応えていこう☆.。.:*・°

どうも :m034: あこりんです :m030: 昨日のミネコの記事になるほど~ :m022: “ありがとう”は単なる受身ではなくて、また、さらなる期待への出発点なのだと、納得しました。 一見、単なる受身にみえるけど、そうじゃないことって、 普段は気づかないけど、思い返してみれば、いろいろとありそうですよね :roll: 今日は、そんな受動と能動の狭間での葛藤を描いた、 とある仕事場面での投稿の紹介を、、、 (クリックしてから続きを読んでね :m023: ) :m023: ↓↓ランキングに参加してます :m001: ↓↓ぽちっとヨロシクお願いしま~す :m072:

ここのところ、一緒に仕事をしているチームがうまく行かなかった。 自分が期待封鎖の世代であると言うのも重々分かっていて、 その分、「仲間に期待をかけなくちゃ」という気持ちだけ先行していた。 その結果、「ああしてほしい」「こうしてほしい」という、 表層的な期待をかけるだけになってしまい、 「みんなが応えてくれない」というスパイラルに陥っていた。 しかし、その仲間に教えられた。 「期待」というのは丸投げにすることとは違うということ。 期待に応えて欲しいなら、まずは自分が真剣に、 全力で相手の期待に応える必要があること。 自分の安全領域を守って、 「この範囲は僕だけでできます」 →「だからあなたはこの範囲をやってください」 という自己完結的な役割では、誰もついてこないこと。 本当に期待をかけるとは自分ができない未明課題に突入し、 本気で「どうしたらいいか分からない。誰か助けて!」 という領域にあること。 誰かに期待をかけるとき、 まずは自分の周りにある期待を捉え、 それに全力で応えていこうとする姿こそが、 周りの人への期待であるということに気づいた。 自分で考えようともせず、 誰かに「教えてください」「どうしたらいいですか?」というのは、 単なる逃げなのだ。 自信が無くても、それが自分の安全領域じゃなくても、 恐れずにぶつかっていって、 そこで試行錯誤するときにこそ、 「みんな」のありがたさに気づく時なのだ。 (みんなに期待をかけるには? より)

何かを実現するときには、「ああして欲しい」「こうして欲しい」という要求を 周りに撒き散らすのではなく、実現イメージをみんなで共有して、 そして、そんな周りの期待を捉えて、徹底的に応えていくこと :m034: ☆.。.:*・° 期待するのが苦手って、なんだか聞こえがいいけど、 =周りの期待に応えてないから、期待が見えない :m109: ってことなんですね :m034: 期待をかけるのが苦手なら、まずは応えることからでもOK :m030: っというか、応えることこそが、期待なのです!! 2007年、みんなの期待にどんどん応えていこ~ :love: