子どもに社会を知ってもらう「湯育」(とういく)のススメ

・社会のルールやマナーを知ってほしい
子どもを銭湯に通わせる教育的利点というのもある。かけ湯をしてから湯船に浸かる、ドアはちゃんと閉める、走らない、騒がない、体を拭いてから脱衣所にあがる、ということを教えている。家を出たらそれぞれにルールやマナーがあるということを、まさに肌で覚えることができる。ですからウチの子も、4歳にして立派なフロワーに。同い年くらいの子が銭湯でソソウをしていると、「あたまにしゃんぷーつけたまま、おふろはいってるね。いけないね」などと嘆いている息子。お前は、ジジイか。

・知らない大人たちとの交流
また銭湯は、基本ジイさんバアさんしかいない。いまどき、毎日銭湯に通う小さな子なんて稀な存在だ。そのため常連たちはウチの子を見つけると、「よおチビ、また来たのか」「あらボク、アメあげようか?」と、よくかまってくれる。46歳の筆者が子どものころ当たり前だった、知らない大人たちとの交流。今やそれ自体が貴重な体験だが、銭湯ではそれも普通の光景だったりするのだ。

あとボクは銭湯に行ったとき、彼ができないことは手伝うが、子どもの世話は基本しない。そのため、3歳くらいから黙って服の脱ぎ着は自分でしていたし、4歳の今は自分で体を洗いたがる。このように銭湯という不思議な空間のなか、彼なりに自立しようと頑張ってくれているようだ。

差別意識のない人間に育ってほしい
変な話に聞こえるかもしれないが、ボクが子どもと一緒に銭湯に行く最大の目的、それは背中にモンモンを背負った人たちを見せること。大きな健康ランドでは「刺青・タトゥーお断り」と注意書きがあり、実際そのような人を見かけることはない。

しかし町の小さな銭湯ではそのような看板はあまり見かけず、フツーにモンモン背負った人が入浴してくる。そりゃそういった方たちは、世間的には『反社会的勢力』のひと言で片づけられてしまうだろう。しかし彼の目の前で背中の鯉をゴシゴシ洗っている人は、ただのオジサンである。外見だけで差別をしてほしくない。

小学校に入ってから、ゲームや漫画、ネットでモンモンの存在を知った場合、大人や友達から「こういうのが体に入っている人は悪い人だ」と教えられたら、そう思ってしまうかもしれない。だからこそ幼いころから目を慣れさせるために銭湯に通わせている、という側面もあるのだ。

目尻垂れ下げてデレッデレで赤ちゃんをお風呂に入れてる、全身モンモンのおっちゃんとかいますからね。それらを息子は2歳から当たり前のように見ている。ボクは息子に、外見で人を判断するような人間だけにはなってほしくない。ひいては肌や髪の色、あらゆる性差、そんなもので人を判断しない人間に育ってくれれば、と願っている。

ウチの子も最初はまじまじと眺めていた。「ぱぱー、あのおじさん、せなかにおえかきしてるー!」などと言い出さないかヒヤヒヤしていた。でも今じゃ、別段気にすることもない。

・ママの貴重なひとり時間を
パパが子どもと銭湯に行くと、意外なメリットがある。ボクは通常、夕方5時に保育園に息子をお迎えに行き、そのまま公園やイオンに行って、子どもと遊ぶ。そして6時過ぎに銭湯に行き、スーパーで買い物して7時半ごろ帰宅。

つまり、この2時間半は妻にとっての自由時間になる。子どもと一緒にいると、10分スマホをボーッと眺める時間もままならない。だからたった数時間だけでも、録り溜めたテレビ番組を観るでも、スマホをいじるでも何でもいい。好きなことができる時間を過ごしてほしいなと思う。

なぜこんなにも自分は銭湯が好きなのかと考えたら、死んだボクのオヤジが無類の銭湯好きだったことが理由かもしれない。オヤジに「今日はここだ」「明日はあそこだ」と毎日違う銭湯に連れて行かれ、子どもの頃のボクは「どこも一緒だよ」などと思っていた。でも自分に子どもができたら、嬉々として同じことをやっている。

自分にとっての子育ては、親にやってもらったことを再び子どもにやっている。それだけのことなのかなあと、風呂上がりの夜風に当たりながら思ったのだった。

まあ「教育的利点」だの「メリット」だの偉そうに言ったものの、そんなのはすべて後づけで、ただ子どもとでかい風呂に浸かって、遊びたいだけ。ちょうどいま、16時半。今日はどこの風呂に、チビと行こうかな。

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