人生における仕事の比率について

わたしの両親は、世間でいう仕事人間だった。
毎朝早くから出勤し、日付が変わってから帰宅する。
夕食などはもちろんなく、それを作るのは私の役割であった。

両親と家で過ごした記憶があまりない。
映画やドラマで出てくる、夕食をキッチンでつくる母の姿やキャッチボールをしてくれる父の姿は馴染みのないものだった。

それを不満に思ったわけでもなく、ひとり読書をしたり友人と遊びに出かけたり、私は私で過ごすことも好きだった。
それは両親にとっては幸いであったかもしれない。
たまたま私が、一人遊びが好きな子供だったのだ。
わたしのことを憂慮したり、欠乏の補いを意図してそうなったわけではなかった。
たまたま、家庭をうまく維持出来ていただけだ。

仕事で成果を出すことは、難しいことではない。
ある程度先人によって確立されたフローに乗っ取れば、ある程度は成果を出すことは可能だ。
書店の最も目立つ場所に売り出された自己啓発本を読めば、それなりに知性や、社会で生きる戦略を身につけた気になれる。

でも子供にとって「いい親」になるのは至極難しい。
家庭において本当に子どもの心の支えとなり、子供の精神の基盤となることは難しい。
教科書でもあればよいのだけれど。

両親に不満があったわけではなかったけれど、子供心ながらに、仕事だけを支えに生きている人間にはなりたくないと思っていた。

しかし実際に自身が社会に出て仕事をすれば、いつの間にか何を大切に生きていくのかを見失ってしまっていることに気付いた。

一体、自身は何を軸に生きていき、どの時間を充てて生涯を生きていくのか。
今、それを一度立ち止まってしっかり考えたい。

 

 

匿名希望