「天気のいい日に外遊び」があらゆる習い事よりも優れている理由

「天気のいい日に外遊び」があらゆる習い事よりも優れている理由
リンク)より転載

*****************************
■どうする?習い事

子どもがある程度大きくなってくると、習い事……なんて話も出てくることがあるでしょう。
・友だちは××を始めたらしい
・△△をやるなら、□歳くらいから始めた方が良いんじゃないか
・この子には○○の才能がありそうだから、やらせてみよう
・自分が☆☆ができず、本当に悔やんでいる。この子にまでそんな思いをさせたら可哀想なので、習わせてあげようと思う

人によっては、内外から相当のノイズに悩まされているかも知れませんね。

もちろん、価値観・考え方は人それぞれではありますが、その判断は確実に子どもの人生に影響を及ぼします。今号では「子どもが、自分自身の伸びる力で、自身に一番合った伸び方をする」ことを目指した“くろさわ流・習い事の考え方”をご紹介します。


(1)原則
まず大原則。

「子ども本人の興味・意欲で決める」

当たり前のようですが、意外と難しいポイントです。決して、「親やりたいこと」「やらせたいこと」を持ち出してしまわないように!この点は非常に繊細な注意が必要です。

子どもは、わずかでも親の意向を感じてしまうと、その意向に沿うように合わせようとしてしまう(そして、そのために自分自身の興味関心を犠牲にしてしまう)ことがあります。「パパは○○をやって欲しいけど、やりたくなかったらやらなくてもいいよ」という程度でも、充分にNGです。

ちなみに冒頭に挙げた4つの例は、いずれも「子ども本人の興味・意欲」ではないこと、お気づきでしたか?

頭では分かっていても、日常の中では“ノイズ(周囲から、場合によっては自分の中から聞こえてくる雑音)”に惑わされてしまいがちなもの。気を付けましょうね。

(2)制約
家庭の事情による制約は、そのまま制約として課してしまってOKです。費用面だけでなく、時間的な制約や送迎のマンパワーなども制約があって当然。

ヘンに無理をせず、

「このスクールはお金がかかりすぎるから、うちにはムリだな~」

(中略)

と伝えてあげましょう。

限られた資源(ヒト・カネ・時間)でいかにやりたいことを実現するかという課題は、社会では当たり前のこと。子どもに対して隠したり避けたりするべき理由はありません。

(3)機会提供
このお話をすると必ず受ける質問があります。

「子どもに興味があるかどうかは、どうすればわかるのですか?」

「一度やらせてみないと、興味があるかどうか分からないのでは?」

これに対する私の答えは、「まずは幅広く、いろいろなモノを見せて・触れさせてあげましょう」です。

ただしそれは、各種スクールなどの見学や体験レッスンではいけません。
(中略)
(見学・体験は、やりたいことが決まった後、どのスクール・教室が合いそうかを確かめる段階で活用しましょう)。

くろさわ流としては、子どもに「興味を持たせよう」との意図を持たずに、ただ見て・触れる機会を持たせてあげたいと考えます。一番良い方法は「子どもが見ているところで、親が楽しむ」です。例えばピアノなら、子どもには特に何も言わないで、親自身がピアノで遊ぶだけ。上手に弾けるかどうかは関係ありません。ネコふんじゃったでも、ドレミファソラシドでも、鳴らして遊べばOK。ほとんどの子は、これを見れば自分も触りに来るはずです。好きなように(壊さない範囲で…)触らせてあげましょう。

こういった機会を何度か作ってみて、その時の子どもの様子(集中度合い、すぐ飽きるかどうか、など)を見ながら、子どもの興味の対象とその強さを感じてあげてくださいね。

気をつけていただきたいのは、あくまでも「子どもが自分で見て、触れる」の範囲に留めておくこと。親が「やらせる」「教える」「指導する」ことのないよう、肝に銘じておいてくださいね。

(4)非一貫・非継続
子どもの興味がずーっと続くことはなく、むしろコロコロと興味の対象は変わるものだ、それが子どもの自然な姿なのだと、あらかじめ覚悟しておきましょう。

「やってみたいなら、始めてみよう」という気楽さで習い事を始めても良いので、「興味がなくなったなら、辞めてもいいよ」との穏やかさを持ちましょうね。

親だけがヘンに執着して、楽しくもない習い事を続けさせて親子ともに不幸になっているケースは、残念ですが少なくありません。

(1)でも述べたように、親の意思を押し付けることは厳禁ですし、親の意思をチラつかせてプレッシャーをかけることも、やはり厳禁です。やって良いのは、情報提供まで。

「ピアノって、ずっと続けて上手になってくると、思い通りに弾けて面白くなるらしいよ」

(中略)

情報提供を受けたうえでも子どもが続ける意欲を持たないなら、潔く辞めさせてあげたいものです。「またやりたくなったら、やればいいしね!」と。

その覚悟を持ちながら見守り、万が一、長く続けることができたなら、それはひとつの奇跡。どれも続かなかったら、それも「いろいろなことを体験できた」という奇跡。心の中で喜びながら見守り続ける度量が持てれば、理想的です。

(5)学びの対象
形のあるもの、答えのあるものばかりに目を向けてしまわないよう、気に留めておきたいです。

スクール・教室で習えるもの─スポーツ関連、外国語、お勉強、芸術関連etc…は、すべて形・答えのあるものです。

これらが無意味なものとは思いませんが、幼い子どもが「学ぶ」べき最も大切なことは、別の場所にあると、私は考えています。

その「別の場所」とは、「日常の遊び」。しかも、「外遊び」は、子どもにとって最高の学びの場・成長の場です。

同様に、「家庭の日常生活」にも、学び・成長のレッスンがいっぱい詰まっています。

習い事をテーマにしながら、ミもフタもない結論になりますが、普通に暮らし、天気の良い日にはなるべく外に出て、日頃から子どもの「やりたい」「やってみたい」を見守ってあげるだけで、本来は充分なのだと思います。

 

 

 

紀伊谷高那