「日本人は確かに児童問題を解決している」 と、明治初期に来日したモースは言った。・・・②

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■5.母親は赤ちゃんの「安全基地」■
生後半年ほどして、刷り込みが完了すると、赤ちゃんは時々、母親の膝を離れて、つかまり立ちに「挑戦」してみたり、ハイハイしながら隣の部屋に行ってみようと「冒険」を始める。挑戦や冒険をしばらく行うと、いったん母親の膝もとに戻って、一安心をした後、次の挑戦と冒険を始める。

こうした行動から、バージニア大学教授で児童心理学者のメアリー・エインズワースは、「母親は子どもに『安全の基地』を提供する」という概念を確立した。母親という「安全の基地」があるからこそ、赤ちゃんは安心して冒険と挑戦ができるのである。

赤ちゃんが育つにしたがって、「安全の基地」を離れて、冒険と挑戦を行う時間はしだいに伸びていく。3歳くらいになると、半日から一日母親から離れていることもできるようになる。

この冒険と挑戦によって、赤ちゃんは精神的に成長していく。

■6.母親から引き離された子供は見捨てられたと感じる■
心理学者のJ・ピアスは、赤ちゃんが母親から遠ざけられて「安全の基地」を得られなかった場合の心理を次のように記述している。

子どもにとって、母親との「きずな」は、成長において不可欠な条件である。しかし、不幸にも母親と子供が引き離されると、深刻な問題が生ずる。まず、そのような子供は、見捨てられたと感じ、絶望的な孤独感にさいなまれ、この世界を危険で非情な場所として体験する。子供の最初の世界体験は否定的なものになる。

そして、そのような子供は母親の代理となるものを捜し求めることに全エネルギーを注ぎ込む。最初はベビー毛布が母親代わりとなり、それ以降も物質的な満足に執着するようになる。しかし、いずれにせよ、それらが完全に母親代わりになることはないので、欲求不満は残り、さらに悪いことに、母親を求めることのみにエネルギーが費やされるので、成長の妨げになる。[2,p107]

このように不幸な環境で育ったこどもの性格と行動形態を、ボウルビィは次のようにまとめている。

・浅い人間関係
・生活感情の不足(人間関係において無能)

・気むずかしさ(協力者に不快感を与える)
・正常な事態に対する情緒的反応の不足(物事に対する無関心)

・うそ、および弁解(無意味なことが多い)
・盗癖
・学校における、注意力の不足

ひきこもり、非行、いじめなど、現代日本の青少年問題の多くは、ここから生じているようだ。

■7.「おんぶ」の効用■
これらの最新の育児理論から見れば、冒頭のモースが描いた明治初期の親子関係は、いかにも理に適っている。たとえば「彼等は母親か、より大きな子供の背中にくくりつけられて」と日本人の「おんぶ」を珍しそうに記述しているが、おんぶは いかにも、合理的な子守の手段である。

母親が家事をしながらでも、赤ちゃんは母の体のぬくもりや、声の響きを直接感じとることができる。同時に、赤ちゃんは常に母親と同じ方向を向いているので、母が今、何をしているのかが分かる。「安全の基地」に密着しながら、いろいろな見聞ができるのである。

田下氏は、その他にもおんぶの優れた点を列挙している。
[2,p180]

・赤ちゃんの体温や汗ばんだ状態を母親は背中に感じるので、赤ちゃんの健康状態が分かる。

・母親が両手を使えるので、転んだ時でも安全である。
 (田下氏は、前抱きの母親が転倒して、赤ちゃんが頭蓋骨を骨折した例を経験している)。

おんぶは赤ちゃんをがに股にする、という批判があるが、寝ている赤ちゃんを見れば、常に股を開いている。これが赤ちゃんにとって自然な姿勢なのであり、赤ちゃんはその楽な姿で母親に密着し、安心できるのである。

■8.「母親は家族の中で一番先に起きる人」■
モースは「日本人の母親程、辛抱強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない」と語っているが、その象徴的な例が、朝早く起きて、家族のために朝ご飯を作る母親の姿である。子供の頃、母親が台所で朝ご飯を作る音で目が覚めた、という懐かしい思い出を持っている人も多いだろう。田下氏は、こう言う。

母親というものは、その家庭で「一番先に起きる人」でなくてはならないのです。しかもその上、いかに家の中が暖かくても、外から見えなくても、朝食の用意やお掃除をする時には、ねまきや、パジャマや、ネグリジェのままでやるのはいけません。

「お母さんはボクが何時に起きても、いつもきちんと身支度をしている」、このことが子供にとってどれほど頼もしい母親として映るか、また「毎朝本当に大変だろうな。ご苦労様」と思う気持ち、それは計り知れない良い結果を子供にもたらすのです。このことだけでも子供は母親を尊敬し、言うことを聞く気になります。[2,p139]

スポック博士が「常識のある父親(あるいは母親)なら、自分を犠牲にしてまで、こどもにつき合おうとは、おもわないはず」と言ったのとは、正反対の姿が日本の伝統的な母親像であっ た。

■9.母親への感謝と尊敬の念■
モースの言うように我々の先祖は「確かに児童問題を解決して」いたのである。それは、最新の育児理論から見ても、理に適ったものであった。その先人の知恵を見失って、スポック博士のような浅知恵に目を奪われた所から、現代日本の青少年問題が始まった。だから、それを解決するには、まずは先人の持っていた知恵に立ち返る所から始めれば良い。

たとえば、3歳以下の乳幼児の保育園を作る事は、母子を分離して、「見捨てられた」と感ずる子供を量産することである。
そんな金があるなら、その分を乳幼児の母親が家庭で育児に専念できるよう、育児手当の充実に使った方が良い。専業主婦ならぬ、「専業母親」への支援策である。また、職業を持つ女性でも、出産後3年間は家庭で育児に専念した後、もとの職場に戻れるような制度づくりも有益だろう。

こうした経済的な支援策と共に、何よりも必要なのは、自らを犠牲にしても子供のために尽くす母親の尊さを国家社会全体で再認識することだろう。田下氏は言う。

妊娠・出産・育児という一連の仕事は、その国(民族)の将来の根幹を育成することです。ですから、本来ならばそれを実践している女性は社会から称賛され、感謝と尊敬の念で見守られなければなりません。[2,p5]

日本の子育て再建は、ここから始めるべきではないか。(文責:伊勢雅臣)

 

 

 

 


加藤俊治