学ぼう日本の心・日本の文化♪~察しの文化~

みなさん、こんにちは :m230: %E6%B1%9F%E6%88%B8.bmp 日本には、たくさんの感謝や肯定視から生まれた文化がたくさん根付いていますね :m222: 今日は、そのひとつ、 :m033: 察しの文化 :m034: をご紹介します :love:

:m208: 「察する」とは・・
言葉にせずとも、相手を思い遣ったり、事情を推し量って、それと知ること :m072:

察する文化とは、なぜうまれたのでしょうか :m052: 続きを読む前に、応援クリックをお願いします :m023:

日本の文化は「察しの文化」とか、「思いやりの文化」とか言われますが、それが日本語という言語のなりたちから出来上がったものであることが伺われます。 以下、鈴木孝夫氏の「ことばと文化」より抜粋です。 ******************************* さて対象依存型の自己規定とは、別の言い方をすれば、観察する自己の立場と観察される対象の立場が峻別されずに、むしろ両者が同化されることを意味する。日本文化としばしば対比される西欧の文化が、観察者と対象の区別、つまり自他の対立を基礎とするのに対し、日本の文化、日本人の心情が自己を対象に没入させ、自他の区別の超克をはかる傾向が強いことはしばしば指摘されるところだが、日本語の構造の中に、これを裏付ける要素があるということが出来よう。 私たち日本人は相手の気持ち、他人の考えを顧慮する前に、一応自分としてはこう思うという自己の主張の原点を明らかにすることが、どうも苦手のようだ。相手の出方、他人の意見を基にして、それと自分の考えをどう調和させるかという相手待ちの方式がむしろ得意のようである。 それどころか、他人が意見なり願望なりを言語で明確に表明しないうちに、いちはやくそれらを察して、自分の行動を合わせて行くことも少なくない。「察しがよい」「気がきく」「思いやりがある」などの表現がほめ言葉であり、またヨーロッパ語に直接は翻訳しにくいものであることを見ても、対象への自己同化が日本人にとって美徳ですらあることが分かる。 また「親切の押し売り」や「有難迷惑」とか「人の気も知らないで、いい気なものだ」なども、相手の気持ちや希望を先取りすることが、日常普通に行われている社会でなければ、意味をなさないのである。 ******************************* 以上、転載終わり この様に、日本語はあまり自己主張をするような言語や構造になっていない分、相手は話し手の言葉からその人の意図するところを読み取ろう、同化しようとしてきたようです。 ここから、相手への同化を積極的に試み様とする日本人気質や、「察しの文化」と呼ばれる文化が育ったのでしょう。    :m146:    :m146:    :m146:    :m146:    :m147:    :m147:    :m147:    :m147:    :m147: 確かに~。。。 例えば、英語のguessは「推測する」と和訳されますが、 ニュアンスとしては、本当に相手のことを思って推し量るというよりも、当てずっぽうな感じだそうです :-( ちょっとした言葉でもこんなに違いが現れるなんて、改めて見てみると驚きです :shock: