沢山もらった応望充足

雪の降る日に長男を出産しました。
その頃、母乳特に初乳の大切さが見直されだした頃で、長男を出産した次の日に生まれた赤ちゃんが、お母さんの母乳が飲めない状況があり、お医者さんよりその子の授乳を退院まで頼まれました。

2人の赤ん坊に片方ずつ授乳したのですが、自分の子人の子の区別なく可愛くて愛しくて2人の赤ん坊を抱ける幸せに浸りました。
一週間だけの乳母役でしたが、孫を授かった今でも我が子の成長と共に、ふと、授乳したその子がどうしているのか気にかかりその当事が蘇ることがあります。

上記の事例は、生産集団である共同体を基盤とし、その共同体を維持するための規範に基づく行動が残存していたといえます。共同体を構築し、維持するには生産・闘争過程だけを共同にするだけでは不十分で、子を育てるといった生殖過程も包括しなければいけないことをあらわしています。また、誰の子というこだわりなく育てていくことで女性の自我も自然と抑制される、または自我が萌芽しないといったほうがいいかもしれません。

意識が個人に分割された現代でのお互いの助け合いといった母親たちの動機に比べると、集団に立脚している分、女性の強さを感じます。<24993
「血のつながり」、「血は水よりも濃し」等と血縁のつながりは何より強いように言われますが、それは一族や家族を血縁で結束しておかないと生きていけない時代の大きな外圧と戦うための縛りであったと思います。

子を家の労働力として育てる必要もなくなり、血縁で縛る必要もない豊かな時代の今、密室で過期待をかけ育児に悩むより、「みんなの子は自分の子」この手でぬくもりを感じ、共に泣き笑い成長を見守っていけること、困ったことも嬉しいことも叱るのも誉めるのも自分だけが背負わないで、みんなで分け合いみんなで育てることは素晴らしいと思います。

そう思えるのは、今でも一生懸命母乳を飲んでくれた赤ん坊、産湯を使わした赤ん坊、抱っこしてあやし添い寝した子、一緒に遊び叱った子、成長して挨拶されて驚いた子、手術がうまくいかず亡くなった子、喜びも悲しみも今では一人の子では味わえない多くの応望充足感を愛しく思い出すことができるからです。






浦野てる代