2歳児は、イヤイヤ期じゃなくてぶらぶら期

日本では、2~3歳頃の子どもを「魔の二歳児」や「イヤイヤ期」と表現することがありますが、せっかくいろいろやりたいことが出てきた大事な時期を、こういうマイナスなイメージで捉えてしまうことに、すごく違和感がありました。

かとう家のこばなし「2歳児は、イヤイヤ期じゃなくてぶらぶら期」( リンク )にあるのですが、チベットでは、「イヤイヤ期」ではなく、「ぶらぶら期」と表現するそう!!

この考え方にすごく共感したので、同上のサイト「2歳児は、イヤイヤ期じゃなくてぶらぶら期」( リンク )より、以下、引用します。

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(引用開始)

■イヤイヤ期のとらえ方は国によって異なる

北大の川田先生が、自分の元へやってきたチベットからの留学生に聞いたお話。

チベットの子育てはどんな感じなの?と聞いたところ、0~1歳児は母親やおばあちゃんに面倒を見てもらい、3~5歳児は友達と機嫌よく遊んでいるそうです。

じゃあ2歳児は何やってんの?と問うたところ・・・・

ぶらぶらしてる。うんちがしたくなったらうんちして、お腹がすいたらその辺の家に入って、その家が気に入ったらそこでご飯食べて遊んで、場合によってはその家に泊まって帰ることもあるらしい。

そんな2歳児たちの状況を表す、川田先生の絶妙なネーミングが「ぶらぶら期」!

調べてみると、2歳児のイヤイヤ期のとらえ方は国によって異なるそうで、上記であげたチベットなどの国ではネガティブな捉え方をしておらず、むしろネガティブな捉え方をしている国の方が少ないんだとか(ちなみにアメリカではterrible twoというらしい)。

 
それにしても、2歳児の一時の状況が社会的なステイタスを確立しているって、なんだかおもしろい。

(中略)

■小さいからこそ、果たせる社会的な役割がある

イヤイヤという言葉の主体は、その行動の受け手である大人側にあるような印象を受ける一方、ぶらぶらという言葉の主体はまさに子どもにあるような感じがします。

そんな考えを裏付けるように、下記の論文は中産階級ヨーロッパ系アメリカ人のコミュニティや、日本などでは下記のような発達観があると指摘しています。

>しばしば、2、3歳児を拒否的とみるとき、 本当はこういうふうにできるといいのだけれども まだ小さいからできないというような感じで説明されます。本当は我慢できれば良いけど、能力が足りないから「イヤイヤ」してしまう、という考えです。そこには、年齢が下であることと、能力が劣っていることを等価とみなす発達観があるとロゴフは指摘しています。

一方で、例えばグアテマラのコミュニティでは、幼児の反抗期は予測されていないそう。

>2、3歳には2、3歳の社会的な地位があって、それは大きい子どもには代わりができないものだというふうに捉えられているとロゴフは述べます。小さい子には、小さい子だからこそ果たせる社会的役割があると考えられているのです。そこには、一次元的な個体能力軸ではなく、小さいゆえの価値があります。そうしたコミュニティでは、「できないこと」を悪とする発達観の下で実現してしまう第一反抗期のような現象は生じにくいのではないかと思われます。

この指摘はめちゃめちゃ腹落ちしたと同時に、痛いところをつかれた感じでした。

でも一方で、とてもラクになった。

もしかしたら、私がそこまでイヤイヤ期を苦に感じなかったのは、子どもに対する「本当はこういうふうにできるといいのだけれども」という願望があまり高くないからだと思うし、難しいけど、ここをコントロールできれば、さらに楽しく子育てができるのかもしれないなぁと気づけたからです。
(引用ここまで)
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「イヤイヤ期」と扱っているのは、大人の勝手な都合なんですよね!
しっかり子どもたちと向き合って、逆に、足りない部分を学ばせてもらいたいと思います。

 

 

 

 

空野 晴美