「うちの子」の問題ではなく、みんなの課題に置き換える

>子育てをする人には、もっと子供と真剣に向き合って、子供が発するサインを敏感に感じ取ってほしいし、子育てをする当てが無いなら、簡単に子供を生まないで欲しいと思う。(56047 西村さん)

 交流会に参加したときに、西村さんと同じように「親と子がしっかり向き合って、子育てしなければいけない。」と仰る方がいました。でも、それに疑問に感じたのでみんなで考えてみました。

 かつての村落共同体では、子供たちは「自分の子」というより、「地域みんなの子」という感覚で育てられたのではないかと思います。兄弟もたくさんいて、いざとなったら面倒を見てくれたり世話を引き受けてくれる大人も近所にいくらでもいる、そういう中で育ったのではないでしょうか。
 一方で現在は核家族が主流。兄弟も2人か3人くらいで、ご近所付き合いもあまりない状況。どんな風に子供を育てたらいいのか分からずに、育児書を手本に子供としっかり向き合って育てた結果が、いじめや登校拒否、家庭内暴力や幼児虐待といった現象になってかえってきているのではないかと思います。子供と真剣に向き合うというのは、家庭という密室空間で子育てをするということに限りなく近いのではないでしょうか。世間でよく言われるような「自分たちで責任を持って子育てする」(=家庭という密室空間で子供を育てる)ことに限界があるのだと思います。

 また、子育てする当てがないのはどうしてでしょうか。
 現在の親が子供に対して抱く意識は、「うちの子」という言葉に表れるように、極端に言えば所有に近いものだと思います。私権獲得に魅力が感じられなくなってきているように、所有に対する魅力も変化しているのではないかと思うのですが、「子育てをする当て」を感じられない原因も、金銭的な問題も然ることながら、「うちの子」(=子供の所有)に対する限界なのではないかと思います。

 「うちの子」であることは確かに事実ですが、親が子供に対して持つその意識を変えなければ、密室で育てられ→問題が発生する構造は変わらない気がします。

 かつての共同体のような集団で子育てするのは、核家族が主流の今日ではなかなか難しいことですが、密室での子育てを打破するには、子育ては各家庭での問題と捉えるのでなく、どこの家庭にもある「みんなの問題」「みんなで共有する課題」として捉えなおす必要があるのではないでしょうか。




山崎許子