世阿弥のことば 7段階の人生論

世阿弥が残した風姿花伝花伝書)。
ここに記された人材育成論は、子どもから大人まで通じる
人の導き方です。

それは、一時の花なのか、真の花なのか。

先人の心のあり様は学びになります。風姿花伝の第一章、「年来稽古条々」に記された、年齢に応じた稽古の仕方・姿勢・心のあり様をうまくまとめている記事がありましたので引用します。
世阿弥が生きたのは、室町時代初期。1300年代後半から1400年前半。今から600年も前のことです)

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世阿弥のことば 7段階の人生論」より引用です。
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■幼年期(7歳頃)
「能では、7歳ごろから稽古を始める。この年頃の稽古は、自然にやることの中に風情があるので、稽古でも自然に出てくるものを尊重して、子どもの心の赴むくままにさせたほうが良い。良い、悪いとか、厳しく怒ったりすると、やる気をなくしてしまう。」

世阿弥は、親は子どもの自発的な動きに方向性だけを与え、導くのが良いという考え方を示しています。親があまりにも子どもを縛ると、親のコピーを作るだけで、親を超えていく子どもにはなれない、という世阿弥のことばには含蓄があります。

■少年前期(12~13歳より)
12~13歳の少年は、稚児の姿といい、声といい、それだけで幽玄を体現して美しい、と、この年代の少年には、最大級の賛辞を贈っています。しかし、それはその時だけの「時分の花」であり、本当の花ではない。だから、どんなにその時が良いからといって、生涯のことがそこで決まるわけではない、と警告もしています。

少年期の華やかな美しさに惑わされることなく、しっかり稽古することが肝心なのです。

■少年後期(17~18歳より)
この時期を世阿弥は、人生で最初の難関がやってくる頃と言っています。
「まず声変わりぬれば、第一の花失せたり」

能では、少年前期の声や姿に花があるとしていますが、声変わりという身体上の変化が加わり、その愛らしさがなくなるこの時期は、第一の難関なのです。

こんな逆境をどう生きるか。世阿弥は、「たとえ人が笑おうとも、そんなことは気にせず、自分の限界の中でムリをせずに声を出して稽古せよ」と説いています。
(略)
限界のうちで進歩がない時には、じっと耐えることが必要だ。そこで絶望したり、諦めたりしてしまえば、結局は自分の限界を超えることができなくなる。無理せず稽古を続けることが、次の飛躍へと続くのです。


■青年期(24~25歳の頃)
この頃には、声変わりも終わり、声も身体も一人前となり、若々しく上手に見えます。人々に誉めそやされ、時代の名人を相手にしても、新人の珍しさから勝つことさえある。新しいものは新鮮に映り、それだけで世間にもてはやされるのです。

そんな時に、本当に名人に勝ったと勘違いし、自分は達人であるかのように思い込むことを、世阿弥は「あさましきことなり」と、切り捨てています。

(略)

(新人であることの珍しさによる人気を本当の人気と思い込むのは、「真実の花」には程遠い。そんなものはすぐに消えてしまうのに、それに気付かず、いい気になっていることほど、おろかなことはない。そういう時こそ、「初心」を忘れず、稽古に励まなければならない。)

自分を「まことの花」とするための準備は、「時分の花」が咲き誇っているうちにこそ、必要なのです。

■壮年前期(34~35歳の頃)
この年頃は、ちょうど世阿弥風姿花伝を著した時期と重なります。世阿弥は、この年頃で天下の評判をとらなければ、「まことの花」とは言えないと言っています。
(略)
上手になるのは、34~35歳までである。40を過ぎれば、ただ落ちていくのみである。だから、この年頃に、これまでの人生を振り返り、今後の進むべき道を考えることが必要なのだというのです。34~35歳は、自分の生き方、行く末を見極める時期なのです。

■壮年後期(44~45歳の頃)
「よそ目の花も失するなり」
この時期についてのべた世阿弥のことばです。どんなに頂点を極めた者でも衰えが見え始め、観客には「花」があるように見えなくなってくる。この時期でも、まだ花が失せないとしたら、それこそが「まことの花」であるが、そうだとしても、この時期は、あまり難しいことをせず、自分の得意とすることをすべきだ、と世阿弥は説きます。

この時期、一番しておかなければならないこととして世阿弥が挙げているのは、後継者の育成です。自分が、体力も気力もまだまだと思えるこの時期こそ、自分の芸を次代に伝える最適な時期だというのです。

(略)

■老年期(50歳以上)
能役者の人生最後の段階として、50歳以上の能役者について語っています。
(略)
世阿弥は、観阿弥の逝去する直前の能について語っています。観阿弥は、死の15日前に、駿河浅間神社で、奉納の能を舞いました。
(略)
観阿弥の舞は、あまり動かず、控えめな舞なのに、そこにこれまでの芸が残花となって表われたといいます。これこそが、世阿弥が考えた「芸術の完成」だったのです。老いても、その老木に花が咲く。それが世阿弥の理想の能だったのです。
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引用以上

父、観阿弥が亡くなったのが、52歳の頃。
現代の人生100年時代で置き換えれば、
少しづつ年齢を後ろ倒しにして読み変えると良いかもしれません。

600年前から、人の生き方の本質は同じなのだと感じます。

 

(山本紀克)