子供の頃の「熱中体験」は追求心の源泉

子供にとっての「遊び」の意味を考えてみた。遊びとは一心不乱に追求=熱中している状態と思う。「熱中」にどんな意味があるのかを調べてみた。
リンクから引用します。

>熱中すると、良いことが2つあります。

まず1つ目。

その中で、自分の好きなことに熱中する楽しさを味わうことができます。
この熱中体験は、人が主体的に生きていく上でとても大切です。

熱中体験が豊富な人は、自分でやりたいことを見つけることができます。
そして、自分であれこれ工夫して楽しみを深めていけます。
子供の頃のウルトラマンへの熱中体験で、そのノウハウを身に付けているからです。

反対に熱中体験が乏しい人は、こうはいきません。
そもそも自分がやりたいことを見つけることができません。
見つけたとしても、その楽しみ方や深め方が身に付いていません。

言われたことはできるけど、自分から夢や目当てを持ってがんばることができないということになりがちです。こういう人が最近増えているようです。

2つ目。

1つのことに熱中しそれを究めると、子供は自信を持ちます。

この場合で言うと、自分はウルトラマンについては誰にも負けないという自信です。

子供のときに、このような自信を持つことはとても大切です。
これが、自分自身への自信につながるからです。

何についての自信でも良いのです。大人から見れば価値がないと思えることでも、良いのです。

どうか、子供を何かの博士にしてやってください。
ウルトラマン博士になれた子は、他の博士になることもできるのです。
ウルトラマン道を究めた子は、他の道も究められるのです。

それは、もしかしたら歴史かもしれませんし、昆虫、漢字、自動車、料理、メカニック、地理・・・のどれかかもしれません。

引用終わり。

「熱中」は「勉強」ではないですね。勉強といえば学校。それは、押し付けだし、試験と内申書で生徒を飼い馴らす手法。自発性のかけらもない。確かにこれでは事実の追求や事実を通じて自然の摂理を掴むことは出来ない。

後ろ足の先祖返りで枝を掴めなくなって木に登れなくなった猿が、外圧(自然や猛獣他の猛威)を克服して来た歴史は想像を絶する。
 
 この歴史が人類の脳の深い位相にある。
「皆で生き延びるために追求⇔充足」を繰り返した400万年は正に生きる為に「熱中」した歴史だったと思う。今でも赤ん坊が追求(熱中)の塊であることを言い換えれば、人類が生きぬくために「先人の追求に同化する=熱中する」ことが刻印されているのだと思う。

それを教育というほんの一握りの人間の都合(命令に従順の人間をつくる)のために潰されてはいけない!!

 普通の人々が社会変革に向かって立ちあがる基礎体力、いや根源的な力は、子供の頃の「熱中」を取り戻すことにあると思う。

 

 

 

 

酒井俊