幼児期の体験の深さが、人生の幅を規定する

保育の質とはなんだろうか?

本物の文化に出会えるかどうかが人生の幅を規定するのではないだろうか?

幼少期にどんな体験をするかは、確実にその後の人生に影響を及ぼすだろう。

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「子どもたちは自分探しの旅をしている」

2017年に「保育所保育指針」「幼稚園教育要領」そして「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」の3法令が改定され、いよいよ今年(2018年)4月に執行となりました。

この3法令の改定は、改めて保育者一人ひとりが、そして私たちほいくるが、自分たちの保育や子どもと向き合う姿勢、そして保育の質について考える機会でもあると思います。

そこで今回、改定にも大きく関わり、保育・幼児教育の第一人者でもある汐見稔幸さんにお話を伺うことにしました。

保育の質ってなんだろう?
いよいよ昨年改定された「保育所保育指針」「幼稚園教育要領」「認定こども園教育・保育要領」が施行になりますね。 

そうですね。今回の同時改定の一つの大きなテーマは、日本の保育の質を上げるということなんですけど、“保育の質ってなんなのか”って悩んだり戸惑ったりする保育者も多いんじゃないかなと思います。
僕は、そもそも保育っていうのは、子どもたちが持っている可能性を彼らの中から存分に引き出して、人間として豊かに育てていくという営みだと考えています。

だから、“保育の質が高い”というのは、子どもたちの持っている可能性をどれだけ上手に引き出しているか、ということに尽きるんじゃないかと思うわけです。

子どもたちの可能性を引き出す、ですか。

そう。ただ、小学校や中学校なんかと違って、「試験で何点取れたか」とか、「何段飛べるようになったか」とか、結果で可能性を引き出せたかが分かるとは限らないんだよね。
むしろ、そういうカタチで出てくるわけじゃないって言ってもいいかもしれない。

じゃあ、その子が持っている可能性が存分に引き出されているかどうかを何で判断するのかっていうと、僕は、「子どもたちがいい顔をしているか」「その子の持っている自然な優しさや温かさが随所に出ているか」だと思うんです。

子どもたちの姿で、子どもたちの可能性を引き出せているかを判断をするということですか?

そう。教育や保育の成果は、その場その場では計りかねないものなのに、我々は勝手に、これは将来こう繋がるとか結論づけて、保育の質を捉えてしまいがちです。

でも、幼い頃に体験したことや、受けた教育が活きるのは、もしかしたら50年後ということもあるかもしれないし、それがどう活きていくのかは正直分からないよね。

だからこそ、ただその場その場がね、間違いなくその子にとって充実していたり、何かに熱中してイキイキと目が輝く瞬間を送れていたりするか、気負いや無理がなく、その子のままで生活できているかということを、保育者は大切にしていけるといいんじゃないかなと思うんです。

なるほど。そういうふうに考えると、「保育の質」の見え方が変わってきますね。

そうでしょう。
それでその時にね、できればそういう経験や体験の多さだけではなく、深さに注目してほしいなと思うわけです。


ぼくたちは、「自分探しの旅」をしている
“深さ”ということを、僕は、「本物の文化に出会う」って表現しているんだけど。

本物の文化に出会う、ですか?

例えば、ある仕事に出会った時に、「こういう仕事したかったの」とか、ある活動をしている人と出会って「こういうの、私もしてみたい」とか、そういう風に心にビビビと響いてくる出会いってあるでしょう。

僕は、それを、「その人にとっての本物の文化」だと呼んでいるんだけど。そういうものに、子どもたちにもたくさん出会ってほしいなと思っています。

そして、「あっ!」と思えるモノやコトに出会ったら、まずはやってみてほしい。その子らしく、一生懸命にね。
そうすると、「ここから更にこうやっていくと面白そう」というように、段々その世界の面白さを深く理解していくようになっていく。

幼い頃から、そういう体験をどれだけ多く、そして、深くするのか。その子の人生の幅とか可能性って、そこから見えてくる気がするんです。


人間は、子どもも大人も関係なく、自分が何を目指して生きているのかを実はよくわかっていなくて、「わたしは本当はこういうことをしたいんじゃないか」という“自分探しの旅”を人生の中でし続けているんだと思っています。

だから子どもたちには、その子にとっての本物の文化と出会って、「あ、自分はこういうことやったら一生面白く生きられるんじゃないか」とか「こんなものどうしたら作れるんだろう、気になる」とかね。

出会った世界と響き合って、自分がやりたいことを見つける自分探しの旅を、安心して幼いうちからしてほしい。
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北口真穂