「起業」と「自分のやりたいこと」(1)

 社会の再統合を模索する上での、貨幣システムと並ぶ重要な論点として、馬場男さん(1989)、小松由布樹さん(2049)の「起業」についての議論から考えてみます。それぞれに真をつく視点かと思います。

 馬場男さんの違和感は‘やれ起業だ、就職だ’という時に露呈する、‘自分探し’的な空気に向けられていると観じます。
 実際、学生で自分の周りに在学中から起業する人が顕われると、‘先を越された’‘自分は能力や行動力に劣っている’と焦る姿が目立つ、形骸化した「起業家精神」だけが一人歩きしている、と警鐘する報道もあります。すっかり定着した観のあるフリーター層の多くも、こうした葛藤を抱えていることでしょう。
(※フリーターについては、別に挙がっている「芸術」志向の問題との接点もあり、機を改めて論じてみたいと思います。)
 どちらかというと起業ブームの底辺の側、‘乗りはぐれ’組を心理分析した視点です。彼らがなぜ、乗りはぐれるかといえばやはり、「自分」へのこだわりが思考や行動の活力の足を引っ張っているからではないでしょうか。当然ながら、某か世の中の要請に「応望」する中身がその人の「やりたいこと」に内包されていなければ、起業など叶うはずもないのですが、自分の「夢」「やりたいこと」探しに汲々として、対象世界を獲得できずにさまよう姿がそこにあります。
 教育の問題というのも、昨今の文部省方針のように「生きる力」や「個性」、「職業人(専門職能)」、「起業家」を養うというのも結局は「自分」の確立に帰着するという意味で、確かに問題でしょう。

 

 

今井靖明