おにぎり

 私のある友人は小学1年生の時、作文でこう書いたそうです。「昨日、木を切ったのにおにぎりがでてこなかった。なんでだろう。」これに対して担任の先生はこう言いました。「なんでおにぎりがでてくるなんてことおもったの?誰かそんなこといった?」その時、友はなにも言えなくなり、その時初めて「おにぎりなんかでてこないんだ」と涙ながらに悟り、そして深く傷ついたそうです。先生の一言が、先生に「え、でてこないの?」とすら聞きたくても聞けない状況にしたのでした。彼女は、自分はみんなと違うことを信じていたらしいことを初めて知り、恥じたといいます。
 この話を聞いたとき、私は教育とはなんだろうかと思いました。この先生はこの子の信じてきたものをそれと知らずに引き裂いたわけですが、その引き裂いたものはとても大きく、その引き裂き方はひどいものでした。
 考えさせてやりたかった、と私は思います。ほんとうにそうなのか自分で考えて。そして教育がすべきことはこの一点ではないかと思うのです。考える姿勢を教えること、それが教育ではないでしょうか。知識や研究の成果などがいつか廃れても、考える姿勢は残る。何かを得るというより何かに取り組むことのほうが大事なのです。おにぎりがでないなんて何言ってんのとでもいうような知識の一方的な押し付けは、何も生み出しません。どうしておにぎりがでると思い、そしてそれは本当なのか、でるとすればなぜでてくるのかという、考える姿勢こそが次につながるものなのですから。
 「叱る」「誉める」という話題が出ていますが、いずれをするにしても、こちらの一方的な知識の押し付けは何にもなりません。なぜ良くないのか、なぜ良いのか、それを伝えると同時にその子自身はその行為をどう思っているか、きちんと考えていけるような教育ができたらいいと思います。

 

 

中澤ちわわ