言葉以前の世界で通じ合う

言葉を知らない赤ん坊は、母親の言葉以前の感情を読み取るが、そんな赤ん坊に同化する母親も赤ん坊と同じ。女性のほうが、言葉以前の世界を読み取る能力に長けているのは、子育ての必要から来ているのだろう。

~週間代々木忠より引用~
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第381回 子どもに戻れる時間
 
 孫と過ごしているとき、それは僕自身が子どもに戻れる時間でもある。その孫はまもなく2歳半になる。近ごろは盛んに話しかけてくるのだけれど、何を言っているのかわからない言葉がたくさんある。

 「あーえーてっ!」「あっお!」「ちゃんちゃん」「にろり」。これらは孫が発したわからない言葉のほんの一例だ。なんとかそれぞれの状況で当て推量を試みるものの、残念ながらまったく当たらず、仕舞いには孫のほうが怒り出す。「じーじっ!」

 あるとき、僕は娘に「わかんないよ。怒るんだよ」と泣きを入れた。娘は「なんだ、そんなことか」という顔で、通じる日本語に置き換えた一覧表をくれた。「あーえーてっ!→ 開けて!」「あっお!→ 抱っこ!」「ちゃんちゃん → 靴下」「にろり → 緑」。わからない言葉がすべて網羅されているわけではないけれど、かなりの数の単語が載っている。

 どうしてこんなものを娘は持っているのだろう。どうやら孫が言葉を発したときからノートに書いていたようだ。その数は日ごとに増えていったのだろう。ただ、なぜその意味までわかるのか……。もちろん一緒にいる時間は娘のほうが長い。でも、単に時間の問題ではないような気もする。

 先日、娘がLINEで動画を送ってきた。孫が台所の床にオモチャを並べている。マジックテープでくっついている野菜や果物たち。オモチャの包丁で切る真似ができるそれらは、いま孫のいちばんのお気に入りである。それらを一列に並べて置いたまま、「ママ、おいしい、バイバイ!」と言いながら台所を去っていくところで動画は終わる。

 続いて娘の説明が送られてきた。この動画の前に、娘は叱ったらしい。すると、お気に入りのオモチャを持ってきて並べはじめたのだという。つまり、これは2歳児が自分で考えたお詫びのしるしであり、母親へのご機嫌とりなのだ。叱るときには厳しく叱り、でもそれ以上に抱きしめる、娘はそんなふうにわが子と向き合っている。それにひきかえ、僕は甘やかす一方だ。

 向き合い方の密度というか深度の違いなのだろうと思った。言葉じゃないところで通じ合っているからこそ、一見意味をなさない単語の向こう側にある気持ちが読めてしまうのではないかと。




匿名希望