アサガオに水をやりすぎてしまう人は、子育ても手を出しすぎるな

アサガオに水をやりすぎてしまう人は、子育ても手を出しすぎるな
リンク)より転載

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■水をあげすぎない

学級で、アサガオを育てている。子どもは、毎日水やりをする。

これ自体はいい。

しかし、夜から朝方まで雨が降っていた日でもあげようとする。なんなら雨の日でもあげようとする。実際、梅雨入りしたから、水やりは不要な日がほとんどである。アサガオに対する愛情なのである。手をかけて育てたくて仕方無いのである。

しかしである。

「お腹いっぱいのところに、もっと食べてとご馳走を無理矢理食べさせられたらどうか」という例えで伝えてみた。しかも、笑顔で愛情に溢れた笑顔で流し込んでくるのである。かなり怖い&辛い。


アサガオの鉢の底はあいており、不要な水は流れるようになっているので、あげすぎても別に大丈夫ではある。ただ、水が不要であることには変わりがない。

相手のニーズを読むということである。水を欲している時にはあげればよい。アサガオは、自らに水を与えることができない。だから、やってやる。これは、親切である。水が不要な時は、放っておけばよい。やってあげることが、お節介になる。

教育でもいえる。子どもが自分でできないことは、助けてあげる必要がある。しかし、子どもが自力でやれることは、見守ってあげた方がよい。必要な時に支援がもらえいないのは困る。そういう時、子どもとて追い込まれたら、何とか自力で工夫をし出す。

手を出して欲しくない時に手を出す方が、教育的にはより悪い。自分でできることすらできなくなる。怠け者の作り方は、何でも与えて、何でもやってあげることである。「自分では何もできない人間」一丁上がりである。

「何不自由ない暮らし」は、幸福とは限らない。人には足りないものがあるから、それを得た時に喜びを感じるし、それを得るために工夫し出す。工夫して、歯を食いしばって努力する過程すら、後で振り返れば幸せである。世界で最高にうまい一杯は、最高級のワインでもブランデーでもなく、夏場に汗だくになって働いた後の一杯である。

話が逸れた。アサガオにだって、最高にうまい一杯は、土が乾いた後の水である。乾けば、根を張る。より強くなる。

何でも不足なく与えることは、教育ではない。変化の多いこの時代を、強く逞しく生きぬける子どもを育てたい。

 

 

 

紀伊谷高那