幼い子にはおだやかでゆったりとした「意味などない」時間が必要

味や意義。才能や効率。もしかするとそんな親の意識が、子供たちを歪めているのかもしれません。

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三砂ちづる『五感を育てるおむつなし育児』より

昭和七年の『主婦之友』には、「育児に成功したお母様の赤ん坊の上手な育て方」という記事があり、四男八女を育てた代議士婦人が、おむつの要らない赤ちゃんの育て方についてアドバイスしています。当時『主婦之友』では、このようなご婦人のことを「賢夫人」と呼びました。彼女たちが実践し、話していたのは、「できるだけ赤ちゃんに気持ちよくしてもらいたいから、おむつの外で排泄してあげたい」ということに他なりません。

昭和30年ごろになると、婦人雑誌でアドバイスするのは「賢婦人」達ではなく、小児科医や心理学者といった「専門家」になっていきます。彼らは「二歳以前に排泄の自立をすることはない」と説明しました。
しかし「賢婦人」達は、子ども達の心身の自立をただ待っていた訳ではありません。人間にとっての重要な営みである排泄を、できるだけ気持ちよく行えるようにと、幼い人に心を寄せていたのです。
 
フランスの産科医ルボワイエが1970年代半ばに、『暴力なき出産』という本を著しました。生まれたばかりの赤ちゃんは勝手に泣くのではない、私たちが煌々としたライトに当てたり、知らない人の手で手荒に扱われたり、お母さんと急に離してしまったり、鼻を吸引したりするから、赤ちゃんはそんな暴力におびえて泣いているのだと言いました。

第一啼泣で肺がふくらむ、と医療関係者さえそう教えられて、「泣かなければ泣かせることが必要」と思っている位なのですが、彼はそうではないと言いました。赤ちゃんに恐ろしいことをあれこれやって怖がらせることが、人間にとっての「暴力」の始まりである、と。

「おむつなし育児をすると赤ちゃんがあまり泣かなくなった」という言葉は実によく聞くことです。赤ちゃんが泣くのはやっぱり理由があって、おっぱいか、眠いか、おしっこかうんちか。それ以外では抱いてあげれば落ち着くし、それでも泣くときはどこか具合が悪いんだと察知できると言うのです。

言語になる前の感情をしかりと受け止めることができる、それは親としての自信のみならず、人生で出会う様々な人を理解し得る、大きな贈り物をいただいたとも言えるでしょう。
 
現代のお母さんは「子どもとは質の高い時間をすごすことが大切」とか、「おしっこ、うんちのことよりももっと子どもの能力を伸ばすような“何か意味のあること”をやったほうが良いのではないか」と思われるかもしれません。子どもに「意味ある、意義ある人生」を歩ませたいと。

でも幼い人たちにとって、お母さんの気配を感じながらおしっこ、うんちだけ気をつけてもらって、ぼんやりと過ごすことほど至福の時はありません。戦後最大の思想家と呼ばれた吉本隆明はそのような時間が「人間力の特性」につながっているのではないかと言うのです。それがないと人間の生涯はすべて「発達心理学のいう意味だらけ」になってしまうと。才能とか意味ある人生とか、そういうことが始まる前に、おだやかでゆったりとした「意味などない」時間が、幼い人には必要なのです。
 
おむつなし育児とは、紙おむつをつけて排泄のことに気をとられず、母も子も「意味のあること」をどんどんやりましょう、という風潮に対するアンチテーゼかもしれません。

 

 

 

 

匿名希望