親の共同体化

共同保育以前の問題として、そもそも親が共同生活できるほど私権意識を捨てられるのか?という問題があるのではないでしょうか。自分たち(=親)は私権を守ったまま子供だけ共同というのはどうなんだろう?

親たち自身が共同生活を模索する2方向からのアプローチについて考えてみました。(他にも別視点のアプローチがあるかもしれませんが)

ひとつは、生殖の場(=家庭)を共同化する視点。コレクティブハウスがこれにあたるようです。共同で食事をする日を設けるなどの運営やルールは、入居者全員で決めるというもの。セキスイハイムのHPリンク
が実施したアンケートによると、住んでみたいと答えた人は70%。期待することの上位は安全性や人間関係、心配なことの上位はプライバシーや人間関係。
人間関係がうまくいけばいいけど、うまくいくかどうかが心配、っていうのは、みんなで共有できる課題がなければうまくいく気がしないということがなんとなくみんな分かってるということだと思います。いいかも、と思う一方で自分たちの自我私権意識を抑制するだけの闘争圧力は存在しないから、ちょっとしたことで人間関係が崩れてしまうような予感がある。

もうひとつは、生産の場(=企業)における共同生活。
すぐに思い浮かぶのは寮や社宅ですが、既存の企業では寮離れがすすんでいるようです。
そもそも若者は序列原理で動く上司のことは仲間とは思えない。
だから生産の場からの共同生活を考えるならば、その会社組織自体を共同体化⇒末端まで闘争圧力を貫徹することが不可欠。そこまでいかないと堅苦しい共同生活のイメージから脱却できない。

家庭(=生殖の場)は闘争圧力をどう形成するか。
企業(=闘争の場)は序列原理をどう突破するか。

っていう課題と向き合うことを抜きにしてはそれぞれ前には進めないということだと思います。





長谷川文