ノーベル賞を受賞する日本人に、実は「田舎育ち」が多い「驚きの理由」

毎年話題になるノーベル賞。日本からも多数の受賞者を輩出していますが、その多くが子供時代に田舎で育った経験を持っているのだとか。
田舎育ちとノーベル賞。どんな関係があるのでしょうか。

以下(リンク)より引用します。
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想像もつかないような「ド田舎」で育った研究者が、日本では数多く活躍している。

 先月5日にノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏も、交差点もないほどの田舎で育ったことを前編の「地方出身の研究者が、ノーベル賞を続々と受賞する「意外すぎるワケ」」でお伝えした。引き続き後編でも、他の受賞者や天才と呼ばれる人たちの、頭脳を育んだ環境をお伝えする。

〇何もないから工夫する
 旧新宮村から約150km離れた、愛媛県の西端からもノーベル賞受賞者が生まれている。瀬戸内海と宇和海に面した土地に、かつて四ツ浜村(現・伊方町)と呼ばれる地域が存在した。

 この村は青色発光ダイオードを発明した功績から、'14年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏(67歳)の故郷だ。中村氏はここで7歳までの時期を過ごした。

 当時の思い出を、中村氏の実兄であり、今は松山市で暮らす康則さんが振り返る。

 「海や山で遊ぶかたわら、四国電力の技術者だった父が作ってくれた数学のドリルを、姉弟4人で競って解いていました。出来はいつも修二が一番だったと思います。

 親父は尋常小学校しか出られず、学歴がない中で四国電力に入った。周りの社員と比べられて悔しい思いや嫌な思いもしたと思います。『勉強しろ』とは直接言わなかったけど、あのドリルは、自分みたいに苦労してほしくないという気持ちの表れだったのかな」

 学校から帰ってくるとまず父の作ったドリルを解き、それが終わってから遊びに行く。当時の同級生たちは中村氏がドリルを解き終わるのを、中村家の前で待つことがしばしばあったという。

 当時の人口は600人ほど。働いている住人の3分の2以上が農家か漁師だった村で、父親が会社勤めというのは珍しい存在だった。

 「村の子供たちは自分の服の袖で鼻水をぬぐっていたけど、修二のとこだけはそんなことしてなかったな。

 学校が終わると、子供たちは磯に集合して、山から持ってきた枝を釣り竿にして魚を釣り、タコやサザエ、アワビなどを素潜りで採って遊んでいました。海に行かない日は、山で枝を拾ってチャンバラごっこに興じましたね」(幼なじみの佐々木和夫さん)

 村には商店がなかったため、遊び道具も売っていない。何もない環境で、一から遊びを考えて道具を手作りする。この環境が、中村氏が研究者として大成する要因となった。康則さんが語る。

 「自然を相手に遊んでいると、生き物など様々なものを観察します。これを続けていくと好奇心が芽生えていくのです。

 同じ愛媛県人の真鍋先生が、何度も好奇心という言葉を口にしていましたが、田舎育ちの私たちもよくわかる。修二の原点には、田舎の海や山と触れ合い、好奇心をはぐくんだ経験があるのだと感じます」

〇生まれ変わってもこの村に
 真鍋氏も中村氏も、田舎では教育熱心な家の出身だ。だが、そうではない家庭からも日本有数の頭脳が生まれている。

 山梨県甲府市の中心部から約13km離れた旧豊富村(現・甲府市)は、光通信のスピード化に貢献した東北大学名誉教授兼卓越教授の中沢正隆氏(69歳)の故郷だ。

 「生まれ変わってもまた豊富村に生まれたい」と前置きし、中沢氏本人が当時を振り返る。

 「豊富村は養蚕が盛んな地域で、私の家も養蚕農家でした。蚕が大きくなると家の中は畳もリビングも片付けて、蚕だらけ。両親は蚕の世話につきっきりで忙しかったため、勉強しろと言われたことはありません。

 実際に、中学校に入ってしばらくするまで勉強はしなかった。でも、この時に勉強勉強と型にはめられることがなかったのが良かったのだと思います。

 高校は市内の甲府南高校に進学しました。市内から来る賢い生徒と過ごすのかと緊張していたんですが、授業が始まるとそれは取り越し苦労でした。なんだ、田舎育ちの僕と変わらないじゃないかと思いましたよ」

 高校入学時の経験は、東工大大学院を卒業し、日本電信電話公社(現・NTT)で研究職に就いた時に糧となった。

 「当時の電電公社の研究所は、全国の大学から電気通信の分野で優秀な学生を上から順に採用していたんです。でも、入社して彼らと同じ研究職に配属された時に緊張はしませんでした。実際に接すると、僕と変わらないはずだと思えたからです」

 研究でも失敗を恐れず、臆さずに取り組んだからこそ、'95年に光増幅器を完成させ、光通信を高速化することができた。田舎で培われた臆さない心が、中沢氏の研究者人生を支えていた。

(後略)
 
何もない、人もいないド田舎。それは、天才たちにとってはハンデにならない。むしろ、それが型にはまらない自由な発想を生み、人類史に残る成果となって結実していたのだ。
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(阿部和雄)