親のタイプから考える子育ての形②

①の続きです。
リンク

◆弱い自分でいい。ダメな自分でいい。

「ちゃんと、きちんと、しっかり」という束縛から自分を解放するためには、以前の記事の「自分を甘やかす」と同じようなプロセスが必要かもしれません。

できる部分からでいいので、「ちゃんと、きちんと、しっかり」ではない自分を許容することです。
それがまわりまわって、子供にもバランスの取れた関わりをもたらす方向にしてくれるかもしれません。

子供って親の注目が欲しいときに、あえて親が嫌がるようなことをする場合があります。
これは、たいていの場合その子のその目的は円満な結果にはならないのですが、ある面では理にかなっている行動なのです。

なぜか?

良い行動を取ったとき、それが認めてもらえるのはある意味当たり前のことであり、それは「当然の肯定」です。

しかし、もし、それが好ましくない行動であるにも関わらず自分を受け入れてもらえたとしたら、それは子供にとって「当然の肯定」よりも、ずっと大きな肯定になります。
まあ、実際はまずそうはならないのですが・・・・・・。

つまりは、失敗した自分、ダメな自分を受け入れてもらうことが、その人の自己肯定感につながっているというわけです。(本当は大人も同じなんですけどね)

子供は、いろんなところでうまくいかないこと、失敗することが山のようにあります。

目に見える短期的な「できる or できない」は、実のところ対して重要ではないのです。

むしろ、そういった失敗した自分を親に否定されず受け止めてもらうことで、その子は他者に優しくする気持ちや、寛容な気持ちを自身の心の中に育てていくことができます。

逆に、自分の失敗や弱さを許容してもえた経験が少なければ、他者にも寛容な気持ちを持ちにくくなります。
もし、そのときに許容してもらえなかっただけでなく、強い自己否定や自尊心を打ち砕く関わりをされてしまうと、その子は単に他者に寛容でなくなるだけでなく、そこに攻撃的な感情を持つ子にしてしまう場合もあります。

それは例えば、なにか劣っている子を見てその子をいじめたくなるような気持ちにつながるといったことです。

いじめのようなことは、よくないとその人の理性で歯止めがかけられる人ももちろん大勢います。
しかし、その人もいざ我が子の子育てにのぞむときは、我が子に対してその感情の歯止めをかけてくれるものはありません。

我が子の姿や行動に対して、猛烈な怒りやイライラがわいてきます。
しかし、その怒りやイライラは親から持たされたものだったのです。

自身の失敗を許容してもらうことや、自身の苦手なこと、弱点を否定せずうけとめてもらうといった、自己肯定につながる部分の課題を幼少期の内にクリアさせてもらうこととは、非常に大切です。
それが本当の意味での「生きる力」になるからです。

そのことの前には、目先の「できる or できない」など何ほどのこともないのです。

しかし、悲しいかな、それをクリアさせてもらえなかった人ほど、我が子にもそれをクリアさせてあげることが難しくなってしまうというジレンマを抱えなければなりません。

「親からの呪縛」と言えるでしょう。
これと折り合いをつけたり、乗り越えるためには膨大な人生のエネルギーと時間が必要になってしまいます。
せめて、これからの子供たちの時代にはそういったものは残さないようにできればと感じます。


関連記事:
『超高学歴25歳女性が生活保護に頼る深刻事情』(東洋経済オンライン)

親が子に肯定や寛容さを与えないことで、その人の人生にわたって本当に「生きる力」を奪うことができてしまいます。

このようなケースは、特殊なものではなく普通の家庭の普通の子育ての中で、すでにたくさん起こっています。
保育園児にすらそれらを見いだせるケースも少なくないです。

先般話題になった豊田真由子議員のケースも思い浮かびます。
上の方のケースに比べたら、豊田代議士は、学歴、職歴という面において大成功を収めています。
しかし、大変気の毒なことに人格形成という面では、必要最低限のところにすら到達していません。
おそらく、それはその親によって作られています。

上のケースが、親からの支配・不寛容が自己否定に向かったケース。豊田代議士のケースが、親からの支配・不寛容が他者への攻撃性として人格に形成されたものです。

これまでの社会に、子育てについての適切な知識が欠けていたために、こういう悲劇が山のようにあるのだと考えるとやるせない思いがします。
(終わり)
******************************************************************

 

 

 

秀凜