子どもたちが選ぶ力を信じて

社会が求める能力と学校教育の乖離がますます大きくなっている中、成績第一という親の期待は子供の意欲と追求力を封鎖する要因となっています。親にとって最も重要なことは、子供が本来やりたいことを応援してあげることではないでしょうか。

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ちょうど10年ほど前あたりでしょうか、日本では、指示待ち人間が増えているという傾向が見え始めました。おそらく今もあまり変わらないと思うのですが、この指示待ち人間とはどういう人間を指すのでしょう?私の理解では、人に考えてもらって、いわれたことだけ、あるいは言われたとおりにしかしない人間ではないでしょうか?

しかし、指示待ち人間を育てたのは誰の責任でしょうか?言うまでもなく、それは日本の教育と各家庭でのしつけによるものではないでしょうか?日本の教育はさておいて、家庭はどうでしょう?

私たちは子どもたちに自分で考え、選択するというスペースと時間を十分に与えているでしょうか?おけいこごとにしても、隣のさくらちゃんがピアノを始めたからじゃ、うちもとか、啓介くんはスイミングにいってからだが丈夫になったからじゃ、うちの純一もとか。みんな塾に通っているからうちもとか。夏は誰もがアメリカではサマーキャンプにいくからうちもとか。

こうみますと、子どもに本当に何をしたいかという選択権を与えているでしょうか?特に夏休みにおいては、彼らが自由に使える唯一の時間です。それすらも親の勝手に決めたスケジュールでいっぱいに埋めて、退屈させてはいけないと意気込んでませんか?

子どもからしたら、1日ボケーっと何もしない日もとても彼らにとっては貴重な時間かもしれません。学校がある期間中は、やれ英語、やれ体操教室、やれ塾、やれサッカーと1週間びっしりのスケジュールだったはずです。せめて夏休みだけでもゆっくりさせて、自分で何をしたいのかを考え、選ばせて上げる機会を設けてはいかがでしょうか?

「そんな、まだ小さいのに何があるのかもわからないから、こっちで計画してあげなくちゃ無理よ」とおっしゃるかもしれません。それではせめてママが調べたものを教えてあげて、その中から選ばせてはいかがでしょうか?そのためには、いろいろな場に子どもを連れて行って体験させて、世の中にはどのようなものがあるのかを知らせてあげることだと思います。それは急に選べるものではないでしょう。

動物保護センターでボランティアをするにしても、以前にそこに行っていれば本人も選べるでしょう。バイオリンのコンサートに足を運んでいれば、バイオリンを弾く楽しさがわかるでしょう。

子どもは、自分がしたいものは本能的に感知しています。いやなものは誰が強制してもいやなのです。それを無理にやらせても結局は無駄になると思います。本人がやりたいと思うものこそ、なんらかの実を結ぶものです。何もしないという選択肢があってもいいではないですか?何もしていないその毎日でいろいろなことを考えているのかもしれません。それがいつ花を開くかは親が決めることではありません。

子どもたちの毎日は彼らのものです。良かれと思って親がすることが必ずしも本人に通ずるものでないこともあるのです。だから彼らの選択できる力を信じ、自分でしたいことを選ばせ、やらせることも重要だと思います。

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西本圭