麹町中の革命~自治の導入~

公立学校の教育革命の事例として注目を集めている「千代田区麹町中学校」。
その特徴の一つに「自治」がある。
「自分たちの生きる場を自分たちでつくっていく」そんな自主管理の第一歩になっていくのではないかと期待できる。

以下、 リンク より引用
>学活の授業で「自治」を導入
 1960年、山形県鶴岡市で生まれた工藤が東京理科大で教職員免許を取得した後、最初に赴任したのが松山中学校だった。中学1年生の担任になった工藤は、「教育というものの重みを肌で感じました」と振り返る。

「私はもともと人に使われるのも、人を使うのもイヤだと思って、消去法で教員の道を選んだ人間です。でも、中学校にはいろいろな問題を抱えている子がいて、この子たちを放っておけないと思いました。教壇に立ったら、僕を真剣に見つめている子どもたちがそこにいるわけです。その子たちの人生を預かるという責任の重さと、ある種の快感ですよね。俺はこの子たちのリーダーなんだから、頼られる人間にならなきゃと思いました」

 工藤にはひとつ、心に決めていることがあった。子どもの頃、自分が嫌いだった教師のようにはならないということだ。だから、暴力は絶対に振るわない。言いたいことを一方的に話さない。朝の会には、自分の失敗談を披露した。時には授業中に人生論も語った。そうして子どもたちとの距離を縮めていった。

 2年目に入ると、授業に「自治」を取り入れた。工藤は生徒が中心になって授業を作ることができる「学活」の時間を、「君たちにあげるよ。なにをするのか、一緒に考えよう」と持ちかけた。すると、子どもたちからどんどんアイデアが出てくるし、自ら動く。

 見違えるように自発的になり、いきいきとし始めた子どもたちを見て驚いた先輩教師たちは、「もっと任せてみよう」と工藤を生徒会の担当に据えた。そこで工藤は「文化祭を企画してみなよ」と生徒に提案した。

 工藤の頭のなかには、自由闊達だった母校・山形県立鶴岡南高時代の思い出が強く残っていた。そこでは修学旅行も、文化祭も、体育祭も生徒が主導していた。

 同じように、工藤は中学校内のさまざまな行事やイベントの責任と権限を生徒に与え、生徒はそれに応えて見事に自治を拡大した。「生徒の自律に委ねる」という挑戦的な取り組みは、この時から始まったのだ。

大人が変われば子どもも変わる
 家庭の事情もあって5年間で松山中を離れた工藤は、東京の台東区にある上野中学校に移った。そこには飛び抜けて優秀な子もいれば、地元でドロップアウトして越境入学してきた子どもたちもいて、混沌としていた。まだ教師の体罰が容認されていた時代で、教師と生徒の間には緊迫した雰囲気もあった。

 ここでも、工藤は山形と同じスタンスを貫いた。暴力は振るわない。叱る時にも言葉を選ぶ。人生を語る。そうして少しずつ生徒たちの心をつかむと、周囲の教員の協力も得て自治を拡げていった。

 7年目、従来は教師が業者と決めていた修学旅行の行程や内容について、子どもたちに任せた。東京駅から出発して、東京駅に帰ってくるまでの間、教員はほとんど指示を出さなかった。生徒たちが自分たちで考えて動いたからだ。

 その後、別の「教育困難校」を見事に落ち着かせた工藤は、都内のいくつかの地域の教育委員会で勤務し、2014年、校長として教育の現場に戻った。それが、麹町中学校だ。

 ここまでの歩みを見れば、わかるだろう。23歳で教職に就いてから、工藤が実践してきたことはひとつだけ。「自ら考え、決断し、行動できる自律した人間を育てること」という「目的」を果たすための「手段」として、あらゆる取り組みが行われているのだ。

教員たちも変わり始めている。

 「うちは民間の方がよく出入りするので、教員にとっては大きな刺激になっていると思います。言葉を交わしたり、考えに触れたりすることで、学習指導要領の解説を読んで考える教育像ではなくて、世の中で必要な教育像とは何かを教員自身が自分で考えるようになるんですよ。6年目に入って、かなり自走できるようになったと思います」

 今年4月10日、麹町中の体育館で行われた新入生向けのオリエンテーション。生徒による司会進行のもと、生徒会をはじめ各委員会の担当者が壇上に立ち、パワーポイントを操作して活動内容を伝えていた。オリエンテーションの始めから終わりまで会場にいたが、教員がマイクを握ったのは部活について簡単に説明をした1回だけだった。

 

 

 

望月宏洋