出産に対する期待のあり方が違う

出産とは、生殖本能に従えば「種」の存続をかけた可能性収束といえます。また共認動物としてみれば「集団」の存続をかけた集団課題という側面も強く意識されます。古代の女性(母性)信仰や私権時代以降の出産の祝い(時として間引きなど)にも、外圧下での可能性収束、集団の意識(人々の期待)のようなものを強く感じます。現在子供が生まれればとりあえずみんなお祝いをしてくれるのも、往年の集団課題としての意識が強く残っているからだと思います。

会社員と自営業における出生率の差についても、子を産み育てることに対する期待のあり方が大きく異なるように感じます。

企業が育児休暇制度などをいくら整備したとしても、それはあくまでも出産当事者がその制度を利用するかどうかにゆだねているだけで、生殖(出産)を分離した闘争(仕事)共認にのみ収束した企業風土に出産への期待など感じることはできないでしょう。また核家族という生殖の場も孤立しており、自分たちの出産願望(せいぜいは祖父母の期待)を足がかりにするしかないというのが実情だと思います。

自営業の場合は、少なくとも闘争(仕事)と生殖(出産)が一体となった場であり、商店街という地域共同体にも出産という祝い事をお互いに助力しあう風土が残っているのではないかと想像します。

出産をめぐる個人的なリスクやメリットが優先されるなかで、少なく生んで大事に育てる、晩婚・高齢出産etc・・・などの諸現象が生まれています。これからも出産を個人の権利や個的な願望として捉えている限り、少子化問題などに解決の糸口は見えてこないと思います。

出産という仕事が普遍的な課題・みんなの期待であることを認識し、応望の充足を基盤にして出産・育児に向かえるような社会(人々の意識)・集団のあり方を真剣に考える必要があると感じています。





阿部和雄