生活体験が土台に活きて、知識が統合され血肉化すると云う説に共感する。

「小学校までは遊んだほうがいい理由~生活体験が土台にあって始めて知識が統合される」と云う説に、強く共感を覚えます。
・母親とのスキンシップが何より大切な乳児期や幼児期から、少年少女期の成長の場では、(母親の役割の次元を超えた)活動や遊びを介した子供どうしの繋がりが大切になってくる。母親を取り巻く安心基盤や、少年少女期に求められる適切なスケールの遊びの場など、身近な生活の場と社会の構造を造り替えていかないことには、乳幼児からまともな少年少女へと成長していくのも難しい。
乳児期には母親の子育てに大切な、失われた安心基盤の再生が不可欠だ。そして少年少女期には街並みや山野や海辺などの体と心と知恵を育みあう場の再生が大切だ。知ったら母親が青ざめてしまうような危ない遊びを介して、リスク回避の力や知識の統合を子供は身につけていく。

・我々の世代は、学業が終われば早々に校門から飛び出して、いつもの近所の遊び場に集まるのが常だった。早く下校して遊びに出かけたい子供心には、教室の掃除当番が面倒くさくて仕方がなく、バケツの水を廊下に撒いて逃げ出した記憶もある。学校以上に近在の仲間達との繋がりが大切だったからだろう。
・野山や藪に分け入ったり、屋根に上って瓦を外して、野鳥の雛を取ってきては練り餌を作って竹へらで与え続けたり、ヤワな思想にかぶれた環境運動家からすればトンでもないことをやってきた。しかしその後に生きもの虐待に繋がりもせづ、かえって弱いものを育む心へと繋がっていった。
・松の大木に作ったカラスの巣から雛を取ってくるのも思い出しても圧巻だ。穴の開いたアルマイトの蒸し器を頭から被って、体には座布団を撒きつけ、長い竹の棒で下からカラスを追い払う仲間の支援を受けて、幹を上って捕まえてきたことなど、季節ごとに繰り返した遊びであった。
・河口での海釣りには干満の気象情報と餌作りやゴカイの掘り起こしが欠かせない。餌作りでも蛆虫(サシ)を作るにはカツオの頭を半日陰に曝しておく、その前に竹やぶから釣り竿を作り出し、鉛を熔かして錘を作る。その様な体験のなかで、自然の摂理と面白さと厳しさを体と心と頭で受け止めて成長していく。
・少年や少女期の成長に学校や親たちが直接手を下すことに、問題があるのではないか。親や教師の手を直接に借りず、少年少女へと成長できる社会と生活環境へと、社会の全体の仕組みを立て直して行かねばならない。
できる処からやっていくことになるが、ピークを超えた市場社会から共同体社会への回帰が、子育てにも大きな新しい流れを作り出していくことになる。

 

 

 

 

持国天