子どもは親の喜ぶ顔がみたい。親の期待に応えよう頑張る。文章は習い事の話だが、学校そのものもこの範疇に入るのだと思う。
AI時代の子育て戦略(成毛眞著:SB新書)より引用します。
※※※以下、引用※※※
子どもは、親の顔色をうかがって、親が喜ぶことをしようとする傾向がある。だから、好きなことをやらせるときには、よくよく注意して欲しい。
親(とくに父親)がよかれと思って子どもをキャンプに連れ出すことがあるが、たいていの子は実際のところ楽しんではいない。本当にキャンプが好きな子はごく一部だ。
キャンプはたいてい父親一人が楽しんでいる。ただ、父親が喜んでいると子どもはやっぱり嬉しい。どんな子だって親の喜んでいる顔を見たいので、それなりにがんばる。川に足を入れてはしゃいでいるように見えるが、実際は親に合わせているだけだ。ちょっと言い過ぎかもしれないが、虐待している親に向かって笑って追従しているのと大差ない。
とくに最悪なのが、親の見栄で習い事をさせるケース。今はさすがに絶滅危惧種だろうが、昔は子どもをピアノ教室に通わせてていることを自慢する親がいた。
ピアノ教室に行くと母親も喜ぶし、ケーキも買ってもらえるから子どもは一生懸命がんばる。でも、本心は嫌で嫌で仕方がない。
いい子であればあるほど、良心の喜ぶ顔が見たいがたに無理を重ねてしまう。そうやって無理を重ねて努力しても、何かに上達することはあり得ない。
お金をかけただけのレベルには達するかもしれないが、それ以上のレベルを目指すのは不可能である。
(中略)
親は子どもの努力を自分の努力であるかのように錯覚しがちである。自分は努力したくない代わりに、子どもに努力を押しつける。そうやって達成した喜びだけを奪い取っているとしたら、子どもは自分の人生を生きていることにはならない。
最初の機会を親が与えるのはいい。ただ、そのときに親は無表情でいるべきだ。無表情でやらせてみて、ハマっているようなら続けさせればいい。それこそが、子どもにとって生きる術になる可能性がある。
※※※引用、以上※※※
野崎章