薪で湯沸し、がお手伝いの最初

 幼稚園の少のころ初めて受け持ったお手伝いが、お風呂を沸かすというものだった。しかも、当時でも珍しかった薪のお風呂で、毎日、薪をナタで小さくしてから、井桁に組んで沸かしていた。

 薪の端に「カン」とナタを当てて引っ掛けてから、大きく割る。
新聞紙を丸めたものに火をつけて小さなものからだんだん大きな薪に火を移していく感覚はいまだに残っている。

 台所の横に土間があって、「お湯加減いかかですか~♪」と声をかけ、「もう少し沸かしてくれ!」とか、そんなやり取りもお店屋さんごっこのように面白かった。

 毎日のお仕事が、湯沸しなものだから、いかに効率よく、美しくできるかと楽しむわけだが、生活の一部が、ボタン一つのブラックボックスではなく、物理現象として認識できたのは、今考えれば基調な体験だったと思う。

 作物が育つ過程を知ることもないし、魚を釣って捌いて食べるなんてこともない、火を起こして、水を汲んで来なければ困る…なんてことは日常になくなってしまっている。

生活のインフラは今ボタン1つだし、スーパーに行けば何でも使いやすいサイズに小分けしてくれている。便利なような、面白くないような。

めんどくさくも、潜在思念と繋がる手に感覚の残る暮らしがあったから、今の便利な暮らしをとてもつまらなく感じる。

 

 

 

 

池田みさき