子どもの「遊び」から、大人が学ぶこと~子どもの視点で、大人の社会に風穴を空ける

【子どもの「遊び」から、大人が学ぶこと。遊び学 × こどもみらい探求社】より引用リンク


●社会を良くするヒントは、保育士さんが持っていた
今回は「子ども」と「学び」をテーマにお話を伺いたいと思います。小竹さんと小笠原さんは、おふたりとも保育士の経験から「子ども」の視点を大人の社会に活かすというビジョンをもった「こどもみらい探求社」を立ち上げていますが、ここにはどういった問題意識があったのでしょうか。


>何か大きな課題があったというよりは、もっとこうなったらいいのにな、という思いから始めました。保育士として毎日子どもと接し、彼らの視点で世界を見てみると、普段の生活では考えられないくらい楽しいことが起きるんです。
彼らは何にもないところから、たくさんのものごとを生み出すクリエイティブの天才。でも、このときの多様な視点や創造性が、大人になるにつれて失われてしまうさまざまな仕掛けが社会にはある。そこに風穴を空けてもっと社会が良くなるように、子どもの持っているものを大人の社会につなげる架け橋のような事業をつくりたいと思ったんです。

>みんな子どもの頃は本当に豊かなものをたくさん持っているんですけど、学校に行って、会社に入るころにはすっかり忘れてしまう。子どもたちがその後の人生を生きていくとき、保育士として働いていたときの知見をもっといまの社会に接続したいと思って会社を立ち上げました。


●「遊び」が「学び」に変わる瞬間~「遊び」と「学び」は対義語か?
>子どもの発達段階において生じることでもあるのですが、一番大きいのは社会の問題ですね。いまはみんな最初から「遊び」と「学び」は違うと決めつけてしまっているので、子どもにもそれを無意識のうちに強要するようになる。
でも、そもそも「学び」ってどういうことかといえば、ぼくは「何かに出会って自分が変わる」ことだと思うんです。今日もたくさんのことをお2人から伺いましたが、今日知ったことを何かで実行に移したとき、それはぼく自身が変わったことになる。出会いによってふるまいが変化するのが「学び」の効力だとしたら、「遊び」はたくさんの出会いに満ちて好きに自分が夢中になるだけ、自分が変わったというようなことも、結果的には多いんじゃないでしょうか。

>わたしたちは親子で通う10回シリーズの習い事を定期的に行っているのですが、そこでは「はじめに何とどう出会うか」をすごく大事にしていますね。
何が子どもにとって「遊び」なのか「学び」なのかを社会が決めてしまって、「遊んでいないで勉強(仕事)しなさい」というフレーズが定義化されてしまっていると思っています。でもそれってすごくもったいなくて、算数を「遊び」ととらえた子はずっとそれを伸ばしていけますよね。大人が無意識のうちに線引きをしてしまうことで「遊び」と「学び」が切り離されていってしまうと思うんです。


●子どものタフな世界を取り入れ、「遊びのプロ」を目指す
>「わからない」という感覚はとても大事だと思うんです。わからないものに出会ったときに不安を感じるか、面白いと感じられるかどうか。遊びの精神をもっていれば、きっと面白いと感じられるはずなんです。
遊びを体験するということは、未知なるものに出会ったときも柔軟に対応できる基礎体力をつくっているとも言えますね。もちろん、未知のものにはリスクもともなうのですが、リスクが完全にゼロの社会なんてありえません。そこに神経質になるか、ちょっとくらいいい加減に向き合えるかどうかが生きる力になっていくのかもしれません。

>「ワーク・ライフ・バランス」という言葉がありますが、わたしにとっては「ワーク・イン・ライフ」。やりたいことを続けていたらそれが仕事になって、いつしか生活になっている。
それがなんでかなと考えると、自分が大事にしているものを外に発信していったら、他人にもその価値が伝搬して、うちの会社でもやってくれと言われるようになり、いつしかそれが仕事になっていったんです。自分が何に心が動かされるかを一番に突き詰めていくと、もちろん面倒な仕事だってたくさんありますけど、モチベーションがずっと続いていくんですね。

>これはよく言われることですし実体験もあることなんですが、子どもってサンタクロースを本気で信じている一方で、それがお父さんやお母さんであることもどこかで気付いているんですよ。子どもにとってはどちらも真実なんです。大人からすると考えられないけど、そういう世界を引き受けられるのは子どものタフな能力であり、大人にとってもこうした矛盾する世界を同時に受け入れる覚悟が必要なんじゃないかな、と思っています。

 

 

根木貴大