「学ぶこと=遊ぶこと」 大人が子供から学ぶこと

以下転載(リンク
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漢和辞典を眺めてる息子(小三)。何してるの?と聞いたら、遊んでるという。どうやって?と聞いたら、万葉仮名を部首索引から探す遊びだという。「ほら、於(お)を見つけた」。
息子は遊びと学びの区別がない。

学ぶことって、最高の遊びだと思う。そして遊びの中には、学びが必ずあると思っている。息子は数学のことも好きで、図形や代数のことをよく考えている。一つを知ったらその奥にまた新しいのが顔をのぞかせる様が、ゲームそっくりなのだと思う。

私は漫画やテレビゲームもあんまり遠ざける気がない。私自身が好きだし、そうしたものからも学べると思っている。学びと遊びに区別を設けなければ、子どもはよく遊び、よく学ぶように思う。

「勉強やらずにゲームばっかり!」という嘆きの声をよく聞く。私は、もしかしたら勉強とゲームを区別するからそんなことが起きるのでは?という仮説を持っている。そして、「勉強」に分類したものを押しつけ、「ゲーム」に分類したものを抑えようとするから勉強から逃げ、ゲームに走るのではないかと。

おそらく、ゲームを今日から何時間やれ!何万点採らないと承知しないぞ!って命令したら、子どもはそのゲームをやる気失うと思う。
明治生まれの方から「勉強なんか学校でやってこい!家の手伝いをしろ!」と親から言われて、もっと勉強したかったという話をよく聞かされた。

子どもはどうも、親がやってほしいと期待してることにはやる気をなくし、やってほしくない、あるいはそれをするとは想定していないことをやるのが好きらしい。そうなるのはおそらく、子どもは「親を驚かす」のが大好きだから。

それは多分、赤ちゃんの時、初めて立ったり言葉を話したりしたときに親が驚き、喜んでくれたことが、強烈に刻み込まれているからだと思う。親を驚かすことが、赤ちゃんの頃から大好き。そして驚かすには、親の想定の外を狙わなければならない。想定内の行動は驚かないから。

私とYouMeさんはそのようなことを話し、「じゃあ、遊ぶことも学ぶことも想定の外にし、もし遊んだり学んだりしたら驚くことにしよう」と、仮説を立てて接するようにした。
学ぶことも遊ぶことも想定しないでいると、それを始めた時に驚くことになる。すると、子どもは得意満面、してやったり。 

子どもにああしてほしい、こうしてほしいと期待しない。期待しないでいると、たまたまそれを始めた時に驚く。驚くと、子どもは「これをやると驚くんだな」と気がつき、「じゃあもっとすごいことをやって驚かしてやろう」というゲームになるらしい。学びでさえ。

一般に、子どもは勉強が嫌いだと信じられていることが多い。しかし子どもが勉強を嫌いになるのは、親がそれを期待するから、勉強するよう願うからではないか。子どもは親を驚かせたい。なのに期待したり願ったりしてることをやっても親は驚かないどころか当然視する。それが嫌いになる理由では。

子どもは実は、まなぶことが大好き。「ねえ、今日こんなことができるようになったよ」「こんなことを学んだよ」と言っては、親が驚く顔を見たい。なら、驚けばよいのだと思う。そのためには、期待しない、願わないことが必要。驚くために。

ただし、一つのことをあまりにも長時間続けるのは止めている。「こりゃ!いつまでやっとる!晩ご飯だぞ!」そのときのめり込んでるのが、漫画だったりテレビだったり、あるいは学習だったり。学ぶことも長時間に及ぶと休ませる。そうして抑えるから、余計に鼻息荒く学ぼうとするのかもしれない。
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子供だけでなく大人もこのような意識で万案で学ぶことが大切だと思う。

 

(中村明博)