「教育という名の虐待」が蝕む愛着障害という病

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数学不安――数学の得意、不得意にも愛着が関与
「数学不安」という専門用語がある。数学ができるかどうかには、数量処理や作動記憶といった認知的能力のほかに、問題を解く際の不安が関わっているという(*参考文献を参照)。この不安が「数学不安」だ。

数学の問題を解くときは、単純な作業をするのとは違って、メンタルな要素が強まる。解けるかどうかわからない問題を、解けると信じて解き続け、ついに正解にたどり着くためには、解けないかもしれないという「数学不安」に負けない精神的な強さや、自信が必要になるのだ。

数学不安が強いと、解けないのではという不安や恐怖に圧倒され、肝心の問題に集中することができず、実力以下の成績しかとれない。それで自信をなくすと、数学の教科書を見るのも嫌になってしまう。

この数学不安は、単に数学が得意か苦手かということだけでなく、就職や職業における成功を左右するという。結果が不確定の、暗中模索の状況において、成功を信じてやり抜く自信に関わるのである。数学不安が強い人は、解けないのではないかと悪い結果ばかりを考えてしまい、自分の足を引っ張ってしまう。

最近の研究で、この数学不安が、愛着安定性と関係していることが明らかとなった。幼い頃の安着が不安定だと、数学不安が強まる傾向がみられたのだ。この傾向は、性別や年齢、IQに関係なく認められた。

安定した愛着は、その子の能力の発揮を大きく助ける一方、不安定な愛着しか育めないと、実力以下の成績に甘んじなければならない。

もちろん、数学が得意かどうかには、数的処理や推論、空間認知、ワーキングメモリーなどの能力も関係してくる。愛着の安定性が数学の成績に関与する割合は、およそ2割だという。しかし、2割違えば、試験の合否も、その後の人生も大きく変わることになる。

親が子どもに勉強を教えるときには、この事実を肝に銘じるべきだろう。問題を間違えたからといって、叱ったり、けなしたりした場合、愛着が受けるダメージによるマイナスは、教えることで得られる学力のプラスを帳消しにしかねないのだ。

叱ったばかりに子どもとの関係が悪化し、しかも自信をなくさせるくらいなら、何も教えないほうがずっと子どものためになる。

教育という名の虐待――死に至る病からの脱走
もし、あくまで親が医学部を続けることにこだわっていたら、F美さんは死んでいただろう。初めて親に逆らって、自分の意思を示すことができたF美さんだったが、しかし両親は、F美さんの気持ちを本当に理解したわけではなかった。心のどこかで、自分たちの期待を裏切った愚かな娘という思いを消すことができなかったのだ。

自分に注がれる、両親の冷ややかな視線。それをひしひしと感じるだけに、F美さんも次第に、親に対して敵意をむき出しにするようになった。自分の人生を、自分たちの都合のためにめちゃくちゃにした親たちに逆らうことが、F美さんに残された生きる意味となっていたのである。


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死に至る病」を脱するためには、それは必要なプロセスだったのかもしれない。

F美さんの本当の自分探しが始まるまでには、親が敷いた路線をいったん拒否し、怒りをぶつける時期が、しばらく続くことになる。

本人の主体性を無視し、進路を押しつけ、勉強を強いることも、虐待である。

虐待の結果、愛着はダメージを受け、愛着障害が生じることになるが、F美さんの場合は、もともと安定した愛着が育まれていたのかも怪しい。医学部に進んで後継者になることを前提に話は進められ、両親がF美さんのことを、思いどおりになるのが当たり前の操り人形のように扱ってきたのは、そもそも温もりのある愛情に欠けていたからとしか思えない。

F美さんは、愛情不足の中で育ち、親の愛情や承認に飢えていたからこそ、進んで親の思いどおりになろうとしたのだ。愛着障害を抱えた人に起きやすい悲劇である。

親は、満足な愛情を与えないうえに、親に気に入られようとする子どもを思いどおりに支配するという、二重の虐待を行っているのである。

 

 

 

大川剛史