参加者の立場も様々だが、元・保育士や教師など、子どもに携わる仕事をしてきた人の参加も少なくない。また、当番制で保育を行うため、フルタイムで働く人は参加が難しく、その多くは専業主婦(夫)やパートタイマー、フリーランスなど、ある程度時間に融通が利く参加者が多いのが特徴だ。

(中略)

 保育所も幼稚園も源流は自主保育にあり、明治期に始まった幼稚園には中流以上の階層の幼児が通ったが、主に貧困層では志のある人が中心になり、地域の人々が地域の幼児を共同で保育するところがあちこちで生まれた。戦後、法制化によってそうした託児所の多くが保育所となり、また制度整備が進むにつれ共同保育所は減っていった。

しかし、核家族化が進む現代において、他の家族と協力し合い、家族間の関係が強くなる自主保育は、育児の孤立防止にも繋がり助かっていると、ある参加者は話してくれた。また、他の参加者からも「幼児期の限られた時間を子どもと過ごしたい」。「親同士の保育観が近いので子育てがしやすい」。「会の仲間に話を聞いてもらい、前より自然体で生きられるようになった」という声を聞いた。

 川瀬さんは、12年前、長男を出産し、初めての子育てに悩んでいたときに、ちいくれんに加盟する自主保育グループ「ぽけっと」に出会った。当時3歳だった長男はまだ言葉がうまく喋れず、言葉よりも先に手が出てしまうことが多かった。わんぱくだった息子の行動に、川瀬さんは周囲に謝り続ける日々。そんなある日、「ぽけっと」のメンバーに声をかけられ、参加したのが自主保育の見学会だった。
参加する子どもたちとすぐに打ち解け、泥だらけで遊びまわる長男の姿を見た他のお母さんたちから、「のびのびしていて良いね、自主保育向きだよ」と意外な言葉をかけられた。慣れない土地でママ友作りにも戸惑っていた川瀬さんは、救われる思いがしたという。

次男は小学校入学後、言葉を荒げることの多い教師と合わず、不登校の時期があったそうだ。その間、母親だけでなく、自主保育時代に関わった保育者たちが親身に関わってくれたことにより、徐々に登校するようになった。しかし、「これはおかしい」と感じた時などには、今も休むことがあるというが、「子どもが自分で考えて、自分で決める力を育んでくれたのは自主保育だと思うし、そうした行動をとれることは良いことだと思う」と川瀬さんは力強く話した。

やんちゃな子、のんびりな子、おとなしい子。様々な子どもが参加する自主保育は、一人ひとりの個性を尊重し、自然と触れ合いつつ、地域の人の手も借りながら、子と共に親も育ってゆく。こうした「育ち」の選択肢が増えることは、きっと社会をより良いものにするだろう。

――――――――――――――――――
以上です。

 

(豊島麻)

触れる。触れられるとは何か

ヒトの五感は、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚ですが、触覚以外はそれぞれ特殊な器官を使っています。
しかし触覚については定義があいまいで現在日本の生理学では5番目の感覚は体性感覚と呼ばれています
現在では触覚はその体性感覚の中に含まれてしまっているのです。
この体性感覚をあまり理解ができていない事で、育児や保育の現場では最も誤解され、軽視されているという問題でもあります。
では触れるとは、触れられるとはどういうことなのか。

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リンクより引用

胎動と触覚

受精後7,8週から出現する胎動は自発的な運動であって体全体を動かすだけでなく、指しゃぶりから始まって、手を使って顔や頭、あるいは体中を触るなどの様々な運動が組み合わさったもののように見えます。この時期の赤ちゃんは胎芽と呼ばれ、基本的には大脳はまだ機能していないと考えられます。

國吉康夫東京大学大学院情報理工学研究科教授らのグループは胎動をシミュレーションすることを研究課題の一つにしていますが、かれらは胎動によって脳が作られるのではないかという大胆な仮説を立てています。脊髄にあるCPG(セントラル・パターン・ジェネレータ)によって引き起こされる運動によって、手を口に触れたり、顔に触ったりすることで、自己の身体を認知する。また、羊水の中で動くためにその圧力を感じることによっても手足を確認するとも考えているのです。同じような意見は発達心理学者のP・ロシャ―博士も考えています。つまり、自発的に動き体に触れることで脳に身体の地図を書き込むのだろうというのです。生理学の本などをみればペンフィールドによって発見された体部再現地図が必ず書かれています。ホムンクルスという小人間像として書かれている場合が多いようですが、こうした地図がいつどのようにして書かれていくのかについての非常に挑戦的な仮説だと思います。ただ、新生児がすでに重力に対する平衡感覚を持っていて、斜めに抱かれると頭を反対側に上げようとしたり、音の聞こえるほうや光の方向へ頭を向けるあるいは目の前に提示されたものに向かって手を伸ばそうとするなどの運動の存在から見て、胎児期に自己の身体認知をある程度していることは事実だと思われます。そのための重要な感覚が触覚といわれています。

乳児期の触覚

指しゃぶりは生後2か月、手と手を合わせる運動は4か月、そして、手と足を合わせる運動は5か月ごろになります。胎児期にもこうした接触行動は、頭や口から始まり徐々に肩、体へと移り、生まれてくるころには足へと移動してゆくのですが、同じような傾向が乳児期にも見られるのです。ただしこのときに加わる感覚は視覚、つまり、目で体を確認しているように見えるのです。生後3か月の赤ちゃんに自分の足を赤ちゃんがいつも自分の足を見る方向から見た映像と足先のほうから見た映像を見せると、足先のほうから見た映像のほうを長く見たというのです。つまり、3か月の赤ちゃんでも自分の身体を視覚的に認知しているようなのです。こうした現象はまるで最初に触覚で認知した自分の身体を視覚によって再確認するように見えます。こうしたことは物体の認知についても言えるようです。つまり、物の形状や重さあるいは大きさなどはまず触覚を含む体性感覚によって把握されます。生まれてしばらくの乳児は勿論立体視などできないのですから、当然口や手で物に触れてその性情などを把握し、後に視覚的にも認知するようになるのです。そしてその時に重要なのは運動、つまり能動的に動くことで触れている者の認知は一層しやすくなるといわれています。物の性状や重さなどは見ただけでは分かりません。触れてみて、持ち上げてみて、わかるのです。つまり運動することつまり能動的に触覚を使うことが認知には重要だというのです。もちろん他の感覚にも、受動的な感覚入力と能動的な感覚入力がありますが、かなり最近まで感覚についての研究は受動的な感覚についてのものが多く、能動的な感覚についての研究は少ないようです。しかし、つかむ、ふれるという行動は乳児にとっては極めて重要な探索活動であり、さわる対象の形状は受動的に触られるより、能動的に触るほうが良いとする見解は多くなっており、生理学や心理学などの重要な研究課題となっているようです。


育児や保育の現場では

こうした研究の影響を受けてでしょうか、育児や保育の現場では新生児期や乳児期に感覚入力が重要だとして「見せること」「聞かせる」ことを強調する育児書などが多いようです。とりわけ、「触る」ことについては、スキンシップなどといって「タッチケアー」や「ベビーマッサージ」などが推奨されています。能動的な感覚入力などについて書かれている育児書などは極めてまれであるといえるでしょう。このことが筆者には気になって仕方がないのです。赤ちゃんは自ら探索行動をし、それを触覚や視覚などによって知覚する。この繰り返しが認知能力を生みだすのです。にもかかわらず、現場では触れること、あるいは口にものを入れることは安全上の問題などから中止されることが多いようです。「汚い」「危ない」といわれて、この重要な探索期に舐めることや噛むことも禁止されがちです。

胎児期の指しゃぶりを考えてみると、胎児期には口こそが「自分」であると思われます。口に手を入れることによって手を認識し、その手を使って体を認識するという仮説もあながち間違っていないように思えるのです。こうしたことから考えると、今の育児や保育のなかで繰り返されている大人が赤ちゃんや子どもに触れることよりも、赤ちゃんが能動的に触れたり、まねたりすることの重要性が分るのではないでしょうか。

視聴覚が早い情報の処理を受け身的にすることが多いのに比べて、触覚はゆっくり対象物を触れつつ、それが何であるかをじっくり探求するからこそ面白いというのです。健常者にマスクをして触覚体験をしてもらうと、別の世界を認識することができると喜ぶ人が多いようです。情報が入力されたと同時にそれを処理し判断しなければならない視聴覚より、じっくりゆっくり判断する触覚を考え直す必要があるように思います。

 

(吉住岳人)