国柄探訪: 江戸の子育てに学ぶ②

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■7.「随分可愛がり、愛するのがよい」
石門心学の普及で中心的な役割を果たした手島堵庵(てじま・とあん)は教化対象を子供にまで広げた人物である。宝暦9(1759)年に著した『我つえ』では、あまりに厳しく育てることは良くないとして、

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どうしてかというと、「愛しているから、このように厳しくするのだ」と思う子は少ないものだ。結局、ひがむようになり、恩愛が失われ、親子の間が疎遠になり、不孝者になることが多い。随分可愛がり、愛するのがよい。

しかし幼少の時から、嘘や偽りを言うこと、この一事だけは決してさせてはいけない。幼いときは何をしてもかわいいから、嘘を言っても知恵があると思い、褒めそやすようなことは大変よくないことだ。小児の時から、嘘だけは、絶対に悪いことだと思うようにさせなさい。[1,p107]
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江戸時代後期の国学者橘守部(たちばな・もりべ)は、文政11(1828)年に著した『侍問雑記』で、「子は手塩にかけて親しく養ってこそ親しみも増し、親のほうから近付いて睦まじくしてこそ尊ばれもする」と書き、次のような態度を勧めている。

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その子の幼い時から、朝晩、側近くに親しく寄せて、おかしくもない子どもの話も、面白そうな様子で聞き、年齢相応のことを話して聞かせ、楽しみも共にし、打ち解けた遊びも共にするようにして、大きくなってからも、ひたすら親しみ睦まじくすることを、親の方から習わせるように。そのようにすれば、悪いことがあった時に叱っても、たまのことだから、快く聞き入れるだろう。[1,p145]
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まさに鐐之助が育てられた環境そのものである。


■8.身をもって子弟を導く方法
子どもは人の真似をしながら、学んでいく。「学ぶ」とは「真似ぶ(真似る)」と同源の由である。

海防論の先駆者と言われる林子平は、子弟を教える方法を説いた『父兄訓』の中で、「子弟を教えるには、父兄たる人、読書・手習い、および文武の諸芸等、怠りなく身みづから執り行うべし」として、こう述べている。

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すべて幼少の者は、万事、人真似をするものだ。その中でも、天然の血筋で、父兄を他に並ぶ者のないほどすぐれた者と思い、何事も父兄のすることを手本にするものだ。だから父兄がそのようにすれば、子弟は自然に、八徳(孝悌忠信勇義廉恥)および文武の諸芸をも、し覚えるものだ。これは、打たず叱らず、身をもって子弟を導く方法だ。これを徳行という。[1,p156]
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鐐之助が、年長のいとこの真似をして箸を使うようになったり、祖父の手紙や日記を書く様を真似て、字を書こうとしたりした様は、まさにこれである。したがって、幼少の頃は、親が子に自らお手本を示さねばならない。

しかし、子どもが10歳になったら、師につけて学ばせることが、良いとされていた。その理由を江戸時代後期の儒者・小町玉川は『自修編』の中でこう述べている。

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父子の間は恩愛を主とする。自分で教えて厳重に善を行わせようとし、従わないと鞭打つようなことになれば、恩愛を損なうことになる。しかも父子が一緒に生活していて、父の行いがすべて道に従ったものでもない。子どもがそれを見ると、父の非を咎める心が生ずる。だからよい師友に託して教えを受けさせるのだ。[1,p67]
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幕末、明治初期に欧米人を驚かせた日本の子育ては、鐐之助の例に見るように、家庭内の意識的な努力によるものであり、かつそれは江戸時代の多くの識者が様々な経験知を蓄積して、社会全体に広めてきたものでもあった。

これに比べれば、現代の教育論に見られる「ゆとり教育」「子供の権利」「個性尊重」などといった主張は、ルソーやマルクスエンゲルスの影響を受けた底の浅い机上の空論によるものだ[b]。

教育の再生のためには、まずは教育論における本物と偽物の見極めをしておく必要があるだろう。

 

 

 

 

加藤俊治