2018-04-24 経済破局→ベイシックインカム導入は、1億総追及時代の到来 333451>都市とは人間が自然を排除して人間が管理できるシステムを作り上げたもの。そのやり方を子育てにも適用しようとするところに無理が生じるという。必要なのは、決して管理は出来ない、出来るのは見守るだけ、という覚悟で、昔の田舎の、子どもが何をしているかまでとても手が廻らない時代のほうが、今より子どもにとって暮らしよかったのだろうと思えるのは、そういう理由からかも知れません。引用終わり貧困が残る1970年前までは都会でも自然が残り、近所付き合いもあったりしていて地域で子供を見ていた。まだ親の目の代わりに世代を跨いだ子供社会もあった。その一昔前は藩の生産性=防衛力の向上のために明確な制度だった。例:薩摩藩の郷中教育。リンク>教師はおりません。互いに学び合うのが特徴で。現代で言うならば、幼稚園から大学院あたりまで、生徒同士で学んだわけです。引用終わり何となく、藩の存亡をかけたきな臭い臭いがしますね。しかし、貧困が消滅した1970年以降は、地方も都市化と個人化が進み、子供達は私権を求めて都会を目指した。私権制度は、自然からの離脱。同じ学年に閉じ込められ、平等教育で上下の関係も能力差という横の関係も無くしていった。一方で、田舎は自然は残るが過疎化して活力を無くしていった。 私権時代の都市と田舎の関係は、私権の集中する都市は○で、私権(流行り)がない田舎は×といった貧富の差の拡大の象徴のように思え、333451の通りですね。次に、私権崩壊後の世界を見てみる。経済破局→ベイシックインカム導入。ネットで情報交換できることから都会に住むメリットもなくなり、食の本能に直撃されて自給自足を選択する若者は増えるだろう。家賃が安くて、農業や林業及び魚業の仕事のある田舎でのシェア生活が増えるのではないか?従前の自然回帰の潮流もあって人口は田舎に加速度的に流れて行くだろう。当然、農・林・魚業という仕事には日曜日等という休日はないので子供をかまう時間は少なくなる。しかし、子供達には自然という途方もなく大きな遊び相手が出来る。自然を独り占めしても面白くないので子供達は世代を超えた集団で遊ぶのではないか?いつの間にか、年齢の高い子供が小さな子供を教える。子供集団を卒業して大人になっても同じような先輩後輩の関係は続くのか。 今は、教科書で軍隊的に教えるから追求関係に向かっている。ならば、答を教えるより、追求の楽しみを子供同士がお互いに刺激し合う方が良いと思う。では、大人はそれを見守り応援するだけか?否!!老人も含めた大人は、追求の姿勢をより「熱く伝えて実践する」ことが最大の仕事(活力源)になりそうだ!!こうなればそれこそ1億総追及の時代だ。大小様々な発明が生まれても不思議ではない。何かワクワク感を感じるのは私だけだろうか。 酒井俊弘