「我儘」はダメ?「我慢」は善し?

先日、3歳(Mちゃん)と5歳(Yくん)の子供たちの間でささいなけんかが始まりました。Mちゃんのおもちゃを使ってYくんが遊び始めると、「勝手に使わないで!Mが使うんだから遊ばないで!」と怒り始めたことから。Yくんは、そう言われたことに、「だって今は使ってなかったやん!なのにそんなこと言われるの意味が分からん!」と。最後は2人のお兄ちゃんが、「今日は、Mに優しくしてやって!」と怒ったことで、Yくんが大泣きしながらも“がまん”して終わったけんかでした。

その夜、Yくんに、「あの時、よく“がまん”できたね」と伝えると、「え?がまんなんてしてへん!」と返してきたのです。むしろ「なんでそんな風に言うのか意味わからん!」と。大人の目には、「わがまま」を言うMちゃんと、「がまん」をするYくんという構図に見えていたのですが、Yくんはまったくそう感じていなかったようなのです。
振り返ると、大泣きした理由は、“がまん”したことではなく、気持ちが通じ合わなかったこと、そしてそれをお兄ちゃんに怒られたことに泣いていたようなのです。

こんなことがきっかけで、「我慢(がまん)」ってなんなんだろう?と思い始めました。

それらを考えていると、ある子供が泣きながら母親に訴えたという言葉に出会いました。
「妹はいい。妹がうらやましかった。妹は、ワガママだけど、可愛いから、家族のみんなは小さい頃から何でも妹のワガママを許してきた。私は、もともとガマンする方だから、いつでもガマンさせられてきた。私は言いたいことも言わず、ほしい物もガマンしてきた。私がガマンすることで、家族みんながうまくやってこられた。私だってワガママでいいのならワガママになりたい。こんな不公平に、もう私はガマンしない」

知ってか知らずか、「我儘」と「我慢」の背後にあるものを対比して、とてもうまく表現しているなとおもいました。

大人は「我儘」と聞くと、周囲の者に対する気配りをせず自己主張することと捉え、ダメなものだと思いがち。逆に「我慢」は、堪え忍ぶ、辛抱する、忍耐強いと捉え、良いこととして捉えている気がします。

しかし、「我儘」とは、文字のごとく「我がまま」。自分の意に従って行動しており、あるがままの自分を認めてもらっていることとも取れます。
一方で、「我慢」の語源をたどると、文字通り「我の慢心」とされ、「自分をえらく思い、他を軽んじること。高慢。我意を張り、他に従わぬこと。我執。強情」という意味もち合わせているそうです。
自分を押し殺して、堪え忍びながら辛抱して他人の考えや行動に合わせるということは、その一方では我を張り、他者の人格を軽んじていることに他ならないとも考えられるわけです。

子どもたちは大人以上に、言葉やものごとの本質をつかみ取り、あるがままの現実をみているのかもしれません。曇った大人の見方を反省した出来事でした。

 

(あわわ)