居心地のよい感覚(設計力)は、子供の遊びの充足体験で鍛えられた「動物的な勘」が生命!

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『子供の「遊び」は、人類が辿った自然との同化の歴史の振り返り行為そのものだ!』
を、70歳になる住宅建築家:中村好文さんの著書「住宅読本」から引用して投稿しました。今回も同様に学校教育に関する所を紹介しながら話を進めてみます。以下、引用

>「心地」というのはなかなかいい言葉ですね。
「住み心地」にしても「座り心地」にしても、ちょっと他の言葉に置き換えられないニュワンスがあります。中略
 ところで「心地」のつく言葉で私が一番好きなのは、やはり「居心地」です。居心地のよい場所にいたいという思いは、居心地のよい空間を作りたいという欲求に真っ直ぐに結びついて、いつのまにか私は住宅建築家になっていたのでした。

 建築の設計は、工学的な専門知識を身につけ、経験を積み、建築的な思考を論理的に積み上げたり深めたりすることである程度のところまではいけるものですが、こと居心地を生み出すことに関しては、そういう勉強がまったく役に立ちません。必要なのは動物的な勘だけ。立派な理論も理屈も通らないだけに、建築家のセンスと本当の力量が露呈するところです。中略

では、そのセンスや力量はどこで養われるのか?

居心地の良い空間として彼は、同書の「火」太古より、住まいの中心には火が・・・。
に以下のように記載しています。引用開始

>太古より、住まいの中心には火があったことを、私が憶えているはずはないのですが、脳髄のどこか古い皮質にそのことがしっかりと擦り込まれているらしく、「住まいとはそこに火があるところ」という固定観念が、どうしても私から抜けません。
私の設計する住宅に、中略 火をたくことのできる暖炉やストーブをしつらえたてみたくなるのは、中略 こうした遺伝子にかかわる深遠な事情が影響している。 中略

祖先からの遺伝子なんか「ぜーんぜん、受継いでいない」と思う人でも、部屋の灯りを消し、暖炉と向かい合って静かに燃える炎を見つめ、薪のはぜる音に耳を澄ましていたら、私たちの先祖である太古の人類が竪穴式住居のなかで感じたのと同じ深い安堵と、体の芯から沁みだしてくる大きな安心感を感じるに違いありません。

竪穴式住居にまでさかのぼらずに、中略 シェーカー教徒の居室にしろ、中略 必ずどこかに火と親密に付き合うための特別な場所 中略 暖炉であり、囲炉裏であり竈でした。
中略 建築史を飾る住宅のほとんどに暖炉があった、引用終わり。

こういった先人との会話が居心地の良い空間を作るセンスになりそうですね。

そういえば、先の投稿リンク
に以下のフレーズがありました。

幼年時代、私の家はまだ薪の竈で御飯を炊いていました 中略
>竈の火は竪穴式住居の皆の中心にあった火を思い出す。中略
どれも人類が自然と一体となった経験です。

子供の楽しい「遊び」の基地=家自体が脳の奥深い所に繋がっていると思います。
これが、追求心をくすぐるのだと思います。
引用終わり

子供が熱中した「遊び」の体験が、動物的な勘=センス=追求力=同化力を高め、先人の充足体験に繋がるように思います。だから、学校という制度のための勉強(暗記脳)では全く役に立たないということがなるのでしょう。

そのために、がんじがらめに縛られた学校制度を含むあらゆる私権制度から「心を開放」しようと思う!!

そうすれば、大人でも熱中=遊びを通じて深い所で先人の充足感に繋がれると思う。そうだ、繋がりに行くぞ!!

 

 

 

酒井俊弘