やりたいことを目いっぱいやって失敗した。その経験が「折れない心」を育てる

やりたいことを目いっぱいやって失敗した。その経験が「折れない心」を育てる
リンク)より転載

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■子どもはもっと「聞き分けが悪く」てもいい

さまざまなところで指摘されていることでもありますが、いまの公園はとにかく禁止事項のオンパレードです。ただ、それは管理責任が過度に追及されがちな社会の風潮やクレームの多さが背景にあるので、単純に行政を責めるわけにはいかないものです。

その一方で、かつては、他人に迷惑をかけるようなことや危険なことを「やらかしてしまった」子どもがいて、「さすがにそれは駄目だろう」ということで禁止看板ができたのだと思いますが、いまは誰かがなにかをするまえから禁止看板が立っているので、経緯を知らない子どもは禁止事項に無条件に従っていることの方が多いように思います。

そんな時代にあっても、子どもこそ、自分の内から湧き出る欲求というか、勝手に体が動いてしまうようなことをもっと大事にしていいと思うのです。もちろん、大きな事故につながるような危険は避けなければなりませんが、子どもなら子どもらしく、もっと「聞き分けが悪く」なってもいいんじゃないかとも思いますね。

聞き分けが悪くなるというのは、ある意味では自立の証です。子どもが大人に向かって正しく成長する過程では必ず反抗期を迎えます。それは、親に守られながらも、その大きな存在から離れ、自分の人生を歩みだそうとしていることの表れなのです。


■トラブルから子どもが学べることもある

そういう禁止事項を素直に子どもたちが守っていることには、もちろん、大人の姿勢も大きくかかわっているのでしょう。いまは、子どもにとって危険だからとか、倫理的に許されないことだからということ以上に、「トラブルを招いてしまいそうだから」という理由で子どもたちの先回りをしてしまうことが多いように感じます。

最近では、幼い子どもたちが水鉄砲で遊ぶとき、「お友だちに水をかけちゃ駄目よ。誰もいない方向に向けてやりなさい」という声が聞こえてくることもあります。本来であれば、友だちと水を掛け合うことが最大の楽しみでもある水鉄砲ですが、大人同士の関係が緊張しているほど、それが子ども同士の遊びにも大きく影響してしまうのです。

もちろん、なにかの理由があって濡れたくないという子どももいるかもしれません。でも、少し乱暴ないい方かもしれませんが、それはやってみて相手が嫌がってはじめて本当の意味でわかることでもある。そういう実感があって、「悪いことをしちゃった」「気をつけなきゃ」「謝ろう」と心から思うものであるはずです。

一方、濡れたくないのに水をかけられてしまった子どもにとっても、「嫌だ!」と主張できる機会はとても大事なものではないでしょうか。最初からその可能性を取り除いてしまうと、自分の心の底から「嫌だ」と思うチャンスがなくなってしまいます。そう思えたのなら、自分が「嫌だ」と思ったことをちゃんと表現して的確に相手に伝える、あるいは「嫌だ」と思った心をコントロールするということも学べるでしょう。そういうことも成長過程においては重要だと思うのです。

遊びというのは、子どもたちそれぞれの「やりたい!」という気持ちが本心から出るところです。もちろん、それらがぶつかってトラブルを招くこともあるでしょう。でも、そのトラブルがあるからこそ、子どもたちはたくさんのことを自然に学び、育っていくのです。

 

 

紀伊谷高那