こそだてと社会の変化/知識を蓄積するプロセスとリアリティの関係。

東京大学 先端科学技術研究センターの知識を蓄積するプロセスとリアリティの関係の対談が面白い。

私たちの子育ては、あまりに過保護になりすぎているのかもしれない。

リンクからの引用です。
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■知識を蓄積するプロセスとリアリティの関係の、深い意味

中邑:ROCKETにやって来る、学校に行かない子どもたち。賢いですよ。ずっとインターネットしていますから、その検索能力たるや素晴らしい。だけどそのリアリティのなさも超素晴らしい。
先日、「鳥居を探してこい」っていう授業をしたんです。朝から1日がかりで。彼らに、「鳥居には何種類ある?」と聞いたとしたら、ネットで10分以内に調べることができます、「ああ、先生、2種類だよ。神明型と明神型」と。でも、この授業では情報機器の利用を一切禁止しているので、「なんでー、先生、どこにあんの?」って。「どこにあるかなんて知るもんか。とにかく時間はたっぷりある。紙と鉛筆渡すから、鳥居をできるだけ大きくスケッチしてこい」と。

彼らが帰ってきて、描いた鳥居の絵見て、「これ、木だった?金属だった?」と聞くと「わかりません」と言う。「だめだな。木か金属か石かという分類だってできるのに、それさえ見てないじゃないか」と。ネットのみに知識を依存した状態では、これでいいんだぐらいのことになっちゃう。そして、枠ができる。色んな視点で一つのものを見ていくことができるにも係らず。いまの子どもたちは、知識はタダだと思っている。知識を集積していくっていうプロセスを知らないまま大きくなっているんですよ。

学問というものがどれだけ大変なのかということが、こうするとわかるんですよ。とにかく時間をかけなきゃダメだと言うと「うわ、めんどくせぇー」って言うんだけれど、確かに面倒くさいんですよ(笑)。「どこに鳥居あるんだよう」「お前聞けよ、あのおじさんに」みたいな世界です。でも、「学者というのはこういうもんだ」と言うとやるんです。いま、学者がなりたい職業の上位になっていますからね。けれども、そういうふうにやっていかないといい研究者にはなれない。とにかくリアリティをどう与えるか。それが僕たちの教育なんですよ。

今年、自然やサイエンスが好きな子どもたちに、「食物連鎖は本当か?」という授業をします。だいたいの子どもは食物連鎖の絵を描けるんですね。「ほんとか?  お前、鳥が魚を食うところ、小さい魚を大きな魚が食うところ、見たことあるのか?」「ない」「うそじゃん、それ」と。「ほんとかどうか確かめろ」と言って、一日、鳥を観察させてやろう、船に乗せて魚をつかまえて観察させてやろうかと思っています。リアルって何なのかっていうことを徹底的にやっていく。それしか教えてない。

根本:いまの子どもたちは本当にデジタルネイティブなんだなと思います。こちらもこそだて研の調査ですが、小学校高学年では約8割がパソコンを使っていました(2014年調査時)。リアルにこだわるというのは、子どもたちがネットの世界にどっぷり浸かっているという以外にも理由はあるんですか?

中邑:感覚ですよね。例えばロケットを打ち上げるときに何が重要かというと、最終的にはそれを判断する人の天候を感じる力なんです。生きるか死ぬか、最終的にはそれなんですよ。

■「意図しないという子育て」とは何か

根本:そういう活動の中で、お子さんに変化が出てくると思うんですけど、その変化を親御さんも見られているわけですよね。

中邑:いや、実はね、「プロジェクトで何が変わりましたか?」とよく聞かれるんだけれど、「僕らは、別に何も変わることを期待してないし、知りません」と言うことにしているんです。つまり、変化を期待するっていうのは、目的があるんですよ。目的をつくっちゃうと、僕たちは目的に誘導してしまう。

けれども、子どもの本来の力って、そういうところじゃないところにあるかもしれない。変なことをやっていると、親ってだいたい止めますよね。「そんなことしてどうするの?」と。そうして無駄な部分って削がれていくんだけれど、その無駄をやらせることができるということが、僕は重要だと思っているんです。だから、「変化は何ですか?」というと、「いや、子どもがとりあえず楽しそうに生きていますね」と、それだけです。

~中略~

中邑:ですよね。不安になりますよね。

根本:不安だらけです。自分の子育てもそうですし、子どもを通して未来を見ることを考えるとき、ワークショップなどをやっても、子どものやってることに「どうしてそれそう思うの?」とか「何を目指してやろうとしているの?」と、つい答えを聞きたくなってしまうのを、いかにぐっと我慢して、寝かせて待って観察するかというのは、言うのは簡単だけどやるのは難しいと思います。

中邑:子どもがなぜそんなことやっているかというと、おもしろいからに決まっていますよね。答えろと言われても子どもは答えられないし、たぶん親は違うことを望んでいるんだろうなということを窺いながらやっているわけですよ。いまの子どもたちって、褒められることが好きになっているから言うことをきく。そうすると他人に責任をゆだねることができるから楽なんですよ。

子育てだってそうですよ。いまの子どもを育てている人達っていうのはね、どんな子どもに育てようと考えているとは言うけれど、いい大学へ行っていい仕事を見つけられたらいいということしか考えていない。つまり、ほとんどの人がそう考えているっていうことは、敷かれたレールが一つしかないということです。レールに向かって、塾があり、教育産業があり、教材がある。だから、そこに乗っちゃったら何も考えない。

でも、そこから離れてしまうと「どうしよう」と戸惑うわけです。プロジェクトに来ている、そこから離れた子どもたちっていいんですよ。暇があるし、親が諦めていますからダメって言わない。「どこでも、先生、連れてってください」と。僕たちが不登校の子どもになぜ注目しているかというと、時間がたっぷりあるからです。一日かけて鳥居を見てこようなんて、学校じゃできない。

~後半(リンク)に続く~

 

 

 

 

秋田稔行