楽しいという体験から

 仕事を続けていくうちに、「企業内保育の制度があったらいいのに・・・」という思いを持つようになった。実際、会社の先輩とも「うちの会社がそれをやってくれれば、出産するのに・・・」と話したこともある。
 その時私達がイメージしていたのは、自分達の会社の一角に育児所を作り、通常は保育士さんにお任せするが仕事の合間には自分の子供や同僚の子供の様子を見に行ったり交流できるような場だった。

 その時は単純な空想のレベルで、「じゃあ保育士さんの費用はどうするの?」といったところまでは全く考えていなかったのだが、谷光さんの投稿を読んで「企業内保育って実現する可能性があるかも知れない」と思った。

 じゃあ、自分達が希望している制度がなんで実現しないの・・・?その「なんで?」を考え詰めていったとき、最後に残った理由は「自分は自分、人は人だから」。
 「自分が仕事をする時間を第一優先して、育児には時間を取られたくない。」「自分の子供なら自分の責任で面倒を見るけど、他人の子供までは責任持てない。」「自分の時間を他人の子供のために割くのは苦痛。」等々の意識。
 これって、明らかに子育てが自分課題でしか捉えられなくなっている状態。これでは「子供も育てたい、社会にも参加したい」という本当に実現したい課題には一向に近づいていかないことも分かっている。「個人主義」をどう塗り替えていくか・・・・自分自身、そこから先に進めなかった。

 今年の春から仲間数人と娘露店を出している。最近はその活動が益々勢いを増し、以前に比べて娘露店主同士の会議や他露店の会議、グッズ作成や答え版の作成など、目まぐるしく忙しくなっている。娘露店を始めた当初なら、「露店は楽しいけど、その準備や打ち合わせのために休みの日まで会社に来るのは苦痛。」というところだったと思う。けれども、より多くのみんなと共認を図りながらより大きな課題を追求していくことの充足体験を積んでいくうちに、気がつけば平日も休日も日付が変わるまで活動していることが全く自然な毎日のスケジュールになっていた。

 そんな意識状態になっていることに気付いてから、改めて投稿を読んでみたら、
>企業内共同保育を実現するには、プライベート重視の意識も捨てないと無理かも。 (29326)
という一文が、すごく自然に頭に入ってきた。
 今までは、休日って「労働者の権利。だから貰うのが当然。」「会社を一歩出たら後は自分の自由な時間なんだから、自分のために使わないと損。」だと時間を捉えていた。けれども、自分も含めたみんなの課題があり、みんなから期待もかけてもらい、それに応えたら充足が感じられることを体験すると、「自分の時間は自分のために使わないと損」なんていう意識はいつの間にか霞んでしまっていた。
 「個人が尊重されるべき」という観念が剥がれ始めたら、「共同保育だって参加したら楽しそう!」という思いで、この投稿を読むようになっていた。

 構造認識をまだ知らず個人主義でしか子育てを捉えられない多くの人たちが共同保育に向かっていけるためには、「みんなと一緒に実現に向けて行動したら、そっちの方がずっと楽しい」という経験をまず体験してもらえたら、早いのではないだろうか?





宮島明子