保育は家庭で行なわなければいけない、という規範が日本を停滞させる

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■日本の保育問題 

ここ最近、保育所を落選した保護者たちの嘆きが続いている。

少子高齢社会突入で財政破綻寸前の日本にとって最も重要なのは現役労働者数を増やすことであるにもかかわらず、税や年金のフォローを担う「女性」「高齢者」「若者」の3要素のうち、「高齢者」は年金負担は免除され「若者」の労動者化には異常な時間がかかる以上、いちばん現実的なのは「女性」の労動者化だ。その際最低必要なのは、保育所による育児の社会的負担だ。 

そんな単純なことはわかっているのに、その基礎条件である「保育所」に預けることができない。 

保育所側の事情は、予算不足による保育士不足と施設未整備などになるだろう。が、都市部の保育所を中心に、予算を多少増加させたとしても(来年度保育予算は2,000億円ほど増加して9,000億円になるそうだ)、保育所に希望者全員を預けることができない。 

その結果、最近話題の「保育所落ちた、日本死ね」的嘆きが注目される。

■少子高齢問題と都市問題 

保育予算の小規模な増加ではとても対応できない現在の事態に対して、僕はまずは、 

「保育と現役労働者層の動向には基本的には無関心な高齢者層」が現在の日本では数的にも政治的にもパワーを持っている(68才は18才の2倍以上)ことを思いつく。 

これを補足するかたちで、駒崎弘樹氏の言う「保育段階の子どもをもつ親の時間の短さ、言い換えると『保育当事者』という意味での親である期間の短さ」がある。 

保育所落ちた日本死ねと怒り続ける時間は長くて 6年(0才~5才)であり、そのあとは義務教育が待っている。 

日本社会の問題は、保育で奪われる労働キャリア空白期間(1~6年)に対して日本社会は厳しく、そこで職業キャリアを奪われた女性は労働者として二度と中心には戻れず補足的ポジションを強いられる。 

このことが現在、グローバリゼーションに巻き込まれ国内の労動者構造を強くする必要がある日本経済にとって最大のネックになっているということだ。 

また、保育所定員を超える都市部に生息するのが悪いので地方に引っ越せばよいという議論もある。 

これもまた、少子高齢社会化とそれに伴う都市化の問題の副産物であり、現在は、地方の中核都市(政令市や人口20~30万前後あたりの中核市)の再生が試みられている最中であるから(言い換えると「消滅市」の中核市への合流の始まり)、まだ時間がかかる。 

地方中核都市の「次のかたち」が見えないことには、大都市部の子育て世代は、「仕事ごと全部」引っ越すのはかなりの決意が必要となる。 

だから理屈ではわかっていても、都市部からなかなか離れることはできない。 

■保育問題、不登校問題、ひきこもり問題等の底にある規範 

以上のような少子高齢社会化に伴う諸問題の結果としての都市部の保育所不足という問題はよく議論される。 

が、これに加えて、やはり僕は最もクラシックな問題も強調する必要があるとこの頃は思えてきた。それは、 

「保育は家庭で行なわなければいけない」 

という社会規範の問題だ。 

これは「規範」(ゆるやかなモラル)の問題だから、上にあげたような経済学的・社会学的問題よりはもう少し「深い」ところにある。 

「~しなければいけない」という、いわば価値の問題、言い換えるとモラルの問題、古い日本語で言うと「道徳」の問題は、我々を理由のないところで縛り続ける。 

道徳まで行ってしまうと「人を殺してはいけない」といった根源的レベルともつながってしまうのでここではあえて避け、社会的暗黙の了解としての「規範」を使っている。 

この「保育は家庭で行なわなければいけない」という社会規範に近いものとしては、 

「学校に行かなければいけない」があるかもしれない。また、もう少し広いものとして「仕事をしなければいけない」などもつながってくるだろう。 

学校、仕事等は、いずれもここ20年続く子ども若者問題(不登校・ひきこもり・ニート等)の底辺に横たわるものだ。 

これらに近いものとして、いや、これらよりもっと大きく現在のグローバル化した日本に影響を与えている問題が、この「保育は家庭で行なわなければいけない」という社会規範かもしれない。 

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川内麻生