寺子屋の教育力(現実から学ぶ・人間力を培う・共同体で育つ)

江戸時代の寺子屋は、日本全国に広まり、村落共同体の中で子どもたちを自分たちの力で一人前に育ててきた子育て・学びの基盤。ここには、現代の学校教育で捨て去られた学びに欠かせない「現実から学ぶ・人間力を培う・共同体で育つ」がある。これを再生することが、現代の教育を改革し、子ども達の意欲・追求力を再生する上でも非常に重要な基盤。

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寺子屋:驚くべき江戸時代の教育力(リンク

■庶民の教育熱によって支えられた教育システム
平和の時代に経済・生活活動が活発化したことで、商家だけでなく農家においても、商取引、土地売買、金銭貸借、家産相続など、トラブル防止のため文書による契約手続きが不可欠となった。その結果、江戸時代は、御家流の読み書きと算盤が必須の文字文化を前提とした社会となった。高札や御触れを読み、他人と取り交わす証文を判読できなければ騙され、不利益を蒙るのである。

その一方で百姓町人に対して、町や村に居住し家族を養うため家を持ち自立を促す政策が幕府によって進められた。家を守り、永続させるためには子どもを一人前の成人に成育させ、立派な後継ぎにしなければならない。かくして読み書き算用を習得させたいという庶民の教育熱が一気に高まり、寺子屋が津々浦々に誕生していった。幕府の支配は原則民事には介入しない。そのため寺子屋は、許認可の必要なく自由に誰でも開業できたのである。

■初級から上級への教育カリキュラム
師匠と教場一部屋さえあれば成立した寺子屋は、列島日本の6万余の村数くらいあったと言われる。校舎などの施設、教員資格・教科書検定・カリキュラムの編成など教育全般を国が管轄する近代の学校と比べ、就学の義務もなく質量ともに一段も二段も劣ると見なされてきた。しかし事実は異なる。入退学は任意で自由、学習の中身は読み書き算用の実学を基本に師匠が自由に裁量する寺子屋は、束脩(そくしゅう=授業料)を支払ってまでも子どもに文字文化を習得させたい親の熱意によって運営されていた。親の自主性によって寺子屋は支えられ、子どもを一人前の人間にするための教育システムとして十分に機能していたのである。

寺子屋は男女共学で一斉授業の形式はとらず、師匠が個々の筆子(教え子)の実情に合わせ手作りの手本を与え一対一で指導する。現存するものだけでも7000種類(そのうち1000種類が女子専用)もある往来と呼ばれたテキストはバラバラで文字文化習得の体系をなしていないと見なされがちだが、それも誤解である。実は全国の寺子屋では、筆子に応じて巧みに実用のカリキュラムが組まれていたのである。

19世紀後半の寺子屋の実態が明らかになる上野国勢多郡原之郷村(現・前橋市)の寺子屋九十九庵(つくもあん)の学習事例を紹介しよう。まず「源平名頭字尽」。「源平藤橘」から始まる115文字の人名の学習である。次が「村名」。そこには生活圏である勢多郡の村名が列挙されている。続いて「国尽・郡尽」。日本66カ国の国名と上野国の郡名である。こうした師匠手作りの教科書によって、「源平」から「国尽」の順番で全ての筆子が学んでいった。まず人の名前の読み書きをマスターさせ、周辺の村名、郡名、国名と近くから遠くへと自分の暮らす周囲の地理を覚え込ませる。いずれも社会生活に不可欠な最低限の基礎学習である。これらは初級者用のテキストと言ってもいいだろう。

この後は筆子一人ひとりの能力や家庭事情を考慮して、いくつかのコースが用意された。1年の生活暦を綴った「年中行事」や御上の法令を集約した「五人組条目」は中級で、世間を生き抜く知恵の詰まった「商売往来」「世話千字文」が上級者用のテキストであった。「借用証文」「田畑売買証文」「関所手形」など実生活に密着した証文類は基礎学習が済んでから適宜挿入された。

■しつけを重んじた寺子屋
寺子屋は読み書き算用のみを教え、筆子のしつけには無関心であったかのようなイメージがあるが、そんなことはない。師匠は親に甘やかされる筆子を前に礼の教育、しつけに苦闘している。駿河国駿東郡吉久保村(現・静岡県小山町)の湯山文右衛門は「余力学文」を寺子屋の目標に掲げている。『論語』の「行有余力、則以学文」(行いて余力あらば、すなわちもって文を学べ)の文言である。つまり、道徳の実践をして余力があれば学問を学ぶということで、学問より道徳を上位とした。家内では親に孝行し兄弟仲良く、外では行いが信・仁である条件を満たした上でなお余力ある者が文字文化を学ぶ資格があるというのだ。(中略)

教場内での礼儀作法から来客への接遇、礼に始まり礼に終わる。また筆子同士のけんか口論に対する親の介入を禁じ、三世の契りと言われた師弟関係を核に筆子仲間を生涯の友として大事にすること。さらに早起きして洗顔、お天道さま、ご先祖さまを拝み、食事には父母に一礼を欠かしてはならないと家の道徳にまで踏み込んでいる。寺子屋の文字文化の習得はあくまでも「余力」であって、実生活から遊離して文雅の道楽で身を滅ぼし家名を汚すことを危惧したのである。そこには読み書きの習得と一体化したしつけがあった。

■一人前の人間を育てる若者組の教育
こうした寺子屋のしつけを受け継いで、厳しく一人前の人間に鍛え上げたのが若者組であった。娘組もあったようだが、資料が残っていないので詳しくは分からない。

若者組は口伝や所作によって、地域の青年男子を一人前にするために非文字の伝統的習俗をたたき込む教育システムである。村・町の共同体において年齢によって組織され、貧富や家格に関係なく15歳になると全員が子どもと決別して若者入りをする。親元から切り離され、寝宿(ねやど=合宿所)に寝泊まりし、年齢の上下が絶対の服従を強いる厳格な掟(おきて)、規範の下で集団生活を送る。口授や身ぶりによって文化を伝承させる非文字の教育である。親はもちろん役人の介入も許さず、新入りの若者を共同体の一員に鍛え上げていく。今や封建遺制の汚名の下、祭礼の執行にその残影をしのぶ他ないが、個性、能力の開発を目標とする近現代の学校制度から完全に失われてしまった教育システムだと言えよう。

 

 

 

 

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